十三夜
ユキエにとって久しぶりの外の空気のはずだった。
付き添いの乳母、サチエさんに車椅子を押してもらい、廊下の角を曲がったときだった。
目の前に誰かが覆いかぶさってきた。ユキエは車椅子に座ったまま身を縮めた。
「あっ、ごめん」
車椅子の前を掴んで体を支えていたその人は答えた。
清楚な顔つきの女性がそこにいた。
ユキエは「大丈夫です」と答えながら、ふと、その女性の胸元を見た。きらりと光るもの。シャツの合わせ目から勢いがついて飛び出したそれは銀のロザリオだった。
後ろにいたサチエさんがそのアクシデントに気が付きあわててユキエの前に歩み寄った。
「大丈夫でしたか、お嬢様」
「大丈夫よ、心配しないで」
そう答えたときには先ほどの女性はすでに消えていた。慌てて周りを見回したが、まだ体の自由が戻っていなかったユキエにとってそれ以上のことは出来なかった。
「ねえ、ばあや。今ここにいた人を探して」
「どうなされました、お嬢様」
「私のロザリオと似たものを持っていらしたの」
乳母のサチエは驚いた表情でユキエに答えた。
「そんなバカなことはございません。今、家のものが総出で別荘を探しておりますが、未だに見つかっていません。まだ、土の中だと思います」
ユキエはそれでも、サチエに頼んだ。
「もしかしたら、月の妖精さんかもしれないの。お願い探して」
乳母のサチエはしぶしぶ辺りを捜しに行くのだった。
ユキエは日本でも5本の指に入る橘コンツェルンの次期総帥であった。
戦後の混乱の中、小さな建材問屋から始まった橘商事は創業者であったユキエの祖父の力もあって、あらゆる業種をその傘下に収めていった。
その後、息子の代になり、海外へと進出も果たした。
しかし、今から3年前、不慮の事故によって幸恵の両親は天国へと旅立ってしまった。
当時、まだ中学生だったユキエは未成年ということもあり、その財産は後見人により成人になるまでは管理されることになった。
今は経営を人に任せ、学業に専念していた。そのはずであった。
それは今年、関東地域を襲った大雨からはじまった。ユキエはうだるような気温の都会から離れ、郊外の別荘で週末を過ごすことが日課になっていた。
来年の大学受験も控えており、できるだけ静かなところで勉強がしたかったということも理由の一つだった。
土曜の夕方に降り出した雨は夜になって土砂降りに変わっていった。別荘は山の中腹に建っていたが、すぐ裏の山肌が地滑りを起こして別荘をあっという間に飲み込んでいった。
すぐに救助作業が始まったが、降りしきる雨のせいで難航し、ユキエが救助されたのは生き埋めになってから2時間もたってからであった。
奇跡的に怪我はなかったものの、意識不明の重体で近くの総合病院から東京の大学病院へと搬送された。
そのまま、意識も戻らなかったユキエはつい5日前に何事もなかったように一ヶ月ぶりに目覚めた。




