第13話 身勝手が編む新世界の理
前国王が「鉄の沈黙」に沈み、玉座には糸の切れた人形のごとき王子が据えられた。
その日から、私は国家という巨大なキャンバスを塗り替え始めた。すべては、玉藻というたった一人の命を繋ぎ止めるための、「広大なる実験場」として。
世の術師たちは、私がもたらした法と技術の刷新を「暗黒時代の終焉」と熱狂的に称えた。だがその正体は、不条理な世界の数式を彼女の生存に最適化させるための、極めて私的な「帳尻合わせ」の集積に過ぎない。
王宮の回廊を歩けば、窓の外には陰惨な面影を失った王都が広がっている。私は、この国を数世紀にわたって蝕んできた病根を、法という名の外科刀で一つずつ執拗に剔抉していった。
手始めに、玉藻を「下等な女」と定義していた奴隷制度を、歴史の闇へ葬り去る。彼女を縛っていた鎖を、言葉の定義ごと抹消したのだ。同時に、紫耀衆であり、耳の聞こえぬ私自身の不利益を削ぎ落とすべく、身体に欠落を持つ民の権限を法的に拡大させた。
「――紫暮殿、いや、錬成院総帥。この新法は、あまりに急進的では……」
震える声で進言したのは、法を司る秋官長の黒凰だ。数年前、私を劣等種と蔑み、優越感に浸っていた男。私はその男が発する「衆波」を、耳ではなく、視界の端に映る不快なノイズとして処理した。
返答は言葉ではない。私は机上に広げた「新・黒曜国法典」の原稿に、静かに筆を走らせた。
そこへ、私の背後に影のように控える側近――阿猿が歩み出る。
同じ年に生まれ、異なる絶望を這いずってきた半獣。言葉を話せぬ私と、言葉を拒んだ彼に、もはや説明など不要だった。
阿猿は、私以外の人間を塵芥としか見なさぬ冷徹な声で、紙面を読み上げる。
「……『法を疑う口舌は、その主の歩みを奪う』。総帥はそう仰せだ」
私の指輪に刻まれた術式が紫白に明滅した瞬間、黒凰の断末魔よりも速く、冷徹な演算結果として石床に黒い鮮血の河が流れた。肉を断つ音すら置き去りにした、絶対的な『理』の執行。
切断されたという感触すら与えず、黒凰の右膝下はただの「肉の塊」へと成り果てた。
「……っ!? あ、足がっ……!? 私の足が!!」
のたうち回る黒凰。彼がこれまで踏みにじってきた奴隷たちの「痛み」を、法という術式で彼の肉体に置換したに過ぎない。
阿猿は眉一つ動かさず、ただ次の命令を待つように私の視線を拾った。彼は、私の指輪が放つ死の光を、この世で最も美しい福音だと信じている。
私は、戦慄する官吏たちを無視し、訓練された無機質な振動で、重い一言を絞り出した。
「……ほう……そのもの……り……」
阿猿が即座に、その「音」の意図を冷厳に補足する。
「総帥のお言葉だ。――法を読み上げる必要はない。そこに記された文字こそが、今日からのこの国の理である、と」
玉座の王子は、その光景を死んだ人形のような瞳で見つめ、ただ首を縦に振る。彼にとって私は、国を救う賢者であり、同時にいつ自分の心臓を止めるか分からぬ死神であった。
人々は、私が作った「錬成院」から溢れ出す技術に酔いしれた。
背に翼を接合した伝令獣が雲海を飛び、経済という名の波長が劇的に加速する。
だが、そのすべては彼女を救うための副産物だ。
私は謁見の間に集められた官吏たちを前に、短く告げる。
「……どれい……なし……しげん……」
阿猿が冷たく言い放つ。
「総帥は宣言された。今日より、この国に奴隷は存在しない。……存在するならば、それは『資源』だ、とな」
官吏たちの背筋に、凍り付くような戦慄が走る。
玉藻を縛っていた鎖を消し去る代わりに、彼女を弄んだ男たち、彼女を売買した愚かな商人たちを、私は合法的に「使い捨ての検体」として地下へ送り込む。
闇夜に乗じて城下に降りれば、解放された者たちが涙を流し、私の虚像に感謝を捧げていた。だが、私の視界を埋める極彩色の衆波にとって、彼らの感謝など演算を乱すノイズでしかなかった。
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<前回までの登場人物>
・紫暮 音無
零章の主人公。
耳が聞こえず、言葉が話せない。紫の髪。左右で異色の双眸(右目は灰色の弱視、左目は紫色のオッドアイ)の少年。三十年を超えられない短命な紫耀の里で生まれ、親に売られた。
紫耀と黒曜国では不吉とされる身体障害者だが、聴力と一部の視力が閉じた分、圧倒的な演算能力を持ち、他者の感情や生命の脈動を「衆波」として視覚的に捉えることができる異能者。
錬丹術を扱う熟練の術師を凌駕する鬼才。
・玉藻
音無より年上の初恋の女性。
黒髪、黒い瞳。黒曜の純血思想の蔓延る社会で、他衆との混血のため、奴隷主人に買われて王宮で下女として働く。音無の自室には掃除をしに週一でやってくる。故郷に異母兄弟がいる。音無のために「幸運」の花言葉を持つ白詰草を活ける。
・阿猿
猿の半獣の少年。通常の半獣は髪(体毛)と瞳が異なる色で正体が露見するが、黒い髪と瞳のため正体を隠し、この時代、黒曜国では半獣は国外追放だが、違法滞在している。親に捨てられ月読術師養成所の所長の下で、音無の世話係として働く。
耳が良すぎるせいで聞きたくないものまで聞き、話すのを拒絶するようになった。音無と同様、特殊な視覚能力の「異能」を持つ。
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