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ここにいて

 深呼吸をしないどころか私にしては気持ち早足で扉の前に来た。脈が早いのはそのせいだけではない。

 どうだろう。一つくらいは実物があると嬉しい。

 ノックして聞こえたテオ殿下の返事は緊張しているようだった。

「は、はい、れ」

 ノブに手を伸ばす。ガチャリ、という音がいつもより大きく聞こえた。

 扉を開けて、目に飛び込んできたのは。



 部屋中にある風船だった。



 きょろきょろと見渡す。

 上に浮かんでいるもの、下に沈んでいるもの、ソファーにはバルーンアートまで。


 テオ殿下が居心地悪そうにしながらも話す。

「風船、が好きだと聞いたのだが……」

 聞いた? ああ、そうか。親族に聞かないこと、と言っていなかった。まあさすがに聞かなければ出ない正解か。

「正解、だったか?」

「はい、正解です」

 私はまだ辺りを見回していた。胸は今までにないくらい高鳴っている。誰に聞いたのだろう。父か。兄か。使用人か。兄の可能性が高いから後で感謝しよう。

「…………気に入った、か?」

「人生初と言っていいくらい興奮しています」

 聞かれたということは私の表情はやはり変わらなかったらしい。しかし見渡す限り風船、風船、風船の世界。ここまでの数を見たのは初めてだ。

 私が外が嫌いなのは、昔風船を手放してしまいそのまま空へ飛んで行ってしまったからである。

 ソファーに座り近くにあった花のバルーンアートを手に取る。本物の花よりこちらのほうが好きだ。

 楽しい!

 おお、結構上手。

「これはどなたがお作りになったんですか?」

「………………」

 ん? 兄かな、と思ったのだが返事がない。そういえば風船ばかり見ていた。

「…………私、だ」

「え?」

 風船から目を離してテオ殿下を見つめる。彼の顔は真っ赤だった。

「一応、器用なほうなのでな……作ってみた」(やりすぎたか?)

 もう一度部屋中の風船を見回した。

 これを、この人が。この数を、全部。暴言ばかりで十年間私の好きなことも嫌いなことも知らなかった人が。

 周りにはあまり話したことはない。バルーンアートはまだ出てきたばかりのジャンルだ。

 この数の風船を確保するだけでも大変だったろうに。


 持っていた花の風船を胸に引き寄せる。

「ありがとうございます。嬉しいです」

「…………っ」(え、笑顔…………は、初めて見た! 私に笑顔……! がんばってよかった!!!)

 おや、私はどうやら笑顔だったのか。気分がいいのは本当だ。

(これからも作って飾っておけばまた見られるだろうか?)

 何と、毎回これを? さすがにここまででなくていいが風船一つあるだけで私のテンションは上がる。お茶会が楽しみになる日が来るとは思わなかった。

 ああ、それを口にしてもらえたらすぐ「はい」と返事ができるのに。

「お上手なんですね。作ったのは初めてですか?」

「ああ……」(メリッサのテンションが高い。本当に好きなのだな。可愛い)

「すごいです。私はバルーンアートに関しては上手にできるまで結構時間がかかりました」

 幼い頃は風船を膨らませるのも一苦労だった。今はラウラからもらった魔具で簡単に膨らましている。魔具を使うと風船の劣化も多少抑えられるからありがたい。

 テオ殿下はどうなのだろう。

「あの、ポンプには何を使いましたか?」

「ポンプ? 普通の物だが……上に浮かんでいるものは魔法を使った」(何か特別な物があるのか?)

 魔具のポンプを紹介すれば驚いていた。


 ということは、一週間後に萎んでしまうものもある。そもそもこの風船達と次に会うのが一週間後になるのはつらい。

「あの、これ少しだけでも持ち帰ってよろしいでしょうか?」

 こくり、とテオ殿下が頷く。

(と、当然だ。君のために作ったのだ。……っ……本当に喜んでくれたようだ。嬉しい)

 ……それを言葉で言えたらもっといいのに。しかし今の私はご機嫌だ、お許しが出たのだからどれを持ち帰ろう。どのくらいが馬車に入るか。きょろきょろ見渡す。ラウラに頼んでたくさん運び出せる魔具を借りよう。

 一番近くにあった浮かんでいる風船を手に取る。浮かす魔法は持続させるのが難しい。これは絶対全部持って帰って部屋に飾って毎日眺めよう。

 バルーンアートもできる限り持ち帰りたい。私が座っているソファーにあるのは花の形と四色でできた虹の形のもの。テオ殿下のほうには剣とプレゼントの形をしたものがあった。あれも触りたい。近くで見たい。


「あの、そちらのバルーンアートも近くで見てもいいですか?」

「あ、ああ……」(渡すよりは近くに来てほしい)

 私が来やすいように少し端へ移動してくれた。早速立ち上がりテオ殿下の隣にあるプレゼントの形のバルーンアートを持つ。

 今までしたことがないだろうにとてもよくできている。何度か練習したのかもしれない。

「お仕事の合間に作ってくださったんですか?」

 見たところ隈は見えない。無理をしていないならいい。

「そ、そうだ」(可愛い。可愛い。可愛い。今日はメリッサがテンション高くたくさん話してくれる)

 テオ殿下の紅茶を持つ手が震えている。口元が微かににやけていた。

 考えているのは私のことばかりだが、彼は風船についてどう考えているのだろう。

 バルーンアートについて話せる人間が増えるのは嬉しいことだ。


「何を参考にして作ったんですか?」

「どれを最初に作ったんですか?」

「一番難しかったものは?」

「他に練習したものはありますか?」

「色も何種類も用意してくださったんですね。どこで手に入れたんですか?」


 矢継ぎ早に質問する。いつものように「メリッサは?」がないことを不思議がったが、テオ殿下が答えた途端に私が次の質問をしていたのだと気付いたのは兄が会話に入ってきた後だった。

「あのさ、盛り上がっているところ悪いけどもうそろそろ執務室に戻らないと仕事が……」

「「え」」

 ほぼ同時に発言して兄に視線を向けた。

 時計を見ればいつもお茶会を終了する時間はとっくの昔に過ぎていた。紅茶をほとんど飲まないままだった。申し訳ない。

 こんなに時間が短く感じるのは初めてだ。

 まだまだ風船のことを語りたい。

(まだここにいたい。メリッサと話していたい)

 テオ殿下と目が合う。何か言いた気に口を開こうとしたがきゅ、と引き結んだ。

(私の我侭で国に迷惑をかけるわけにはいかない。来週があるのだ。今日はこんなにメリッサと話せた。それで満足しなければ)

 …………。

 口にしてほしい、と思ってしまった私はダメな人間だ。彼は王太子なのだから。

 風船にテンションが上がりすぎた。王子妃となる私が彼にかけるべき言葉は「ここにいて」ではない。


 立ち上がろうとするテオ殿下を見つめる。

「本日は、本当にありがとうございました。お仕事がんばってください。来週会えるのを楽しみにしています」

「……っ!」(笑顔!)

 またテオ殿下の頬がさっと赤く染まる。自分でもどこで口角が動くのか分からない。私の笑顔程度でこれほど喜ぶなら、もっと笑えるといいのに。

「わ……私、も。楽しみ、だ」(来週もまたその笑顔が見たい)

 私の瞳を真っ直ぐ見て告げられた。耳まで赤くなっていたのは見て見ぬふりをしてあげよう。

「つ、次は魔具を使ってみる」

「次、があるのですか? ありがとうございます」

(生きていてよかった!)

 さすがに大げさである。

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