第12話 異形の産声
この世には、初代月守が人界に向け、術式運用において定めたとされる絶対規則「創世定石則」が存在する。
『一つ、私闘に用いること勿れ。一つ、生命を蹂躙すること勿れ。一つ、魂魄を蹂躙すること勿れ。』
だが、男は人で在ることを辞めた。
奪われた尊厳、踏みにじられた唯一執着を覚えた望。黒曜国の理が彼女を殺すというのなら、残された知性のすべてを投じ、新たな理を再定義するまで。地下の暗闇で、復讐の咆哮が「無音」の中に響き渡る。
王宮の最下層。月光すら届かぬ奈落の底に設けた実験室は、湿った土と鉄錆の臭いに満ちていた。
黒母岩を削り出した壁には、不気味に明滅する燐光石が埋め込まれ、室内に濃密な影を落としている。
そこへ、二人の男が引きずり込まれた。玉藻を「所有物」と呼んだ下劣な元主人。そして、その胎に月守の種を植え付けた醜悪な官吏。彼らは阿猿に打ち据えられ、冷たい石床に転がっていた。
官吏が脂汗を流し、縋るように手を伸ばす。
「ま、待て……紫暮……! 金なら出す、領地もやる! だからその、桐の杖を――」
男の口が絶望に歪むのを、私は視界の波長で静かに眺めた。もはや何の慈悲も抱かない。彼らは玉藻が抱く悲しみと絶望の具現だ。その存在そのものが、私の禁忌への推進力となる。
――目の見えぬ恐怖を味わえ。
私は導器たる桐の杖を突き出し、官吏の眼前に術式を展開した。紫白の火花が散り、彼の瞳から光彩が剥ぎ取られていく。彼の脳が認識する「光」という概念そのものを剥奪した。
官吏は虚空を掻き毟り、色を失った世界に絶叫する。
――耳の聞こえぬ無音の底で、己の罪に泣け。
次に、主人の側頭部へ指先を向けた。鼓膜を震わせる空気の波を、術式によって断絶する。男は己の喉から漏れる悲鳴さえ聞き取れず、ただ音のない地獄にのたうち回った。
人間とは、視覚や聴覚といった五感の欠損ごときで、かくも脆く怯えるものなのか。
私は、阿猿に二体の肉体を錬成陣の中央へと放り投げさせた。
黒曜の神殿から密かに持ち出した、創世の巫女の残穢が染み付いた導器。煤けた銀の香炉から立ち昇る没薬の煙が、錬成陣の輪郭をなぞる。
『器……波、なり。その波、束ね……異形と、化せ』
私の喉からは掠れた音しか出ないが、空間を捻じ曲げる言霊の波動が重なり、空気が重低音を響かせて鳴動する。
錬丹術の極光が二つの肉体を包み込み、引き裂き、融合させていく。
肉が焼ける芳敗臭、骨が砕ける軋み、魂が擦り切れる波長。絶望に歪んだ二つの顔が、粘土のように混ざり合う。再構築された顔面には、両目ではなく、研ぎ澄まされた一つの鋭い単瞳が据えられた。
醜悪な合成人が、錬成陣の中央で産声を上げる。
私は近づき、その視線が自分を捉えているかを確認した。合成人は私の姿を視界に収めた瞬間、無音の悲鳴をあげるように顎を震わせる。指先を左右に動かすと、その一つの瞳は正確に追随した。
――視覚は、能力のある側を優勢化できると実証した。
暗い喜びが胸の内で爆ぜる。
鋭敏な視神経を私の肉体に繋げば、私の弱視の右目、左右で偏った視力も補完できる。研ぎ澄まされた視覚で、彼女を見守ることができる。
次に、杖の先に嵌め込まれた金属ガラスに爪を立てた。
耳が聞こえずとも、伝わる細かな震えで超高音が出ているのがわかる。
合成人は聞こえないはずのその高音にのたうち回り、耳を塞ぐ仕草で「やめてくれ!!」と必死に口を動かした。
――聴覚も、意識を統合した上で優勢化が可能。この演算は、机上の空論ではない。
この聴覚を、この神経を、私の魂に縫い合わせる。そうすれば、私はもう筆談に頼る必要はない。私の声を、彼女の鼓膜へ直接届けることができるのだ。
狂おしいほどの悦楽が、私の思考を白く染め上げる。
私の狂気は、さらに純粋な目的へと昇華する。
ーーこれで、玉藻の声を聞き、その言葉を完全に理解することができる……!
