3-1 こふきいもプロヴァンス風
(3)
翌日の三時間目。
結論から言って、この世界に神なんてものはいなかった。
「エプロン忘れちゃった」
緊張のあまり棒読みになったわたしのセリフを聞いて、神楽祐一は「だから何?」といわんばかりに首をかしげる。
「エプロン忘れたんだけど。神楽くん持ってない?」
ダメ押しにもう一度繰り返したけれど、神懸り的に準備がいいはずの彼の返事はいたって冷静だった。
「そりゃ持ってるよ。でも、僕の分だから」
まあ、予想通りの答えだ。きっと神楽祐一の準備の良さは悠里ちゃんに対してだけなんだろう。もちろん、わたしがエプロンを忘れたのはそれを確認するための作戦だ。けっして、神楽祐一に世話を焼いて欲しかったわけじゃない……けど、
「あーあ」思わずため息がこぼれる。それを聞いていた後ろの席の安田さんが心配そうに声を掛けてくれた。
「玲様が忘れ物なんて珍しいね。でも、大丈夫だよ。家庭科室には割ぽう着があるから」
「か、割ぽう着?」
「うん、料理クラブで使うヤツがあるんだ。先生に頼んでおいてあげる」
「あ、そう、ありがと」
そんなこんなでわたしは三、四時間目の家庭科の授業を、真っ白い割ぽう着と手ぬぐいで過ごすことになった。他の女子たちはめいめい持参した色とりどりのエプロンにバンダナ姿でとっても可愛く着飾ってるっていうのに……
(割ぽう着なんて昭和のドラマにしか出てこないっつうの)
一人ふてくされていると、クラスメイトたちがわたしの姿を見て口々に言った。
「わースゴイ。玲様、大人っぽい」
「美人は、どんな格好でも美人なんだね」
ま、まあ、そんな割ぽう着でさえ、わたしにかかればレトロファッションっていうの? たちまちオシャレに変身するんだけどね。
「なんか、似合ってるぅ。すっごい料理上手そうに見えるね」
えっ?
「上手そうにみえるなんて失礼なこと言っちゃダメだよ。上手に決まってるでしょ」
なんだか、ヘンな雰囲気になってきたぞ。集まってきたクラスメイトは、わたしの割ぽう着姿を見て勝手に料理の腕前を想像しはじめた。
「そうそう、玲様にできないことなんてあるわけないじゃん。見るからに和の鉄人っていうオーラがでてるしぃ」
ガーン、なんだっていきなりハードルあげられちゃってるの?
わたしにだって、できないことくらい山ほどあるっつうの。
何を隠そう、わたしは鉄棒が大の苦手で、鉄棒のテストは六年間全部欠席してごまかしてきた。あとは、歌を歌うのも下手っぴだ。音楽の授業では得意のピアノ伴奏をかって出ることで、なんとか音痴だってことがバレずにすんでいる。
そして、料理だ。
だって家では、危ないからというパパの言いつけで絶対にキッチンに立たせてもらえない。目玉焼きどころか、りんごの皮を剥いたことすらないんだ。つまり上手とか下手とか、そういうスタートラインにすら立っていないわけだ。
五年生の家庭科実習ときは、ゆで卵とサラダを作ったっけ。
アレは、思い出すだけで恥ずかしさに身もだえしたくなる悲惨な出来事だった。
ゆで卵の殻がうまくむけないのに苛立ったわたしが白身ごと全部剥がしてしまったせいで、ウチの班のゆで卵は黄身だけになってしまったんだ。
「きっと料理だってプロ級の腕前だよ。ねー、玲様」
しかし既に周りの雰囲気は、いままで料理なんかしたことないと言えるカンジじゃなくなっていた。ええい、こうなったらヤケだ。
「でもわたし、味覚がフランス風だから、みんなの口に合うものが作れるかどうか」
そう言いながら、宝塚で見たマリーアントワネットのような微笑を浮かべた。まあ、割ぽう着姿だったけど……
それから二時間後の昼休み。
苦手な調理実習がやっと終わったと思ったら、今度は出来上がった失敗作を処理するというつらい作業が待っていた。
まあ、失敗のほとんどが、こふきいもに無理矢理フランステイストを持たせようとしたわたしのせいだから班の他の子たちに迷惑をかけるわけにはいかない。しかたなくわたしは一人家庭科実習室に残って食事という名の残飯処理を行っていた。
ちびりちびり料理を口に運んでいると、実習室に伊藤亮介がやってきてた。プチジャイアンは、いきなり机の上のこふきいもをつまんで口に放り込み、眉をしかめた。
「なんだよ、この前衛的な味はよぉ」
「こふきいもプロヴァンス風よ」
しかし、これでこの行儀の悪い少年も、やたらに摘み食いなんてするもんじゃないってことを学習しただろう。
伊藤亮介は、思いっきり咳き込んだあと、鼻をつまんで口の中の物を無理矢理飲み込んだ。
