第78話:高次元の演算子(パラメータ)と無垢なる機械の論理
機械教国の巨大ゲートを強行突破したリヴァイアサンの周囲を、数万体の機械兵士が沈黙のうちに埋め尽くしていた。その中心で、銀色のケーブルを蛇のように漂わせる機械の少女――接続端末『イヴ』が、アルスたちを冷徹なカメラアイで見据えている。
『感情という無秩序なデータ群は、システムのパフォーマンスを著しく低下させる。貴方たちの言動はすべて非効率的であり、計算資源の無駄。よって、排除する』
イヴの右手が光り、数千の砲門がアルスたちに照準を合わせた。彼女にとって、「愛」や「絆」はシステムの処理を阻害する、削除されるべきゴミデータに過ぎない。
「排除、か。……イヴと名乗ったな。貴様たちの論理では、私の持っている『愛』という定数は、ただの不要なオーバーヘッド(余分な負荷)にしか見えないようだな」
アルスは冷徹に微笑み、リヴァイアサンのデッキを一歩前に踏み出した。彼の右手の【掌握の刻印】が、機械教国のネットワークに深く潜り込み、イヴの防御プロトコルに干渉を開始する。
『……定義不可能なパラメータを確認。その数値、その出力。論理的に矛盾している。なぜ、論理演算の出力を、非論理的な概念である「愛」に依存させる? それは演算効率を極限まで低下させるバグだ』
イヴの瞳が赤く明滅する。彼女の内部回路では、アルスの演算速度と、ロザリアという「定数」によって増幅されるパワーの比率が計算され、理解不能なエラーを吐き出していた。
「効率を低下させるだと? 違うな。私にとって『愛』とは、論理を限界まで加速させるための『高次元のブースト・パラメータ』だ。貴様のような閉じたシステムでは、この計算式を導き出すことは永久に不可能だろう」
アルスが【掌握の刻印】を掲げると、帝国の新OS『エリュシオン・カーネル』のコードが空中に展開された。それは機械教国の無機質な論理とは異なる、複雑かつ優美な、生きた魔導方程式だった。
「ロザリア。演算支援を頼む」
「ええ、アルス様。この冷たい機械たちに、感情の重みがどれほどシステムを美しく彩るか……たっぷりと教えて差し上げましょう」
ロザリアがアルスの腕に寄り添い、彼女の魔力波形をネットワークへと解放する。それは単なる数値ではない。喜び、慈しみ、絶望、そして狂おしいほどの愛という、定義不可能な「重い感情のデータ」の奔流だった。
リヴァイアサンから放たれた極光が、機械兵士たちの回路へと流れ込む。
『――ッ!? 何だ、このデータ量は。重い……論理が書き換えられる。効率的ではない。だが、美しい……?』
イヴの周囲を囲んでいた機械兵士たちが、突然動きを止めた。彼らの赤いカメラアイが、困惑の色を示す黄色へと変わり、ガタガタと震えながら、自身の腕を見つめ始める。これまで「効率」だけを求めていた彼らの基盤に、突如として「なぜ動くのか」「誰のためにあるのか」という、処理不能な問い(クエスチョン)が埋め込まれたのだ。
『警告。接続先の全端末において、意味不明な自己再帰エラーが発生中。論理プロセッサが、感情というバッファによってオーバーロードを起こしています』
イヴは驚愕に目を見開いた。彼女の冷静沈着な表情に、初めて「動揺」という名のバグが走る。
「これが私たちの愛だ、イヴ。貴様らが捨て去った『無駄』の中にこそ、真の最適化の鍵がある。……どうだ、貴様も自分の基盤の中に、この『ノイズ』を書き込んでみるか?」
アルスはイヴの目の前まで歩み寄り、その機械の頬にそっと手を触れた。
イヴの全身から、冷却ファンが過熱で鳴り響くような音が漏れる。彼女はアルスの手に触れられ、自身の論理回路がこれまでにない「高熱」を発していることに気づく。それが故障ではなく、ただの「興味」という名の新しいデータであることを理解できないまま。
『……理解できない。ですが、貴方を即座に消去するプロセスが、致命的なエラーによって実行できません』
イヴは砲門を下げた。殺意は消え、代わりにアルスたちをじっと見つめる好奇心だけが残っていた。
『貴方たちは、我が教国において前例のない「サンドボックス(実験場)」です。……接続は維持します。ただし、我がメインサーバーへの侵入は許さない。この境界線で、貴方たちの論理が教国の論理を上回れるか……検証します』
機械教国の防壁が、アルスたちを閉じ込めるように再び閉ざされる。だが、それは拒絶ではなく、アルスに対する「観測」への移行だった。
「検証か。いいだろう。貴様らのシステムそのものを、私の愛で塗りつぶしてやるまでだ」
アルスは不敵に笑い、ロザリアの手を強く握り直した。
機械と愛。論理と感情。二つの全く異なる文明の衝突は、今、極洋の果てで新たなフェーズへと突入する。
機械教国の深部では、アルスたちの存在を検知した「中央メインフレーム」が、今まさに禁断の再起動を開始しようとしていた――。




