第77話:強硬接続(フォース・ハンドシェイク)と機械教国(マキナ・ドメイン)の絶対防壁
未定義の混沌である「死の海」を切り裂き、超弩級列車『リヴァイアサン』はついに未知の沿岸部へと到達した。
そこは、アルスたちが再構築したエリュシオン帝国のような、自然と魔導が調和する世界とは根本的に異なっていた。地平線の彼方まで続くのは、冷たい金属の光沢を放つ幾何学的な大地。空は雲一つない無機質な灰色のグリッドで覆われ、海と陸の境界線には、天を突くほど巨大な「六角形のエネルギー防壁」が隙間なく張り巡らされていた。
「こいつは……ドワーフの美学の対極にあるような景色だな。遊びも、温かみも、一切ねぇ。ただの巨大な『機械の塊』じゃねぇか」
操車室から身を乗り出したバルドが、忌々しそうに金属の沿岸を睨みつけた。
「殿下、防壁の向こう側に生命反応――いや、微弱な魔力の波長を感じますが、我々の知る『人間』のものとは大きく異なります。完全に均一化された、不気味な脈動です」
ガイウスが大盾を構えながら、油断なく周囲を警戒する。
「あはは! 最高だよ、あっちの大陸! 全部が人工物でできてるみたい! あの中にいる『均一化された住民たち』を早く解剖して、どんなソースコードで動いてるのか確かめさせてよ、アルス!」
ルナが特製のメスをカチャカチャと鳴らしながら、よだれを垂らさんばかりに興奮していた。
リヴァイアサンが沿岸の巨大なゲート――『入出力港』とおぼしき場所に近づいた瞬間、空間全体を震わせる無機質な電子音声が鳴り響いた。
『警告。未登録のMACアドレスからの接続要求を検知。』
『当該パケットはホワイトリストに存在しません。プロトコル不一致。』
『処理:接続拒絶(Connection Refused)。ただちにセッションを破棄し、領域外へ退去してください』
「ほう……。こちらの『スリーウェイ・ハンドシェイク(通信確立要求)』に対して、問答無用でポートを閉ざすか。随分と排他的なファイアウォールだな」
アルスは艦首デッキの最前線に立ち、右手の【掌握の刻印】を冷たく光らせた。
彼は一切の躊躇なく、相手のゲートに向けて「エリュシオン皇帝」としての正式な認証キー(公開鍵)を送信した。しかし、ゲートの六角形シールドは赤く明滅し、さらなる拒絶の警告を弾き返してきた。
『エラー。未知の認証局(ルート証明書)です。』
『防衛プロトコル・フェーズ2へ移行。不正アクセス(DDoS)と判定。対象の排除プロセスを開始します』
ズガガガガッ!!
ゲートの壁面から無数の砲門が展開され、リヴァイアサンに向けて致死性の赤いレーザーが雨霰と降り注いできた。
「ハッ! 挨拶代わりに発砲とは、ずいぶんと野蛮なシステムじゃねぇか! シールド最大出力!」
バルドが怒鳴り、リヴァイアサンの魔導防壁が赤いレーザーを弾き返す。
「……相手が対話(正規ポート)を拒むのなら、管理者権限で強行突破するまでだ。この世界の裏口をこじ開ける」
アルスは冷酷な笑みを浮かべ、自身の脳を強制的にオーバークロック状態へと引き上げた。
彼の視界に、敵のファイアウォールの何重もの暗号化アルゴリズムが滝のように流れ込んでくる。だが、相手は大陸規模の巨大サーバー。その暗号鍵を総当たり(ブルートフォース)で突破しようとすれば、アルスの脳に致死的な演算熱が発生する。
「チッ……。強固なハッシュ関数だ。処理速度が、わずかに足りな――」
「――足りない分は、私の愛をすべて使ってくださいませ、アルス様」
限界を迎えかけたアルスの背中に、極上の冷たさと柔らかさが、吸い付くように密着した。
ロザリアがアルスの首元に腕を回し、その白い頬を彼の熱を帯びた頬へとぴったりとすり寄せた。彼女の纏う漆黒のドレスから、絶対零度の静止魔力がアルスの脳髄へと直接注ぎ込まれ、オーバーヒートしかけた思考回路を一瞬にして完璧な氷点下へと冷却する。
「ロザリア……。またお前に頼ることになるな」
「夫婦なのですから、頼るのは当然の権利(アクセス権)ですわ。……それに、あの無機質な壁、とっても目障りです。私の愛するアルス様の行く手を阻むなんて、万死に値する『バグ』ですもの」
ロザリアは愛おしそうにアルスの耳元で囁きながら、その美しい瞳を敵のゲートへと向け、苛烈な零度の殺意を放った。
「ああ。お前という絶対の冷却装置があれば、私の演算は無限の彼方まで加速する」
アルスはロザリアの手を自身の右手に重ね合わせ、【掌握の刻印】から放たれる極光の束を、敵の強固なファイアウォールの「論理的な隙間(脆弱性)」へと一点集中させた。
「システム・権限偽装。貴様らのホワイトリストに、我がエリュシオンの特権IDを強制代入する!」
純白と漆黒が交じり合った魔力の杭が、六角形のエネルギー防壁のハッシュ関数を物理的に粉砕した。
パラリンッ! という甲高い音と共に、絶対に破られないはずの外部サーバーの絶対防壁に、巨大な「亀裂」が走った。
『致命的なエラー! ファイアウォールに致命的な脆弱性を確認!』
『不正なルート権限の侵入! ゲート、強制開放――』
無機質な電子音声が悲鳴のように歪む中、天を突く巨大な金属のゲートが、轟音を立てて左右へと真っ二つに割れた。
強硬接続完了。アルスとロザリアの愛の演算が、未知の大陸の入り口を完全に制圧したのだ。
「うおおおお! 道が開いたぜ! このまま一気に上陸するぞ!」
バルドが歓喜の声を上げ、リヴァイアサンは開かれたゲートの奥へとその巨体を滑り込ませた。
ゲートの奥に広がっていたのは、さらに異様な光景だった。
空を飛ぶ無数の幾何学的なドローン。規則正しく並んだ金属の摩天楼。そして、港に整列し、侵入者であるアルスたちを無機質なカメラアイで見つめる、数万体もの「機械化された兵士たち(サイボーグ)」。
その軍勢の最前列に、ひときわ精巧な造りをし、背中に銀色のデータ・ケーブルの束を生やした一体の美しい機械の少女がふわりと降り立った。
『――ファイアウォールの突破を確認。想定外のエラー・オブジェクトです。当機は、機械教国の外部接続端末、第零シスター【イヴ】』
少女は感情の欠落した声で告げながら、その右手をアルスたちへと向けた。
『貴方たちの有機的な情動は、我が教国の最適化されたシステムには不要です。これより、論理的消去を実行します』
未知なる機械の大陸『マキナ・ドメイン』。
「感情」というノイズを完全に排除し、冷徹な論理だけで構成されたその世界に対して、アルスはロザリアの腰を抱き寄せたまま、不敵で、狂気的な笑みを浮かべた。
「不要だと? 貴様らのような貧弱なローカル・ルールで、私とロザリアの『愛』を消去できるものなら、やってみろ。……私が、お前たちに真の『論理』というものを教育し直してやろう」
皇帝と皇后の、理性を超越した熱き愛のコードが、冷徹な機械の大陸をハッキングするための最初の宣戦布告のキーボードを、今、力強く叩き鳴らした。




