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月魂の記|〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜  作者: 雪丘 晴佳世
零章 虚空編 〜絶望の月読術師、闇を拓き黒き理を屠る〜 

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第14話 晦──人災がもたらす救済

 数ヶ月の刻が流れ、私は傀儡(かいらい)の新王の要望に応じ、私を「鬼子(おにご)」と蔑み泥濘へ放逐した故郷・紫耀(しよう)の里へと足を踏み入れた。王の視察に先んじた、地ならしのための先行調査だ。


 網膜に映るのは、郷愁(きょうしゅう)とは無縁の凄惨な景色だった。風雨に晒され崩れ落ちた土壁、悪臭を放つ水溜まり。男たちは己の暴力と怠惰を権威と履き違え、濁酒の饐えた匂いの中で獣の欲望を(むさぼ)っている。対して、弱肉強食の習いにおける弱者の女たちは、光を失った虚ろな瞳で地を這い、家畜と同等に扱われていた。

 剥き出しの醜悪な支配構造。その光景は、玉藻の四肢を縛り付けた理不尽な鉄鎖の記憶と重なり、私の指先に明滅する術式の幾何学模様を禍々しく脈動させる。


 私は救済の聖者ではない。ただの掃除人だ。

 王の歩みを汚す「害獣」を排除する。ただそれだけの理由で、私は虚空に向けて静かに一本の指を滑らせた。


 絶叫すら間に合わない。里を占拠していた成人男性たちは、私の編んだ絶対的な理の前に一斉に膝を折り、肉の塊へと成り果てた。大量の紫色の血が乾いた土へ黒く染み込んでいく。

 鉄錆と排泄物が混ざった死の臭気が立ち昇る中、私は最も衆波の濃い一人の女を見定める。

 阿猿(あえん)の喉を介し、錬丹術の片鱗――己の肉体を武器に変え、生命を紡ぐ防御の理――をその脳髄へ叩き込んだ。


「――落花狼藉(らっかろうぜき)を排し、この土地を女の腕で統べてみよ」


 慈悲など微塵もない。男という変数を抹消した後の群れが、いかなる変質を遂げるかを観測する冷徹な実験だ。幼少の(みぎり)、私に石を投げた女たちが、今や震える手で私の足元へ平伏し「紫耀の希望」と讃え祈る。衆波(しゅうは)の極端な反転は、私の中の底なしの毒笑を誘い出した。


 顔の筋肉は微塵も動かさない。ただ、冷徹な灰色の瞳孔が氷の刃を研ぐ軌跡を描いて細められ、絶対零度の嘲笑が網膜の奥だけで渦を巻く。人間性を完全に削ぎ落とした、怪物にしか成し得ない静謐な狂気だ。


 夜明け前、有明(ありあけ)の月が白磁の光を地上に落とす刻。

 紫耀の土に染み込んだ獣脂と血の臭気を、黎明の凍てつく冷気が薄めていく。

 死骸の山と化した里の境界、一本の古木の枝に「奴」はいた。


 夜風に遊ぶ銀髪。極光を閉じ込めた宝石の双眸で、静かにこちらを見下ろしている。その背後に揺らめく衆波は、純白と銀が混じり合う異形の極彩色(ごくさいしき)。巨大な白狐の霊気が、神聖と冒涜を同時に孕んだ輪郭を成している。


(――幼き日。私に導器を投げ与え、欠陥品の私を『面白い』と笑ったあの女か)


「ぬしも、(わし)と同じく人災を招く(たぐい)のようだ」


 唇の動きを読み取った瞬間、背筋を氷の刃が撫でた。今なら分かる。その喉から漏れる重厚な残響は、疑いようもなく男のものだ。

 阿猿が白銀の短剣を抜き、殺気を孕んだ振動が大気を震わせる。だが、その獣には、敵意すらも透過させる圧倒的な「孤独」が漂っていた。


「……何奴!」


 阿猿の威嚇する声帯の震えが、地面を伝い私の足元へ届く。


「儂は、(かい)。長生きしすぎて、姓は忘れちまった」


 晦は短く答え、重力を無視した跳躍で私の眼前へ降り立った。着地の音すらない。

 直後、私の横に控える阿猿の全身が、限界まで引き絞られた鋼線の音を立てて硬直する。獣の反射神経すら凌駕する晦の異常な落下軌道に対し、阿猿は瞬時に体勢を沈め、大腿と背の筋肉を爆発の寸前まで圧縮した。白銀の短剣を握る指の関節が白く浮き上がり、濃密な殺気を刃の切先へと極限まで凝縮させる。鼻腔を突くのは、記憶の底にある沈丁花(じんちょうげ)の、甘く暴力的な芳香。


「よぉ。……やっぱりあの時の小僧か。生きてやがったか、久しぶりだなぁ」


 死角から放たれた阿猿の切先が首筋を捉える。だが、晦は微塵も動じない。むしろ太々しいまでに悠然と構え、喉の奥で(わら)った。


「半獣か。里に来てから時折感じた視線は、貴様か?」

「里の外まで、あれだけ男どもの阿鼻叫喚(あびきょうかん)が聞こえてりゃぁ、様子をうかがいたくもなるだろ。たまに贅沢してぇ時の、儂の金蔓(かねづる)だったんだがな……ま、あんな汚ねぇ連中、殺されて当然か」


