第6話:飢える獣と悪女の囁き
エリュシオン王都は、異様な空気に包まれていた。
無敵を誇ったシュヴァルツェイン帝国軍が王都を占拠して数日。
歓喜に沸いていたはずの黒鋼の兵士たちの顔には、今や焦燥と疲労が色濃く浮かんでいた。
「……どういうことだ。後方からの補給部隊がまだ到着しないだと?」
王城の一室で、駐留部隊を任された帝国の将校が怒鳴り声を上げる。
「はっ。数日前に黒鋼山脈を越えたという報告を最後に、連絡が途絶えておりまして……」
「馬鹿な! 十万の軍勢が食べる麦だぞ。神隠しにでも遭ったとでも言うのか!」
焦りは、やがて飢えという最も原始的な恐怖に変わる。
兵士たちの胃袋は限界に近づいていた。
本来であれば、占領地である王都の備蓄を奪えばいい。
将校は血走った目で、冷酷な命令を下した。
「ええい、構わん! 市民の家から食糧を徴収しろ! 逆らう者は斬り捨ててもよい!」
飢えた獣と化した帝国兵たちは剣を抜き、王都の市街地へと雪崩れ込んでいった。
しかし――
「……ありません! どの家の蔵も、商館の倉庫も、すべて空っぽです!」
「なんだと!? そんなはずはないだろう!」
帝国兵たちがどれだけ家探しをしても、麦の一粒すら見つからなかった。
それどころか、怯えているはずの市民たちの目には、奇妙なほどの「余裕」と「反抗心」が宿っていたのだ。
理由が分からず苛立つ帝国兵たちを、路地裏の暗がりから見つめる影があった。
「ふふっ。馬鹿な獣たち。いくら探しても無駄ですわよ」
艶やかな黒髪を揺らし、ロザリアは扇で口元を隠して冷笑した。
彼女の足元には、薄汚れた孤児たちや、裏社会の顔役たちがひざまずいている。
彼らの手には、アルスが手配した規格化された木箱から配られた、上質な白パンと干し肉が握られていた。
「よくやってくれましたね、私の可愛い小鳥たち。……で、噂の広まり具合はどうかしら?」
「完璧だぜ、お嬢。あんたの言った通りに触れ回った。『帝国軍の補給は第七王子の部隊によって完全に燃やされた。あいつらはもうすぐ飢え死にする』ってな」
「市民はみんな、床下や壁の中に食糧を隠し終えてる。帝国兵に麦一粒たりとも渡す気はねえよ」
ロザリアは満足げに微笑んだ。
人間を動かすのは、恐怖ではない。「利益」と「希望」だ。
アルスが用意した絶対的な食糧(利益)を対価に、ロザリアは王都中の裏社会を完全に手足として支配していた。
さらに、「第7王子には無限の食糧がある」という希望を市民に与えることで、帝国軍への協力を根絶やしにしたのだ。
「殿下の能力は本当に完璧ですね。まさか王都の隠し通路や、備蓄の正確な位置まで全て把握しているなんて」
ロザリアは手元の羊皮紙――アルスから共有されたマップ――を見つめる。
そこには、右往左往する帝国兵の光の点と、市民が食糧を隠した安全地帯がくっきりと示されていた。
アルスの兵站管理能力と、ロザリアの心理操作。
二つの力が合わさった時、王都は帝国軍を閉じ込める巨大な「鳥籠」へと変貌したのだ。
「さあ、飢えに狂いなさい、黒鋼の獣ども。……あなたたちが同士討ちを始めるまで、私たちがゆっくりと観察してあげますわ」
悪女の甘い囁きが、絶望の包囲網をさらに固く締め上げていく。