私は新たな肉体に、さらなる「器」を与えるための人体実験を執行する。目指すは、この国の理を超越した、荒魂の憑依。
天象地象と鎮魂を司る月守は、地上の魂を浄化すると言われる。だが、女の腹に入り、生まれ変わる時期は、魂魄が彷徨い、天災が出始めて世界の闇が濃くなる。
光の極波で肉体を焼き、気絶させた合成人を仰向けに寝かせると、桐の先端でその胸に深く、呪文字を刻み込む。滴る黒い血液を厭わず、魂の通り道を穿った。
それは、人間への魂魄憑依という、禁忌の中の禁忌である。
『淵を、穿ち……深きを、辿れ』
手を重ね、人差し指を立てて降霊詠唱を吐く。
周囲の全ての音が消え、空気に重い沈黙が広がった。音としてではなく「概念」として、荒魂を招く言霊が地下室を満たす。
『月魄の世に満つる……全ての衆波……今、無音の我に、服従せん』
満ちてくる無数の魂魄の中から、最も情念の強いものを選別する。
選び出したのは、人の形ではない狗と獅子の混じった獰猛な獣の魂。禍々しい黒い炎を纏って見える。
この魂に相応しい名として、古事にある、死者の肉を喰らい、神をも屠る獣を想起した。
脳裏に過った言霊を呟き、御す。
「……犼」
名を縛られた魂は私に従い、合成人の体内へと吸い込まれた。
憑依した瞬間、合成人が目を見開く。
『我に、仕えよ』
無音の言霊が合成人の脳を直接揺さぶり、犼の意識は恭しく首を縦に振った。
肉体の持ち主である男たちの意識は、まだ消えていない。己の意志に反して体が動くという、究極の絶望を味わせるためだ。
『その足を、削げ』
足元に剣を投げ、命じる。
犼は命令通りに己の足を深く刺し、肉を削ぎ落とした。太ももの動脈から、黒い血液が噴水のように吹き出す。
その瞬間、男の意識が浮上した。己の欠損した足を見て驚愕の悲鳴を上げるが、それは喉を震わせない無音の絶叫。
涙を流し、命乞いの言葉を浮かべる男へ、私は初めて「音」を伴う言葉を投げかけた。
「お前も、……蹂躙される、苦痛……魂に、刻め」
惨たらしく泣き叫ぶ男へ、逃れられぬ運命を宣告する。
『犼、自刃せよ』
男の顔が驚愕に染まる。腕が、剣が、意志を無視して己の喉元へ吸い寄せられていく。
鋭い刃が肉を突き破り、血泡を吹いて絶命した。だが、その肉体は表情筋一つ動かさず、瞳孔を開いたまま犼の力で動き続ける。
『犼、剣を放せ』
絶命した肉体が剣を手放した。
ーー検証は成功だ。禁術における私の理論はすべて正しかった。
あとは時空間が繋がる月蝕の晩に、玉藻を救うための魂を喚ぶだけ。
私の理論が正しければ、時空の理を歪めることで、玉藻の魂は老いを遅らせ、彼女の肉体のみを一千年の静止の中に置けるはず。
私は実験室の奥、闇に包まれた祭壇へと目を向けた。
そこで、彼女の願いを叶えるための、本当の「悪」が産声を上げようとしていた。
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<前回までの登場人物>
・紫暮 音無
零章の主人公。
耳が聞こえず、言葉が話せない。紫の髪。左右で異色の双眸(右目は灰色の弱視、左目は紫色のオッドアイ)の少年。三十年を超えられない短命な紫耀の里で生まれ、親に売られた。
紫耀と黒曜国では不吉とされる身体障害者だが、聴力と一部の視力が閉じた分、圧倒的な演算能力を持ち、他者の感情や生命の脈動を「衆波」として視覚的に捉えることができる異能者。
錬丹術を扱う熟練の術師を凌駕する鬼才。
・玉藻
音無より年上の初恋の女性。
黒髪、黒い瞳。黒曜の純血思想の蔓延る社会で、他衆との混血のため、奴隷主人に買われて王宮で下女として働く。音無の自室には掃除をしに週一でやってくる。故郷に異母兄弟がいる。音無のために「幸運」の花言葉を持つ白詰草を活ける。
・阿猿
猿の半獣の少年。通常の半獣は髪(体毛)と瞳が異なる色で正体が露見するが、黒い髪と瞳のため正体を隠し、この時代、黒曜国では半獣は国外追放だが、違法滞在している。親に捨てられ月読術師養成所の所長の下で、音無の世話係として働く。
耳が良すぎるせいで聞きたくないものまで聞き、話すのを拒絶するようになった。音無と同様、特殊な視覚「異能」を持つ。
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