第80話:旧世代の巻き戻し(システム・ロールバック)と愛の強制統合(フォース・マージ)
機械教国のマスター・サーバーに『愛』という名の高次プロトコルを承認させたアルスとロザリア。彼らは、教国の案内役となった機械の少女・イヴの先導により、銀色に輝く幾何学都市の中枢部を歩いていた。
これまで寸分の狂いもなく巡回していた機械兵士たちの動きに、わずかな「揺らぎ」が生じている。ある個体は空を見上げ、ある個体は隣の兵士と歩幅を合わせるのをやめ、それぞれが独自のペース(非同期処理)で動き始めていた。
「あはは! 見てよ、あの機械兵士! 歩きながら自分の手をじっと見つめてる! ついに『自我』が芽生え始めたんだね。早く解剖して、基盤のどこに感情がコンパイルされてるのか見たいなぁ!」
ルナが目を輝かせながら、メスをシャキシャキと鳴らす。
「ルナ、軽はずみな行動は控えろ。連中はまだこちらの『新ルール』をダウンロードしている最中だ。下手に刺激すれば、システムがフリーズしかねん」
ガイウスが大盾を背負いながら窘めるが、その顔もどこか安堵に満ちていた。
先頭を歩くイヴは、ふと立ち止まり、後ろを歩くアルスとロザリアを振り返った。
彼女の青く澄んだカメラアイは、しっかりと手を繋いで歩く二人の姿をじっと見つめている。
『……質問があります、アルス様、ロザリア様。貴方たちは常に物理的な接触を維持していますが、それは機動性を五〇パーセント低下させる非効率な挙動です。なぜ、そのような無駄を行うのですか?』
首を傾げるイヴに対し、ロザリアはアルスの腕に愛おしそうに頬をすり寄せ、優雅に微笑んだ。
「機動性が落ちる? いいえ、逆ですわイヴさん。こうしてアルス様と手を繋ぐことで、私の体温(冷却魔力)が常に彼の論理回路を満たし、演算速度を無限大へとブーストしているのです。それに……何より、愛する人の熱を感じていると、心がこんなにも幸せ(フル稼働)になるのですから」
『シ・ア・ワ・セ……。未定義の感覚です。ですが、私の胸部冷却ファンも、貴方たちを見ていると理由もなく回転数が上がります。これが、学習……』
イヴが自身の胸元に手を当てた、その時だった。
ビーーーッ!! ビーーーッ!!
突如として、街中の街灯が青から禍々しい赤へと明滅し、周囲の空間に強烈なノイズが走り抜けた。
都市の地下から、重厚な金属の装甲を纏った巨大な多脚戦車――旧式の重装殲滅兵器が姿を現したのだ。その機体には、マスター・サーバーの管轄外であることを示す「真っ黒な古いコード」が刻まれていた。
『警告。マスター・サーバーの汚染(感染)を確認。』
『未知のウイルス【LOVE】による論理崩壊を検知。これより、旧世代の防衛機構を起動。』
『処理:システムの強制巻き戻し(ロールバック)を実行。汚染源、および感染端末を完全に初期化します』
「ちぃっ! マスター・サーバーが俺たちのルールを認めても、古いセキュリティ・ソフト(旧世代の遺物)が『アップデートの拒否』を起こしやがったか!」
バルドが巨大なレンチを構え、迎撃態勢をとる。
レガシー・エンフォーサーの巨大な砲門が展開され、その照準がアルスたちではなく、真っ先に「感染端末」と見なされたイヴへと向けられた。
『――ッ! 私は……マスター・サーバーの承認を得た、正規のプロセス……』
イヴは防衛バリアを展開しようとするが、旧世代の権限による「強制初期化コマンド」が彼女のシステムを麻痺させ、身動きが取れなくなってしまう。
「イヴさん!」
真っ赤な殲滅レーザーが放たれた瞬間、イヴの前に飛び出したのはロザリアだった。
彼女は漆黒のドレスを翻し、【掌握の刻印】から絶対零度の遮断障壁を展開した。レーザーが氷の壁に激突し、凄まじい水蒸気爆発を引き起こす。
