3-2 こふきいもとカレー
「僕がどうしたの?」
いきなりドアが開いて、背後から男の子の声がする。
ブブッ、ビックリして口の中のお芋を全部吹き出してしまった。振り返るまでもない。その声は、神楽祐一本人だ。
「オマエ、いつからそこに?」
「ついさっきだよ。須崎さんがこふきいも食べるの大変そうだったから、手伝おうかと思って来たんだけど」
「うわぁー、神楽おまえ勇気あるな。あれ、毒だぞ、毒」
「えっ? そうなの?」
いつのまに仲良くなったのか、神楽くんと伊藤は親しげに話し始める。
「ああ、よくあるじゃん。究極の選択で、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコどっち食うって。須崎のはいわゆるウンコ味のカレーだな」
「へー、でも僕はどっちかっていうと、そっちの方がいいよ。だっていくらカレー味でもウンコ食べたら病気するだろうし、死んじゃうかもしれないだろ」
「じゃあさ、病気なし条件だったら? ウンコ食べても病気したり死んだりしないって条件なら、ウンコ味のカレーとカレー味のウンコどっち?」
「ええっ? じゃあ、カレー味のウンコかな」
「でも、おまえウンコだぜ。ウンコ喰ったことあるって、一生汚点として残るだろ」
「そうか……そうだよね。うーん、悩むなあ」
男子どものおバカなウンコ・トークを背中越しに聞きながら、わたしは完全に振り返るタイミングを失っていた。
さっき、神楽祐一はなんて言った? わたしの耳がおかしくなったんじゃなければ、「食べるの大変そうだったから手伝おうかと思って」って聞こえたんですけど……
てことは、あの三谷悠里べったりの彼が、わたしのためにわざわざ家庭科実習室まで来てくれたってことか?
なんだか、妙に嬉しかった。
しつこいようだけど、別にわたしは神楽祐一のことが好きだってわけじゃない。でも彼にそう言われたら、今日苦労したいろんなことがイッキに報われたような気がした。
「でも、伊藤くんがいるとは思わなかったよ。いつの間に仲がよくなったの?」
「仲良くねえよ。なんでオレが須崎なんかと」
そりゃこっちの話だっつうの。なんでわたしが伊藤なんかと……
待てよ。じゃあ伊藤亮介がいなかったら、今頃、この家庭科実習室で神楽祐一と二人っきりでお昼ご飯を食べてたってこと? それはなんとなく恥ずかしい。恥ずかしいけど……チクショー、なんてジャマな男なんだ伊藤亮介……いや待て待て。もしここにコイツがいなかったら、わたしは神楽祐一に「こふきいもプロヴァンス風」を食べさせなきゃならなかったってことか……あの毒物を神楽祐一に? それはありえない。ありえなさ過ぎる。うぉー、伊藤亮介、アンタ命の恩人だよ。いままでバカ扱いしてゴメンね。これから毎晩、アンタと三谷悠里が上手く行くように神様に祈ることにするよ、たぶん無理だと思うけど。
頭の中はほとんどパニック状態だ。ところが次の瞬間、神楽祐一はさらにわたしを混乱させるようなことを言い放った。
「じゃあ邪魔しちゃ悪いから、僕はもう行くね」
な、何が邪魔? それはどういうカン違いなの?
やっぱり伊藤亮介、オマエは疫病神だ!
どうする? 振り返って引き止める? でも何て言えばいいんだろう? 「カン違いしないで、ワタシと伊藤くんとはそういう関係じゃないよ」とかって言うの? それって、メチャクチャ白々しいカンジじゃない?
だいたい、なんでわたしが神楽祐一の誤解を解かなきゃいけないんだ。彼のことを好きだって言うんならともかく……って、わたしはホントに彼のことが好きだったりするんだろうか? そんなはずはない。伊藤亮介や悠里ちゃんに変なことを吹き込まれて、ちょっと暗示にかかってるんだ。でも待てよ。暗示にかかってるってことは、好きになってるってことなのか?
