ローレンツ編 6
アネットが消えてから、俺の世界から完全に色が消えた。
朝も夜もない。執務机に向かっても、書類の文字はすべてアネットの残したあの呪いのような書き置き――『恥晒しの私は去ります』――に脳内で変換され、俺の心をガリガリと削り続ける。
「殿下、国境の封鎖を完了しました。ですが、これ以上の軍の私物化は貴族院が黙っていません」
「黙らせろ。文句を言う奴の首はすべて刎ねてやる。アネットが見つからないなら、この国など滅びても構わん」
ディミトリの冷ややかな進言に、俺は血走った目でそう吐き捨てた。
冗談でも脅しでもない。本気だった。アネットのいない玉座など、ただの冷たい椅子の切れ端に過ぎない。
(どこにいるんだ、アネット……。飯は食べているのか? 寒さに凍えてはいないか? 俺のせいだ、俺があの時、お前を『飾り』だなんて言ったから……っ)
あの日、バルドゥール侯爵家を告発し、奴らの家柄を一晩で徹底的に叩き潰した。セリーヌが「ローレンツ殿下、お助けください!」と醜く泣き叫びながら引きずり出されていくのを見ても、俺の心には塵ほどの快感もなかった。遅すぎたのだ。奴らを警戒するあまり、俺は一番守るべき宝を自らの手で追い出してしまった。
居ても立ってもいられず、俺は自ら馬を駆り、街の捜索に加わった。
乱れた髪も、やつれた頬もどうでもいい。ただ、彼女の姿を求めて、狂ったように街並みを視線でなぞり続ける。
(お願いだ、アネット。俺を置いていかないでくれ。お前を檻に入れるためじゃない、ただ、俺のこの無様な命をすべてお前に捧げて謝りたいんだ……っ)
路地裏を通り過ぎる一瞬、ふと、強烈な視線を感じて馬を止めた。
ハッとして周囲を見回すが、そこにはフードを深く被った平民たちが怯えたように縮こまっているだけだ。
(アネット……? いや、まさか。お前がこんな薄汚れた街路にいるはずが……)
胸を掻き毟るような悲痛が込み上げ、俺はきつく目を閉じた。泣き出しそうな顔を部下に見せるわけにはいかないと、無理やり馬の腹を蹴る。
まさかその時、その物陰にアネット自身が隠れ、俺のその「今にも泣き出しそうな顔」を見て動揺していたなど、この時の俺は知る由もなかった。