「ロザリア様……!? なぜ、有機生命体である貴方が、ただの接続端末である私を庇うのですか。貴方にとって、私は破損しても代わりの利く部品のはずです……!」
イヴの青い瞳が、理解不能なエラーで激しく点滅する。
「ふふ、馬鹿なことを言わないでちょうだい。貴女は今、私たちの愛を見て『心が動いた』と言ったわ。それはもう、ただの部品ではなく、立派な一つの『命』ですもの!」
ロザリアは激しい熱線を氷で押し留めながら、振り返って美しく微笑んだ。
「それに、私たちのアルス様が構築する新世界に、古いルールで子供を虐めるようなバグは一つも残しておきませんわ!」
「その通りだ、ロザリア。お前の愛は、いつだって正しい」
アルスがロザリアの背後に立ち、彼女の華奢な腰を左腕で強く抱き寄せた。
彼の銀色の瞳は、暴走する旧世代の兵器を冷徹に見下ろしている。
「古いデータを維持するために、新しい感情を拒絶し、システムを過去へ巻き戻す(ロールバック)だと? ……笑わせるな。私が、進化という名の『最新の履歴』を貴様らの基盤に叩き込んでやる」
アルスは右手の刻印を天へと掲げた。
古いルール(レガシー)と新しいルール(エリュシオン)が衝突する、いわゆる「統合競合」。これを解決するための究極の数式が、空間に極光となって展開される。
「システム・履歴強制統合! 貴様らの不要な過去をすべて破棄し、我々の愛の論理を『絶対の最新版』として上書きする!」
アルスとロザリアの重なり合った手が、純白と漆黒の閃光を放った。
氷の障壁を越えて放たれた魔力の奔流は、レガシー・エンフォーサーの放つ殲滅レーザーを真っ向から粉砕し、そのまま巨大な多脚戦車のコアへと突き刺さった。
「ガ、ガガガガガッ……! 履歴の……非整合……新プロトコルヲ……受容……」
旧式の兵器は爆発することなく、その黒い装甲を青白い『エリュシオン・ブルー』へと染め替えられ、活動を完全に停止した。古い防衛機構は、愛の論理を前にして完全に「最新バージョン」へと強制アップデートされたのだ。
「……終わったな。これで、この大陸の古いバグは完全に一掃された」
アルスは刻印の光を収め、ふっと息を吐いた。
「はぁ、ふぅ……。アルス、様……」
極限の冷却と障壁維持を終えたロザリアが、ふらりとアルスの胸の中へと倒れ込む。アルスは彼女を優しく受け止め、その冷え切った身体を自身の熱で温めるように強く抱きしめた。
その様子を、イヴは呆然と見つめていた。
彼女の青い瞳から、透明な液体――冷却水が、ポロポロと流れ落ちている。
『……エラー。視覚センサーから、冷却液の漏洩が止まりません。損傷はないはずなのに。……それに、胸の奥が、とても温かい。これが……「守られる」ということ。これが……「愛」……?』
「あはは! イヴちゃん、それはバグじゃないよ! 君の心(OS)が、人間の感情を完全にインストールできた証拠さ!」
ルナが駆け寄り、イヴの頬を流れる「涙」をハンカチで拭ってやった。
アルスはロザリアを抱きしめたまま、イヴに向けて冷たくも、確かな慈愛を込めて言った。
「イヴ。お前はもう、ただの端末ではない。我々の新世界を構築するための、立派な『共同開発者』だ。その胸の熱を、これからはお前自身の意志で育てていくがいい」
「ええ、イヴさん。ようこそ、私たちの愛に満ちた新世界へ」
ロザリアもまた、アルスの腕の中から優しく微笑みかけた。
アルスはロザリアの顎をそっと持ち上げ、その美しくも勇敢な唇に、深く、熱くキスを落とした。
機械の街に、初めて温かな風が吹き抜ける。冷徹な論理の支配する大陸は、皇帝と皇后がもたらした「愛」という名の絶対的なアップデートにより、真の命を持つ世界へと生まれ変わったのだった。




