エピローグ 神楽くんの秘密
エピローグ
以上が、ちょっと不思議なわたしの初恋の話だ。
でも世の中には蛇足というものがあって、たぶんこれも本当は不必要なんだろうけど、もう少し話を続けようと思う。
中学生になって、わたしと神楽くんは世間一般にいうお付き合いをすることになった。彼は、一時期の悠里ちゃんに対するほどじゃないけど、わたしにとってもかなり準備のいい気の利く彼氏だった。一緒にいるのが本当に心地よかったし、わたしは彼が好きだった。きっと神楽くんも同じように思っていてくれたと思う。
でも、やっぱり学校が違うことが一番の原因だったんだろう。
互いに忙しくなった中二の終わり頃に、いつの間にか自然消滅のような形で別れることになった。
神楽くんと別れても、小学生の終わりに彼と出会って経験したことはわたしの人生に大きな影響を与えた。
あの頃の神楽くんの「神懸り的に」なほどの準備の良さは一体なんだったのか。
神楽くん自身は、沙希さんの幽霊がメモを残してくれたと信じていた。しかし熊の人形に乗り移った幽霊がメモを書くなんて、どう考えてもありえない。それを信じるほど、わたしは脳天気な人間じゃなかった。
一方、伊藤亮介の説によると、神楽くんはシャーマン、つまり巫女や霊媒師といった類の人間であったらしい。幽霊と交信する思い込むことで超常的な力を発揮したという人の報告は古くから数多く存在するんだそうだ。
彼の説は、一見科学的で正しいようにみえる。
でも、そうだろうか? 神楽くんがシャーマンとして予知能力を発揮したというのは、結局、幽霊がメモを残した説と同じくらい荒唐無稽なオカルト話の範疇じゃないだろうか?
わたしの中で、「神楽くんの秘密」は、いつまでも解明されない謎だった。
「わたしはね、神楽くんは超能力とか予知能力とかそんなものを発揮したわけじゃないと思っているの」
神楽くんの秘密について調べるうちに、わたしはいつの間にか人間行動学という心理学みたいな学問の大学院に進んでいた。小学校を卒業して十年以上が過ぎているけれど、今でもあの時のことについて考えることがある。
「たぶん、彼の神懸り的な準備の良さは、予知能力なんてものじゃなくて、ちょっとした観察や洞察や推理の積み重ねだったんじゃないかな。だって、次の日に悠里ちゃんが学校で忘れそうなものなんて、彼女の時間割を見ればある程度わかるわけだし」
「ふうん」
そんな時、話し相手になるのは伊藤亮介だ。
あのお墓参りの一件の後、伊藤亮介とは年賀状をやり取りする程度の仲でしかなかったけれど、互いに東京の大学出てきてからは顔を合わせることが多くなった。
神楽くんの話はどうしても非現実的で、当時の事情を知る伊藤亮介以外とは話をする気になれないからだ。
コイツは、バカのクセに生意気にも医大生になっている。将来は精神科医になるのだそうだ。単純に母親の跡をついでということなんだろうけど、もしかしたらあの出来事が彼の人生にも影響しているのかもしれない。
「でも、洞察力とか推理だけで毎日の忘れ物がピッタリとわかるもんかな。それも、一日や二日ならともかく、須崎が確認してるだけで二ヶ月、周囲の話では二年間は続いてたんだろ」
たしかに単なる観察力だけで二年間毎日、パーフェクトな準備を続けることは難しいだろう。
「うん、それはわたしも不思議に思ってたんだ。でもね、今日一通の手紙を見てあることに気が付いたの。これよ」
わたしは伊藤亮介に、真っ白い上質な紙でできた封筒を手渡した。
「これって、招待状?」
それは、結婚式の招待状だった。
新郎は神楽祐一、新婦は……三谷悠里。
「悠里ちゃんから電話もあったんだ。なんか、できちゃった結婚なんだって」
神楽くんと別れた後も、わたしと悠里ちゃんの友達関係は続いていた。
悠里ちゃんが神楽くんと付き合い始めたことも、ちゃんと報告を受けている。
あれは、高一の春のことだった。そのときの悠里ちゃんのきまずそうな表情は今でもはっきりと覚えている。困った顔があんなに可愛い女の子を、わたしはわたし以外では彼女しか知らない。
それ以降もずっと、悠里ちゃんはわたしにとって大親友といえる存在だった。
「あの二人が結婚? って、オレんトコにはなんにも来てねえぞ」
「だって、アンタ別に二人と仲良くないじゃん」
伊藤亮介は中学に入ってからも、悠里ちゃんに何回かアタックした。けれど、わたしの予想通り、悲しいくらい相手にされなかった。
「んなことねえ……こともねえけどよ。まあ、それはいいとして、この招待状がなんで『神楽の秘密』を解く手掛かりになるんだよ」
不満げな伊藤亮介に、わたしは咳払いをしてみせる。
「エヘン、わたしが気付いたのはね。これまでわたしたちは、『神楽くんが二年間毎日悠里ちゃんに必要な物を予知できたのはなぜか?』っていう謎を解こうとして、もう一つの大きな謎を見落としてたってことよ」
「もう一つの……謎?」
そうなんだ。「神楽くんが二年間神懸り的な準備の良さを発揮する」ためには、それ以前に必要不可欠な要素があった。それがなければ、神楽くんは決して準備の良さを発揮することができない。そしてそれこそが、わたしたちが気が付かなかった「もう一つの謎」。
