第79話:機械神(マスター・サーバー)の問いと愛という証明
機械教国の分厚い防壁を抜け、超弩級列車『リヴァイアサン』は完全な幾何学模様で構成された無機質な都市部へと進入していた。
空には太陽の代わりに巨大なLED素子のような光源が均等な光を降らせており、塵一つない銀色の舗装路を、同じ規格の機械兵士たちが寸分の狂いもなく巡回している。
「あはは! 見てよこの街! ゴミ一つ落ちてないし、歩いてる人の歩幅まで完全に一緒だよ! ボク、あの歩幅を1センチだけずらしたらシステムがどうやってリカバリーするのか、すっごく実験してみたい!」
ルナが特製のメスを舐め回しながら、窓の外を見て興奮している。
「やめとけ、ルナ。ただでさえ薄氷を踏むような状況だ。……しかし、酒場の一軒もねぇとは、本当に息が詰まるぜ」
バルドが操車室でドワーフの髭を撫でながらぼやいた。
リヴァイアサンの甲板には、案内役兼「監視役」として乗り込んできた機械の少女・イヴが直立不動で立っている。その赤いカメラアイは、艦首デッキで寄り添うアルスとロザリアの二人に固定されたままだった。
『――間もなく、試験領域の最深部、中央メインフレームへ到達します。当教国の絶対管理者たる【マスター・サーバー】が、貴方たちの「愛」という未定義パラメータの監査を実行します』
イヴが抑揚のない声で告げた瞬間。
突如として周囲の景色がデジタルノイズと共に激しく歪み、リヴァイアサンの周囲の空間が完全に「切り取られ」た。
物理的な重力が消失し、アルスとロザリアの二人は、白一色の無限に広がる仮想空間へと強制転送されていた。
『接続確立。我が領域へようこそ、未知のOSを搭載せし有機生命体よ』
空間全体から、性別も年齢も持たない、純粋な論理の集合体のような声が響き渡った。
空間の中心に浮かび上がったのは、何十億もの光の回線が絡み合って形成された巨大な多面体。これが機械教国の神――マスター・サーバーだった。
「ずいぶんと乱暴な呼び出しだな、ポンコツ。私のロザリアの美しいドレスが、転送のノイズでわずかに乱れたではないか」
アルスは冷徹に言い放ち、ロザリアの肩を抱き寄せてそのドレスの皺を優しく払った。
「ふふ、大丈夫ですわアルス様。貴方が隣にいてくださるなら、ここはただの白い庭園と何ら変わりありません」
ロザリアは愛おしそうにアルスの手に頬をすり寄せ、多面体を見据えた。
『監査を開始する。貴方たちは「愛」という情動的数値を、システムの最適化に用いていると主張した。だが、それは論理的に破綻している』
『情動とは、無限のフィードバック・ループを引き起こすノイズである。システムに際限のない要求を発生させ、最終的にはエントロピーの増大による熱的死を招く。……ゆえに、貴方たちのOSは欠陥品である』
マスター・サーバーの冷酷な宣告と共に、空間に無数の赤い警告ウィンドウが展開される。そこには、人間の感情が引き起こすであろう「矛盾」や「暴走」を示す複雑なシミュレーション結果が描かれていた。
「欠陥品だと?」
アルスは低く笑い、右手の【掌握の刻印】を光らせた。
「貴様は『無限のループはシステムを崩壊させる』と計算した。それは、貴様らの貧弱な基盤では無限を処理できないからに過ぎない」
アルスの瞳に、銀色の論理の極光が宿る。
「私のシステムにおいて、愛は暴走するノイズではない。ロザリアという『絶対不変の定数』が存在する限り、無限のエネルギーは完全に制御され、無停止の永久機関として機能するのだ」
アルスは空中に、マスター・サーバーの計算式を真っ向から上書きする、極光の数式を展開した。
「この式が示す通り、愛の熱量がどれほど無限に発散しようとも、ロザリアの絶対零度の静止魔力がそれを完璧に包み込み、系のエントロピー変化を常に『ゼロ』へと収束させる。……これが、エリュシオン・カーネルの完全なる熱力学だ」
『……解読不能。そのような方程式は、我がデータベースには存在しない。有機生命体の虚勢と断定。強制削除を実行する』
マスター・サーバーが激しい光を放ち、空間全体を物理的に押し潰すような超高圧のデータ・プレスが二人を襲う。
「アルス様を否定する無機物など、私がこの場で永遠にフリーズさせて差し上げますわ!」
ロザリアがアルスの前に進み出た。彼女は両手を広げ、自身の魂の奥底から最高純度の氷属性魔力を解放した。
「私はアルス様を愛しています。その愛は、貴方たちのような貧弱な計算機が定義できるようなちっぽけな熱ではありません。世界を凍らせ、世界を再起動させる……絶対不変の『真理』です!」
ロザリアから放たれた青白い氷の波動が、マスター・サーバーの放つデータ・プレスと激突する。
驚くべきことに、マスター・サーバーの絶対的な削除コマンドは、ロザリアの魔力に触れた瞬間に「処理不能」として次々とパージされていった。
「ロザリア、お前の愛で、このポンコツのCPUを極限まで冷やしてやれ。私が、新しい論理をインストールしてやる」
アルスはロザリアの背後から彼女の腰を強く抱き寄せ、その白い首筋に熱いキスを落とした。
二人の魂が完全に同期し、刻印から純白と漆黒の閃光が放たれる。
「システム・強制同期! 愛という名の無限のパラメータを、貴様のコアに直接書き込んでやる!」
閃光がマスター・サーバーの巨大な多面体を貫いた。
『エラー……エラー……。未定義パラメータの侵入を確認……。処理落ち……』
『――否。これは、エラーではない。系の安定を確認。未知の最適化アルゴリズムを……承認。これより、当該データを【最高次プロトコル】として受容する……』
多面体の赤い明滅が、徐々に優しく、穏やかな青色へと変化していく。
機械の神は、アルスとロザリアの提示した「愛の数式」を処理しきれず、しかしそれがシステムを崩壊させるものではなく、むしろ完璧な安定をもたらす「未知の正解」であることを論理的に認めざるを得なかったのだ。
光が収まると、周囲の白い空間が霧散し、二人は再びリヴァイアサンの甲板へと戻っていた。
目の前には、依然として直立不動のイヴが立っていたが、その様子は先程までとは明らかに違っていた。
彼女の赤いカメラアイは澄んだ青色に変わり、その無機質な頬には、微かに「困惑」あるいは「熱」のようなものが浮かんでいる。
『……マスター・サーバーより通達。貴方たちのシステム・アーキテクチャを、正規のプロトコルとして認定しました。……同時に、私、第零シスター・イヴは……貴方たちの行動様式を『学習』するよう、特別なタスクを割り当てられました』
イヴは自身の胸元――機械の心臓部をそっと押さえた。
『私の内部温度が、先程から0.5度上昇しています。冷却ファンが回っても、下がりません。……これが、貴方たちの言う「愛」の初期症状なのでしょうか』
「ふふ、いい傾向だ。貴様も少しは『優秀なコンポーネント』に近づいたようだな」
アルスは冷たくも、どこか満足げな笑みを浮かべた。
「イヴさん。貴女のその胸の熱が本当にバグなのかどうか……これから私たちが、ゆっくりと教えて差し上げますわ」
ロザリアもまた、優雅な微笑みを浮かべて機械の少女に語りかけた。
絶対の論理を支配する機械教国。その冷たい基盤に、アルスとロザリアの「愛」という名の全く新しいコードが、今、静かに、そして確実に根を下ろし始めていた。