どうしよう。急がないと神楽祐一が行っちゃう。
まごまごしていると、突然、神楽祐一がわたしの名前を呼んだ。
「須崎さん!」
「えっ、は、はい!」
ビックリして思わず振り返る。
するとそこには、もちろん神楽祐一がいた。背は高くない。顔は女顔で愛嬌があるけど、イケメンじゃない。男子ランキングでは、もろもろ上乗せして中の上。
その中の上の彼は言った。
「エプロンのこと、せっかく頼ってくれたのに用意できてなくてゴメン。でも、良かったよね」
「えっ?」
「だって、須崎さん、割烹着メッチャ似合ってたから」
それから、神楽祐一はニッコリと笑った。
(ニアッテタカラ)
頭の中でその7文字がグルグルと渦を巻く。
いつのまにか冬の太陽が窓ガラスに反射して、彼の頭に光の輪を作っていた。それはまるで王子様の王冠のように輝いて見える。
なんだか、まぶしくて彼のことを直視できなかった。あわてて目をそらすけど、でも、そらしたはずの視線がいつの間にかまた彼の方に行ってしまう。
何だ、これは?
もしかして、もしかすると、これがかの有名な『卒業マジック』ってヤツなのか?
ブルブルと頭を振った。
いかんいかん、わたしがマジックにひっかかってどうするんだ……おそるべし『卒業マジック』。あの神楽祐一が、一瞬でも王子様に見えるなんて。
もしこれがわたしじゃなかったら、コロリとだまされてしまったかもしれないぞ。
そうだ。もしこれが、わたしじゃなかったら……
呆然とするわたしに、神楽祐一はじゃあねと軽く手を振って実習室を出て行った。その後姿を見送りながら、伊藤亮介はやれやれと言わんばかりに肩をすくめる。
「神楽のヤツ、ウンコ味のカレー派だってよ。やっぱりアイツとは分かり合えねえ運命だな」
……このバカは、人類をカレー派とウンコ派の二つに分類するつもりらしい。
いや、この際そんなことはどうでも良かった。
わたしにはやらなきゃならないことがある。
「伊藤亮介。アンタ、親に言って、今度の週末、友達の家に泊まる許可もらっといて」
「えっ? それってどういうことだ?」
「どういうこともこういうこともない! まさかアンタ、悠里ちゃんと神楽くんを二人っきりで旅行になんて行かせるつもりじゃないでしょうね!」
「いや、でも、さっきそれは須崎が、あの二人ならただの幼馴染だから心配ないって」
「バカ言ってんじゃないわよ! ただの幼馴染で恋愛の対象じゃないなんて、そんなの信用できるモンですか! 卒業を控えたこの時期はね、『卒業マジック』ってのがあんの。ちゃお読んで出直してきなさい!」
「わかったよ。で、具体的にはどうするつもりなんだ?」
「二人に間違いが起こらないように、お墓参り旅行に同行します」
「そこまですんのか?」
「当たり前でしょ。わたしたちはまだ小学生なんですからね。不純異性交遊なんてとんでもない。友だちがみすみす悪い道にはまり込んでしまうのを黙ってみていられないでしょ。まったく何が毎日が危険日よ、何がモスト・デンジャラス・デイよ、ふざけんじゃないっての!」
そうだ。
我が緑野小学校の児童会長として、クラスメイトとして、いいえ、一人の人間として、何が何でも同級生の非行を阻止しなくちゃならない。
味方がバカ一人というのが不安要素だけど、大丈夫、わたしは須崎玲奈だ。一年のときは入学式で新入生代表の挨拶をし、二年で学校案内パンフの表紙を飾り、三年の学習発表会では主役のスイミーを演じ、四年のときに書いた読書感想文が県知事賞を受賞、五年の鼓笛隊では総指揮を務め、六年で児童会会長に選ばれたこのわたしならきっと、課せられた使命を全うすることができるだろう。
「オマエ、大丈夫か? さっきまでと発言内容が百八十度変わってんぞ。なんか悪いものでも喰ったのか? あー、あのイモか」
「うるさいわね。ぐずぐず言わない。とにかく二人の旅行に密着して、悠里ちゃんが卒業マジックにかかるのを防ぐの。名づけて『MDD絶対阻止作戦』。作戦開始よ!」
「へーへー」
「へーじゃないっ! 返事はレンジャー! そして、今日からわたしのことは隊長と呼びなさい!」
「何だそりゃ?」
「返事はレンジャー!」
「わかったよ、わかったから耳元で怒鳴るなよ!」
「返事はレンジャー!」
「レ、レンジャー!」