 晦の纏う波形は、風を操る神官の灰霄衆(かいしょうしゅう)のそれと似ている。だが、奴の気配は神官の清廉さとは程遠い。泥を啜り、闇を駆ける野生の自由を宿している。


「儂は墨海(ぼっかい)の海岸線で、白狐狼(びゃっころう)と放浪して生きてんだ。冬は目まで凍っちまうから、内陸を風来する」

「なぜ、人里で生きぬ」

「この身は、生きてるだけで人を誑かしちまう、人災の塊よ。……ぬしらも、儂の毒に当てられてくれんなよ」


 晦が口角を吊り上げる。女と見紛う美丈夫だ。二十歳そこらの艶やかな若さを保ちながら、瞳の奥には数世紀を生き抜いた円熟の狂気が揺らめいている。己の欲望を満たすことしか知らぬあの王や愚かな商人たちであれば、是が非でも手中に入れようと醜い邪心を目覚めさせるに違いない。


「小僧。……相変わらず耳は聞こえねぇんだな」


 晦は落胆の吐息を漏らし、首の後ろを乱暴に掻いた。


「救いになればと渡した気まぐれが、他人には厄を招いちまったか。……儂が与える救済は、どういうわけか人界では災いに転じる。――なぁ、小僧。何故それほどまでに、死の匂いをまとってやがる」


 責める響きはない。純粋な好奇心と、同族を眺める乾いた憐憫(れんびん)


「......危険、排除」


 喉を震わせ、無機質な摩擦音を絞り出す私に、晦は鼻で笑った。


「まぁいい。小僧の掃除のおかげで、住みやすい土地になった。この里周辺に縄張りを置こうかと、今し方考えてたところだ。礼代わりに、儂の群れに里の女どもを守らせてやんよ。暇つぶしでな」


 晦は再び跳躍し、樹冠(じゅかん)の闇へと消えていく。


「小僧ども。日の下で、あまりに派手に(わざわい)を咲かせすぎるなよ。天の眼に止まって、鬼神(きじん)が降臨するぞ。気ぃつけな」


 自嘲気味な笑みを残し、有明の空の下、凍える風と共にその姿は霧散した。人界の理から外れた私自身の鏡像を見せられた錯覚と、奇妙な連帯感だけが残る。


「沈丁花の匂いはするが、体臭がない。奇妙な男だ」


 阿猿の警戒する唸りが届く。獣の嗅覚を持つ彼ですら、男の残滓を正確に刻めずにいた。


「……人ではない。白狐(びゃっこ)......妖霊の類」


 奴は、私が見捨てたこの里に『縄張りを置く』と言った。


(――お前も私と同じく、天に捨てられ、地に居場所を持たぬ『人災』か)


 私は、指に馴染んだ古びた銀の指輪に触れる。

 父が「盗品」と蔑み、晦が「退屈しのぎ」に投げ与えたガラクタ。


(――父よ。貴様が突き出そうとしたこの『種』は、今、血の雨の中で救済という名の禍々しい花を咲かせたぞ)


 感情を削ぎ落とした網膜の奥で、冷たい嘲笑が静かに波紋を広げた。

 高尚な守護ではない、互いに単なる気まぐれ。だが、その気まぐれこそが、この先五百年の長きに渡る、私と白狐の歪な不可侵条約の始まりだった。



___________________________




<前回までの登場人物>


紫暮 音無(しぐれ おとなし)

零章の主人公。

耳が聞こえず、言葉が話せない。紫の髪。左右で異色の双眸(右目は灰色の弱視、左目は紫色のオッドアイ)の少年。三十年を超えられない短命な紫耀(しよう)の里で生まれ、親に売られた。

紫耀と黒曜国では不吉とされる身体障害者だが、聴力と一部の視力が閉じた分、圧倒的な演算能力を持ち、他者の感情や生命の脈動を「衆波(しゅうは)」として視覚的に捉えることができる異能者。

錬丹術を扱う熟練の術師を凌駕する鬼才。



玉藻(たまも)

音無より年上の初恋の女性。

黒髪、黒い瞳。黒曜の純血思想の蔓延る社会で、他衆との混血のため、奴隷主人に買われて王宮で下女として働く。音無の自室には掃除をしに週一でやってくる。故郷に異母兄弟がいる。音無のために「幸運」の花言葉を持つ白詰草(シロツメグサ)を活ける。



阿猿(あえん)

猿の半獣の少年。通常の半獣は髪(体毛)と瞳が異なる色で正体が露見するが、黒い髪と瞳のため正体を隠し、この時代、黒曜国では半獣は国外追放だが、違法滞在している。親に捨てられ月読術師養成所つきよみじゅつしようせいじょの所長の下で、音無の世話係として働く。

耳が良すぎるせいで聞きたくないものまで聞き、話すのを拒絶するようになった。音無と同様、特殊な視覚能力の「異能(いのう)」を持つ。


___________________________



最後までお読みいただき、ありがとうございます。

noteでは、本作のビジュアルイメージ(AI生成イラスト)や、物語の背景を深掘りする記事を順次公開しています。

https://note.com/yukioka_gekkon/m/md7a988d57966(※マガジンへ飛びます)

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