「つまりね。神楽くんが悠里ちゃんの忘れ物を予知するためには、悠里ちゃんが忘れ物をしなきゃいけないってことよ。どうして今まで気付かなかったんだろう? いくら悠里ちゃんが天然ドジっ娘だからって、二年間毎日欠かさず忘れ物するなんて不自然すぎるわよ」
「あ、……そう言われれば、たしかに」
二年間毎日、悠里ちゃんをフォローし続けたのが「神楽くんの秘密」なら、同じ期間毎日、神楽くんにフォローされ続けたことも「悠里ちゃんの秘密」と呼んでいいくらいの「謎」なんだ。
「悠里ちゃんは、心の奥底で神楽くんにお母さん役をしてもらうことを望んでいたんじゃないかな。そしてそんな彼女の潜在意識が『毎日忘れ物をする』ってことに現われた。神楽くんに構ってもらうことで、お母さんのいない寂しさを紛らわしてたのね」
「なるほど、それは考え付かなかったな」
「悠里ちゃんの忘れ物は、もちろん無意識にだろうけど、ワザとだったの。だから彼女が忘れてくるのは神楽くんにも想像しやすいものだった。例えば前の日に話題が上ったものとか、いかにも忘れやすそうなものとか」
「そうか。で、今度は神楽のほうが無意識にそれを汲み取ってメモに書いていた」
「そういう二人のあうんの呼吸があったから、予知能力や魔法がなくても、神楽くんは悠里ちゃんに必要なものを準備できたんだよ」
つまり、こういうことだ。
悠里ちゃんは無意識に、翌日自分が忘れる予定のものを神楽くんにアピールしていた。
神楽くんは、これも無意識のうちに、悠里ちゃんのアピールを感じ取り、夜中にトランス状態になってメモに書き記した。そのメモを幽霊からの指示だと思い込み、書かれたものを学校に持参してきていた。
だからあの頃の神楽くんの「神懸り的な準備の良さ」は、神楽くんと悠里ちゃんの二人の絆が作り上げた奇跡だったわけだ。
胸の奥で、長年の疑問が消えていく。
あの頃から、神楽くんと悠里ちゃんはやっぱり特別な関係だった。
そして今こうして、二人はめでたく結ばれるようとしている。そこにわたしが割り込もうとして上手くいかなかったのは、ある意味当然といえるだろう。
なんだか、小学生の頃から溜め込んでいた宿題をようやく終わらせられたような、そんなすがすがしい気分だった。
「ちょっと待てよ。じゃあ、あの十メートルのロープとか松葉杖とかも、前もって『深い防空壕があるから気をつけて』とか、『転んで捻挫しやすいよ』みたいな会話があったってことか? なんだか、それって出来レースっていうか、振り回されたこっちがバカみたいじゃねえのか?」
気がつくと、伊藤亮介はむくれ顔になっていた。
「そんな悪い言い方しないでよ。二人は無意識でやってたことで、悪気はなかったんだからさ」
よしよしと頭を撫でてあげる。すると、彼は不満半分心配半分くらいの声で言った。
「須崎、オマエまさか結婚式に出席するわけじゃないよな」
「何言ってんの。親友の結婚式だよ。出るに決まってるじゃない」
わたしの返事に、めずらしく口ごもる。
「でも、ほら……その、あのだな……」
「なによ」
「いや、だから……よし、わかった。オレも一緒に行くよ」
「はあ? アンタ招待されてないでしょ」
「だって須崎一人で行ってなんか起こったらマズイだろ。酔っ払って披露宴で暴れるとか、花婿を誘拐するとか」
大人になって人一倍デカくなったクセに、コイツの脳みそは小学生の頃とちっとも変わらないバカなままだ。
バカの首をヘッドロックで思い切り締め上げた。
「なんでわたしがそんなことすんのよ?」
「だって……須崎オマエさあ、まだ神楽のこと好きだろ」
「はあ?」
「それに、神楽は須崎の初めてのだな、……なんつうか、その」
「なによアンタらしくない。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」
「わかったよ。はっきり言うぞ。あの日、オマエと神楽が二人で防空壕に落ちた日。オレ言ったじゃん。神楽の喘息を止めるには、ヤツの暗示を解かなきゃいけない。そのためにはバージンを奪えばいいって。でさ、オレたちが助けに行った時はもう神楽の発作は止まってただろ」
「……そうよ。だから、それがなんだって言うのよ」
「ってことは、つまり、オマエら、あの防空壕でヤッたってことだろ」
「やったって、何を?」
「だから、セック…
「アンタ、バカ?!」
「えっ? 違うの? じゃあなんで神楽の発作が止まってたんだ?」
「知らないわよ。キスしたら、勝手に調子がよくなったの」
「キス? キスだけ?」
「バカだバカだとは思ってたけど、まさかここまでとはね。……アンタもしかして、この十年間ずっとそんな風に思ってたわけ?」
「いや、その、人命を救うためとはいえ小学生で初体験なんて、もう大人すぎてオレにはついていけないって思ってた」
「サイテー、もう死んじゃえ!!」
それから数日後、わたしはしばらくぶりに故郷の土を踏んだ。
結ばれるべくして結ばれた二人に心からの祝福を与えるために。
二人の結婚式は、これまで出席した中でも抜群に気配りが行き届いて心地良かった。聞くところによると、花嫁と花婿が念入りに準備に準備を重ねたらしい。
わたしは思った。
やっぱり彼らは、神懸り的に準備がいい。(了)




