太陽の匂い
その日、南の空はひときわ高く澄んでいた。
白い雲の間を風が渡り、花々の影が庭に踊る。
アダンは執務室の窓を開け、辺りの陽気を吸い込むかのように深く深く息を吸う。
思い浮かぶのは、いつでもレウの微笑みであった。
日焼けの跡がすっかり落ち着き、今やその肌は白と褐のまだらがやわらかく馴染んでいた。
「絵に描いたら、怒るかなあ……」
アダンはぽつりと呟いて、久方振りに筆を手にする。
実は彼には、絵の才能があったのだ。
この領に仕える画師たちは多くいたものの、今は、誰の手も借りたくはなかった。
自らの目で、心で。あの光景を、留めておきたいと思ったのだ。
しばらく筆を動かしていると、レウが部屋を訪れた。
「……アダン様。絵を……描いていらっしゃるのですか……?」
「ああ、レウ……。ちょうどいい、君を描いていたところなんだ」
「……僕を?」
レウは顔を赤くして、思わず背筋を伸ばしてしまう。
「ははっ、そんなに緊張しなくても大丈夫。ちょっと、ここに立ってくれるかい?」
アダンは穏やかに笑い掛け、レウを窓辺へと手招いた。
「そう、そのままここにいて……。光の当たり具合を確かめたいんだ」
かすかに戸惑いながらも、レウは言われた場所に立ちすくむ。
外から差し込む陽の光が、彼の黒髪をさらに色濃く彩りはじめる。
日焼けをしたその肌もまた、光を浴びて温かな光を生み出していく。
「あの、アダン様……」
「しーっ……。このまま、僕だけを見つめていて?」
アダンは、筆を止めることができなかった。
レウの腕に、首に、頬。白と褐とが織り交ざり、淡い陰影をつくっていく。
「やっぱり君は、美しい……!まるで、太陽の精みたいだ」
「そんな、……」
「本当だ。君を見ると、この国の陽が少しは優しくなるような気がするんだ」
レウは照れくさそうにくすりと笑い、そっとアダンの手元を覗き込む。
そこには、自らの姿が神々しく描かれていた。
「僕……、アダン様の目に……このように見えているんですか……?」
「ああ、そうだよ?この国と北国との境目が、君の中で混ざりあっているようだねえ」
「……境目……」
「最初は、違いだと思っていた。けれど、今は……美しさ……だと思うんだ」
そのような言葉に、レウの胸は震えていく。
アダンの声はひどく穏やかで、どこまでも優しくあったのだ。
「陽に焼けた君の肌を見てから、俺はずっと考えていた。君がこの国に馴染んでいくたびに、俺の世界が……少しだけ、広がっていくような気がするんだ」
とても、静かな言葉であった。
だがそれは、レウの心の奥へと深く深く沁みていく。
レウの姿を描き上げた後、アダンは満足げに微笑んだ。
二人は笑みを交わしながら、一枚の絵を見つめていた。
ほどよい熱を含んだ風がカーテンを揺らし、陽の光が二人の肩を撫でていく。
「……アダン様……」
「なんだい?」
「この焼け跡は、いつかは……消えてしまうかもしれません……」
「いいさ。たとえ消えたとしても、こうしてここに残っている」
その言葉に、レウはかすかに笑みを深める。
アダンは静かに筆を置き、そっとレウの手に触れた。
「せっかくの機会だから……。これも、描いておこうか」
「……何を、ですか?」
「君の、この手を握った時の温かさを……」
レウは小さく息を呑み、それから、ゆっくりと指を絡めていく。
「……ありがとうございます……。嬉しいです……」
――この笑顔も、永遠にここに残しておきたい。
アダムは思わず、顔を片手で覆ってしまう。
「アダン様……?」
レウがその顔を見上げれば、陽の光のせいか頬がわずかに赤らんでいた。
「……アダン様のその顔も……、残しておきたいくらいです……」
笑みを交わす二人の影が、陽の光にゆっくりと重なっていく。
それは心の奥に、確かに、二人の絵が刻まれていく瞬間でもあったのだ。
***
南の夏が、いちばん深くなる頃。
空は燃えるように青く、その風までもが強い熱気を帯びていた。
レウの肌は、日に日に色を変えていった。
初めは、白に薄く褐が混ざる程度であったものの、今はもはや、肩も腕も、健康的な琥珀の色に染まっていた。
庭で陽を浴びながら薬草の手入れをするその姿は、まるで太陽そのものであるかのようにアダンの目には映っていた。
ふと、レウが顔を上げてアダンに向けて小さく手を振る。
そのような愛らしい姿を目にするたびに、アダンの胸の奥にはただならぬ想いが芽生えていく。
この国の誰よりもまっすぐで、真面目で素直な、無防備な青年。
その肌に宿った色が、自らの知らない熱を呼び覚ましていくようでもあったのだ。
夕方、レウはいつものように庭から戻る。
その髪はわずかに乱れ、額には汗が光っていた。
「……アダン様、今日は薬草が、たくさん採れました……」
ひどく明るい声で、レウはにこやかに微笑んだ。
しかしその首元から覗く肌が、夕陽に照らされて金色に輝く様を目にして、アダンは言葉を失った。
「……ずいぶんと、焼けたものなあ」
「……はい……。アダン様と、一緒です……」
そう笑って見せるレウの頬にも、薄く赤が残っていた。
思わず、アダンの指先が動きそうになってしまう。
――肌に触れて、その温もりを確かめたい……。
「火照っては……いないかい?」
「はい、少しだけ。……でも、今日は風が気持ちいいですから……」
レウはそう言って、静かに窓を開け放つ。
熱気と共に、花と土の香りがたちまち部屋に広がった。
アダンは深く、息を吸い込む。
――太陽の香りだ。
それはレウの肌の匂いと混ざり合い、どこか甘く、胸の奥をくすぐった。
「……レウ、」
「はい……。なんでしょう?」
レウは照れくさそうに笑い、視線を伏せた。
その瞬間、アダンは耐えることができなかった。
足が自然に動き出し、その手がレウの背に回る。
「……アダン、さま……?」
驚いたような声が、近くで震える。
そのままアダンは、レウの身を強く抱きしめた。
汗ばんだ肌が、薄い衣越しにかすかに触れ合う。
陽の香りが、さらに濃く、二人の鼻を掠めていく。
互いの鼓動が、同じような速さで響いていく。
「ごめん。どうしても、君に触れたくなったんだ……」
「……いえ……」
レウの声は、ひどく優しく響いていく。
逃げるような素振りも見せず、ただそっと、アダンの胸に額を預けた。
沈黙が、長く続いていく。
けれどその沈黙は、ひどくあたたかなものであった。
窓の外では、南の風が草花を撫でていた。
「この国は……とても……あたたかいですね」
「君が来てから、もっとあたたかくなったような気がするよ」
アダンは微笑み、レウの髪を撫でていく。
――触れるだけで、この胸は痛いほどに苦しくなる。
しかし、これ以上踏み出すようなことはできずにいた。
今はただ、この熱を確かめるだけで充分でもあったのだから。
「俺の愛しいレウ。君の肌が焼けていくたびに、俺の心も焦がしてしまいそうだよ」
「……焦げたら、僕が冷やしてあげますね……」
「それはそれは、嬉しいなあ」
二人の笑い声は、夏の夜気に溶けていく。




