第70話:世界初期化(フル・フォーマット)の裁定者と非破壊デバッグの誓い
世界の心臓部『天の階梯』。アルスがロザリアという最高の鍵(ルート権限)を以て世界の全権限を掌握したその瞬間、青く染まった巨大な光の柱から、それまでの物理的な法則を完全に超越した「システム・コンソール(制御盤)」が二人の前に浮かび上がった。
そこには、大陸の地脈エネルギー、人々の魂の総量、そして世界の寿命が刻一刻と演算されている様子が、青白い幾何学的なウィンドウとなって無数に展開されていた。
だが、安堵の息を漏らす間もなく、コンソールの最前面に血のような赤色で描かれた、一際巨大なポップアップ・ウィンドウが出現した。
『管理者権限(root)の認証を確認しました』
『警告:システムファイルに修復不可能な脆弱性が多数検出されています』
『推奨処理:システム領域の完全初期化(Format & Clean Install)を実行してください』
『※初期化を実行した場合、現行の全ユーザーデータ(全人類の記憶および存在)は消去されます』
「な……んだと……?」
操作盤を見上げていたバルドの声が、恐怖で上ずった。
「せ、完全初期化って……まさか、世界を丸ごと更地にして、最初から作り直すってことか!? そんなことをしたら、俺たちや、王国のやつらはどうなるんだ!」
「文字通り、一度『ゴミ箱』に捨てられて完全に消去されるということだ、バルド」
アルスは冷徹な眼差しで画面を睨みつけた。
「この世界を作ったシステム(神)にとって、我々人類は『バグを発生させ続ける不要な一時ファイル(キャッシュ)』に過ぎないらしい。ルート権限を得た者が行うべき最初の仕事として、システムは『人類の完全消去』を求めてきているのだ」
「あはは! 最高じゃない! 全人類を同時に消去するなんて、神様もずいぶんと大胆な執刀医だね!」
ルナがメスをくるくると回しながら、狂気的な笑みを浮かべる。しかしその手は微かに震えていた。ガイウスもまた、重厚な剣の柄を固く握りしめ、静かにアルスを見つめている。
「殿下、私たちは……ここまで来て、消え去る運命を選ぶしかないのですか?」
全員の視線が、王たるアルスへと集まる。
システムが提示したもう一つの選択肢は、既存のデータを保持したままシステムを書き換える「非破壊ホットアップデート(Live Upgrade)」だった。だが、その成功確率は『$0.00001\%$』。少しでも演算のステップを間違えれば、世界はデバッグの途中でクラッシュし、宇宙の塵と化す。神のシステムは、そんな無謀な試みを一瞬で拒絶するよう、冷徹に警告を繰り返していた。
「……愚問だな。私がいつ、システム側の『推奨設定』などに従った?」
アルスは冷酷に、しかしその瞳の奥に、不敵で狂気的な挑戦の光を灯して微笑んだ。
「神が世界をフォーマットしろと言うなら、私は神の設計図自体をデバッグして見せる。誰一人として消去はさせない。既存データをすべて保護したまま、この壊れかけた世界を『無停止稼働』のまま最新バージョンへと書き換える(オーバーライト)」
「ふふ、さすがは私の大切な管理者様。そうおっしゃると思っていましたわ」
ロザリアがアルスの傍らに歩み寄り、その華奢な身体をそっとアルスに寄り添わせた。
彼女の纏うドレスは、コアの青白い光を反射して、神聖なまでの美しさを放っている。ロザリアは生身の両手でアルスの右手を包み込み、その絶対の魔力を彼の刻印へと滑り込ませた。
「現行データの保存、および並行プロセスの実行。そのために必要な超次元の演算は、全てこの私が冷やし、支え続けます。……さあ、世界を驚かせて差し上げましょう、アルス様」
「ああ。お前という絶対の定数(錨)があるからこそ、私はこの限界突破の式を解くことができる」
アルスはロザリアの手を力強く握り返すと、コンソールのキーを猛烈な速度で叩き始めた。【掌握の刻印】から放たれた極光の数式が、神の初期化プログラムへと侵入していく。
「システム・非破壊ライブアップグレード実行。フォーマット要求を完全に上書き拒絶し、全人類の生存データを最優先でバックアップ領域へ転送する!」
アルスとロザリアの共鳴した魔力が、天の階梯から大陸全土へと、目も眩むような青い光の波動となって一気に拡散していった。
その瞬間、コンソールの中から、システムそのものの防衛意思とも言うべき巨大な真紅の影――『フォーマット・デーモン』が顕現し、牙を剥いた。それは、何としても世界を無へと戻そうとする、神のシステムの絶対的な裁定だった。
「防衛プログラムの最終迎撃を確認。……各員、これより私のデバッグ作業を妨害するすべてのエラー(敵)を粉砕しろ!」
「おうよ! ここが最後の踏ん張りどころだ! 職人の意地、見せてやるぜ!」
バルドが叫び、ガルガンチュアの主砲を放つ。ガイウスとルナもまた、押し寄せる赤い警告コードの群れに向けて、自らの全力を叩き込んだ。
「はぁ、はぁ……アルス、様……! システムの反動が、直接脳へ……!」
ロザリアの額に冷たい汗が流れ、彼女の白い肌が限界の負荷で微かに赤みを帯びていく。世界の初期化を力ずくで止めるその負荷は、彼女の魂を直接削りかねないものだった。
アルスは躊躇うことなく、ロザリアをその胸へと強く抱き寄せた。
そして、彼女の冷え切った唇に、自身の唇を深く、割り込むように重ね合わせた。
「ロザリア……。お前を絶対に失いはしない。私のシステムにおいて、お前を生かすこと以上に優先される論理など存在しない!」
二人の魂の同期率が限界の壁を突破し、まばゆい純白の光となって天の階梯を満たしていく。神の初期化プログラムとの、世界の命運を賭けた最後の『非破壊デバッグ』という名の総力戦が、いま完全に幕を開けたのだった。




