第3話:温かいスープと反撃の狼煙
砦の門をくぐったガイウスを待っていたのは、信じがたい光景だった。
泥まみれで血を流す敗残兵に対して、基地の兵士たちは誰一人として慌てていなかった。
手慣れた様子でガイウスの折れた武装を外し、乾いた毛布を被せ、静かで暖かい天幕の奥へと案内する。
「……食え」
天幕の中央。
羊皮紙から目を離さずに、第7王子アルスが短く命じた。
ガイウスの目の前に置かれたのは、湯気を立てる厚切りの焼肉と、豆がたっぷりと入った熱いスープだった。
「毒は入っていない。お前のように燃費の悪い男には、高カロリーな食事が必要だろう」
ガイウスは警戒する余裕すらなく、無我夢中で木皿に食らいついた。
温かい肉の脂とスープが、冷え切った胃の腑に染み渡る。
丸一日ぶりに口にするまともな食事だった。
震えていた指先に、嘘のように力が戻っていくのを感じる。
「……なぜ、逃げないのですか」
皿を空にしたガイウスが、喉の奥から絞り出すように問う。
「十万の本隊は壊滅しました。帝国軍の本隊が、じきにここまで押し寄せてきます」
「逃げる必要がないからだ」
アルスは淡々と答えた。
「お前が死にかけてここまで逃げてくることも、敵軍がこちらに向かっていることも、すべてこの羊皮紙の上で把握している」
「把握している、だと……?」
ガイウスは息を呑んだ。
目の前の銀髪の王子は、最前線が崩壊するというこの絶望的な状況を、まるでチェス盤の上から眺めているように落ち着き払っていた。
「それに、お前のその規格外の腕力は、我が軍にとって極めて有用な『資産』だ。ここで死なせるには惜しい」
アルスが顎でしゃくると、待機していた軍曹が一本の剣を運んできた。
それは量産品ではなく、分厚く、黒鈍色に光る剛剣だった。
「お前が並の剣を五振りでへし折ることは計算済みだ。その剛剣なら、百人を両断しても刃こぼれ一つしない。……在庫として確保しておいた」
「これを、俺に……?」
自分の異常な力に耐えうる剣など、王都の第一騎士団にいた頃すら与えられなかった。
それを、一度も前線に出たことのないはずのこの王子が、なぜ用意できたというのか。
困惑するガイウスの前に、アルスは一枚の羊皮紙を広げた。
「敵は十万の軍を破ったことで勝利に酔い、致命的なミスを犯した。補給を無視して、大軍のまま突出している」
アルスの指先が、羊皮紙の上に浮かぶ光の点の一つをなぞる。
「前線から遥か後方。山道を抜けてくる敵の食糧部隊だ。護衛は薄く、前線との連携も取れていない。……今の帝国軍の胃袋は、極限まで伸び切っている状態だ」
「まさか、殿下は……」
「兵士の士気は、気合や魔法の威力では決まらない。美味い飯を食ったかどうかで決まる」
アルスは冷たい灰色の瞳で、ガイウスを真っ直ぐに見据えた。
「さあ、腹一杯食ったら仕事の時間だ、ガイウス。敵の胃袋を、ピンポイントで刈り取るぞ」
その瞬間、ガイウスの背筋を強烈な悪寒と、それを上回る圧倒的な高揚感が駆け抜けた。
本国軍の愚かな将軍たちが束になっても敵わない、底知れぬ知略。
そして、絶対に味方を飢えさせないという、異常なまでの管理能力。
(この御方なら……俺を、絶対に無駄死にさせない)
ガイウスは新しく与えられた剛剣の柄を握りしめ、その場に深く、深く膝をついた。
「この命、殿下に捧げます。……俺に、何を斬らせるおつもりで?」
「敵の食糧を全て焼き払え。飢えた帝国軍が同士討ちを始めるまでな」
最強の鉾と、最強の兵站。
のちに大陸全土を震え上がらせる、最恐の主従が誕生した瞬間であった。