「プロバンスって……アフリカだっけ? どんだけ腹減ってりゃ、こんなものが喰えるようになるんだ?」
「うるさいわねえ。いったい何の用?」
「おう、そうだそうだ、今日はオマエに相談があって来たんだよ」
「相談?」
わたしは、目の前にいる大柄でガサツそうな少年をまじまじと眺めた。
三谷悠里と伊藤亮介のデートに付き添う神楽祐一に付き添ってみて、ひとつわかったことがある。それは、伊藤亮介の恋が成就する可能性についてだ。悠里ちゃんは神楽祐一に恋愛感情はないと言ってたけど、それ以上に伊藤亮介のことは眼中にもないカンジだった。
つまり、コイツが悠里ちゃんの彼氏になれる確率は、限りなくゼロに近い。
それを考えると、ただのバカな男子だと思っていた伊藤亮介のこともなんとなく可哀想になってくる。
「少しなら話を聞いてあげるけど、その代わりオマエなんて呼び方しないでよ」
「わかったよ、うるせーなー。それより大変なんだってば」
「大変って?」
「オレがオマエのトコに来るなんて一つしかないだろ」
「だから、オマエなんて呼ばないで……って、それってもしかしてあの二人のこと?」
わたしは思わず声を潜めて、伊藤亮介のにきびヅラに顔を寄せる。
ヤツは、さも深刻そうな顔で言った。
「三谷さんがさあ。お墓参りに行くって言うんだよ」
「……はあ?」
「三谷さんのお母さんってさあ、三谷さんが四年生の時に死んでるのな。で、中学の制服ができたから、今度の週末にそれを見せにお母さんのお墓にお参りに行くって計画を立ててるらしいんだ」
わたしは、頭が痛くなって思わず眉をしかめた。前言撤回。同情の余地なんか全く無い。やっぱりコイツはただのバカだ。
「それがなんだって言うのよ。お母様が亡くなってるんなら、節目節目にお墓参りに行くのは当然でしょ」
「そうも言ってられないんだって。お母さんのお墓ってのがよぉ、多々良山地の奥のスゲー田舎にあって、一日じゃ行って帰ってこれないから泊まりで行くって言うんだ」
「……」
「そんでもって三谷さんのお父さんは仕事で付いて行けないんだって。で、よくよく話を聞いてみたら、神楽は一緒だっていうんだよ。なあ、どう思う? いくら母親代わりだなんていっても、若い男女が二人きりで一泊旅行なんてありえなくないか?」
なるほど、事情はだいたい飲み込んだ。しかしだ。
「『若い男女が二人きり』なんて、そんな下品なフレーズどこで覚えてきたのよ。バッカじゃないの? 考えることがエロすぎ。悠里ちゃんも神楽くんもまだ小学生なんだよ。一緒に旅行したって、別に変な間違いなんか起こるはずないでしょ」
神楽祐一は、あくまで三谷悠里の保護者役に徹している。それに悠里ちゃんの方は、神楽祐一は恋愛の対象にはならないと断言していた。
そんな二人に、ロマンティックというか、ましてやエロティックな状況が訪れるとは考えられない。
「今はまだ小学生だけど、もうあと一ヶ月ちょいで中学生になるんだぜ。中学生でセックスなんて普通にあることだろ」
「セ、セックスって、わたしの前でそんな言葉使うのヤメてよね」
「言葉なんてこの際どうでもいいだろ。チクショー、須崎なら協力してもらえると思ったのに」
「なんでわたしが」
「だってオマエ、神楽のコト好きなんだろ」
「だから、それ違うって何回も言ってるよね」
「わかったよ。いいよ。そういうことにしといてやるよ。でもなあ、覚えとけよ。今みたいな卒業前のシーズンに女子は『卒業マジック』ってのにかかるんだ。んでもって普段眼中にないような男子が王子様に見えて、ついトキメいちゃったりするんだよ」
「それ、どこから仕入れた情報?」
「……妹の『ちゃお』だけど」
「へぇー」
「とにかく卒業までの一カ月は、普段意識もしなかった男女がちょっとしたきっかけで恋に落ちるかもしれない時期なんだ。いわば、毎日が危険日なんだよ。ましてや二人っきりで旅行なんてイベントがあった日にゃ、危険日も危険日、モスト・デンジャラス・デイ、略してMDDなんだって!」
このマセガキは、本当の危険日がなんだか知ってるんだろうか?
少女漫画雑誌から得た知識を元にイケナイ妄想を膨らませた伊藤亮介は、顔を真っ赤にしながら身振り手振りで力説する。
なんか悪いものでも食べたのかな? ああ、そういえば「こふきいもプロヴァンス風」を食べたんたっけ。
私は、最後のこふきいもを口に押し込むと、この話はお終いとばかりに手を振った。
「ないない、いくら卒業前だからって、あのふにゃふにゃした神楽祐一が王子様なんて」




