8-1 卒業
(8)
翌日。
神楽くんの喘息も悠里ちゃんのケガもやっぱり大したことはなかったようで、二人は元気に登校してきた。
わたしはなんとなく顔を合わせづらくて、一日中隣の神楽くんにそっぽを向いていた。
そして、悠里ちゃんは神楽くんに物を借りに来なかった。
次の日も、その次の日も。
隣の席で、神楽くんは少し淋しそうだった。
わたしと悠里ちゃんは、いつの間にかすごく仲良くなっていた。
中学受験が終わって暇だったこともあって、放課後になると彼女の家に行って大量にある漫画本を読み、そのかわり彼女に勉強を教えてあげた。
正直、悠里ちゃんの学力は小学校四年生レベルで教えるにはなかなか骨のある相手だった。それともう一つやっかいなことがあった。
「告白しないの?」と、事あるごとにけしかけて来るのだ。
悠里ちゃんの家は神楽くんの隣で、彼女の部屋からは彼の部屋のカーテンの模様までがはっきり見える。そのたびにわたしは、「中学も別々になっちゃうし、今さら告白しても仕方ないじゃん」と答えた。
わたしが神楽くんを好きだってことは今さら否定しない。
でもわたしたちが一緒の小学校に通えるのは、あとほんの少しの間だけだ。それが過ぎてしまえば、わたしにはわたしの、神楽くんには神楽くんの中学生活が待っている。そしてそれぞれに新しい相手と新しい恋をみつけるだろう。
それが人生ってモンだ。
そう話しても、悠里ちゃんは納得できないといわんばかりに首を傾げるだけだった。まあ、小学四年生レベルには難しい話だったかもしれない。それにそう言っておきながら実はわたしも、悠里ちゃんの家から帰るときにはわざとゆっくり歩いたり、グルグル遠回りしたりして、ラッキーな偶然に期待したりしたんだけどね。
でも防空壕で携帯を復活させたときに運を使い果たしちゃったのか、神様は一度もわたしに味方してくれなかった。
* * *
「本日は、わたしたち卒業生のためにこのような盛大な卒業式を――
それから一ヶ月。あっという間に三月、卒業式の日がやってきた。
当然、わたしには卒業生代表で答辞を読むという大役が待っていた。ちなみにウチの小学校の卒業式には、来年から通う中学校の制服を着用して出席するという習慣がある。
体育館の壇上、桜女学館の制服に身を包んで答辞を読むわたしの姿は、卒業生や在校生のみならず、父兄や来賓までもが思わずため息を付くほどの美しさだった。
これこそまさに、一年のときは入学式で新入生代表の挨拶をし、二年で学校案内パンフの表紙を飾り、三年の学習発表会では主役のスイミーを演じ、四年のときに書いた読書感想文が県知事賞を受賞、五年の鼓笛隊では総指揮を務め、六年で児童会会長に選ばれた、この須崎玲菜の集大成といえるだろう。
――最後に卒業生を代表してもう一度感謝の言葉を申し上げ、答辞とさせていただきます。校長先生をはじめ諸先生、お父さん、お母さん、本当に、本当にありがとうございました。卒業生代表、須崎玲菜」
代表の挨拶を終えて席に戻ると、悠里ちゃんがこっちにピースサインを送ってきた。その顔は式も半ばだというのに涙でグチャグチャだ。
まあ、彼女らしいといえば彼女らしいけど、正直呆れて物が言えなかった。
たかだか小学校の卒業式で、なんでそんなに涙を流せるんだろう。
わたしたちの人生は始まったばかりで、まだまだこれからたくさんの出会いと別れを繰り返していく。ここにいる同級生の大多数とは、たしかにもう二度と顔を合わせることもないかもしれないけれど、それはそれで最初っからその程度の間柄だっただけの話。悲しむようなことじゃない。
わたしの斜め前には、学生服姿の神楽祐一が座っている。
彼とも、今日でお別れかもしれなかった。
大勢の他の男子と同じようにブカブカの制服を着せられた彼は、パッと見さえない小学生だ。そして春からは、パッと見さえない中学生になるだろう。
……でも、
そのさえない外見の中に、どんなにステキな宝物が詰まっているかをわたしは知っている。彼ほどひたむきで、優しくて、他人のために笑える人はいない。
できれば、もっと神楽くんのことを知りたかった。
もっと話をしたかった。
そして、あの笑顔をもっともっと見ていたかった。
もし戻れるなら、もう一度彼の隣に座って六年生をやり直したい。
(!?)
急に、目の奥がツンとしてきた。まるでサビの利いたお寿司を食べた時みたいな感じ。それから目頭が熱くなって、両方の目から涙があふれてきた。
信じられないけど、わたしは泣いていた。
あわててハンカチを探す。ところが、ポケットは空だった。
さっき代表挨拶のためステージ横で待機していたときに、緊張して手にかいた汗をふいたまま置き忘れてきちゃったらしい。
(どうしよう)
こういうときに限って、涙が次から次へとあふれてとまらない。一緒に鼻水まで出てきて、もうサイアクな状況だった。式が終わったら記念撮影もあるっていうのに、まさかこのグシャグシャの顔で写真に写んなきゃいけないの?
ああ、もう、どうしよう。
――その時だった。
斜め前にいた神楽くんが、いきなり振り返ってわたしの手に何かを押し付けた。
「これ、使って」
そのまま神楽くんは姿勢を戻してまっすぐ前に向きなおる。
わたしは呆気にとられながら、手許に目をやると、――ハンカチだった。
綺麗にアイロンの掛かった白いハンカチ。
「あ、ありがとう」
ブカブカの制服の後姿に、そう言うのがやっとだった。神楽くんは前を向いたまま答えた。
「返してくれるのは、また今度でいいよ」
また今度。
胸が熱くなった。
わたしが一番聞きたかったのは、この言葉だったのかもしれない。
わたしと神楽くんには、「また今度」があるんだ。
「あと、こないだ約束しただろ、僕のスキップ見せるって。それもその時でいいよね」
「うん、また今度ね」
「僕だって、須崎さんがスキップするとこ見てみたいし」
「うん、それも、また今度ね」
涙と鼻水で顔中をぬらしながら、わたしは神楽くんの言葉に何度も何度もうなずいていた。




