7-7 意外な名探偵
数秒の間の後で、携帯電話のバックライトが白く光った。
やった。
バッテリーが回復した! でも、いつ切れるかわからない。わたしは慌てて直近の発信履歴から番号を選んで発信ボタンを押した。
プルルル
「てめえ、ブス、なんで携帯通じないんだよ!」
やっぱり半コールで、伊藤亮介が電話に出た。このキレっぷりがむしろ頼もしく感じられる。でも、いつまたバッテリーが切れても不思議じゃないんだ。わたしは語気を強めた。
「切れた電池にカイロ貼って無理矢理使ってるの。またいつ切れても不思議じゃないんだから黙って聞いて」
そして、悠里ちゃんは足をくじいて動けなくなったこと、わたしと神楽くんで防空壕の穴に落ちたこと、神楽くんが喘息の発作に苦しんでいること、その他もろもろの事情を伝えた。
伊藤亮介はもう悠里ちゃんのおじいさんの家にいるらしく、電話の後ろで誰かの声がする。
「おばあさんに聞いたけど防空壕の場所ならすぐわかるって、今から助けに行くから三十分もすれば着くってよ。でも、喘息の方は厳しいらしいぞ。救急車呼んでもこの山の中まで来るのに一時間以上かかるし、近くの病院までさらに一時間かかるって」
ある程度予想していたことだけど、あと二時間。
神楽くんは大丈夫だろうか。
「できるだけ急ぐように言ってよ! もう、ドクターヘリとかないの!」
「無茶言うなって、落ち着けよ」
「これが落ち着いていられますか! 神楽くんはねえ、沙希さんの幽霊に祟られたせいで今にも死んじゃいそうなんだよ……お願いだから、急いでよぉ」
泣きそうな声で懇願するわたしに、伊藤亮介は冷静な口調で言った。
「幽霊って……今朝言ってた三谷さんのお母さんが忘れ物教えてくれてるって話か? ひょっとして須崎、おまえ、そんなオカルト信じてるわけじゃないよな」
一瞬、口ごもった。
そりゃあ、もちろん、わたしだって幽霊なんて信じていたわけじゃない。でも……
「だって、信じないわけにいかないでしょ。神楽くんに覚えのないメモがあって、他の人は部屋に入ってないんだから」
「おまえなあ、この二十一世紀に幽霊なんているわけないだろ。神楽の部屋にメモがあって、他に人が出入りしてないんだったら、犯人は一人しかいない」
「……それって、もしかして」
「ああ、幽霊の正体は神楽祐一本人ってことさ。神楽って、割りと思い込みが激しいタイプだからな。このタイプは暗示にもかかりやすいんだ。幽霊と契約したと思い込んで、無意識に自分でメモを書いてたんだろう。そういうときは筆跡もガラリと変わるモンらしいぜ。それに、前の電話で須崎言ったろ、自分のために酔い止めを持ってきてくれたって。もしお母さんの幽霊がメモを書いてるなら、須崎の酔い止めなんて書く訳ないじゃん」
こいつは、ホントに伊藤亮介なのか? まさか、あのバカにこんな理論的な話ができるなんて……。でも、そこまではわたしだって思いつかなかったわけじゃない。
「でも、それじゃあ、おかしいでしょ。メモを書いたのが神楽くんなら、神楽くんはどうやって悠里ちゃんの必要な物を予知できたのよ?」
「ちょっと調べてみたんだけどさ。幽霊と契約した人間、っていうより幽霊と契約したと思い込んでる人間は、一種のトランス状態に入るんだ。民俗学によく出るシャーマンっていうのがそれなんだけどな。シャーマンがトランス状態に入ると普通の人間では有り得ない力を発揮するんだと。予知能力を発揮するって例も、これまでに何例か報告があるみたいだぞ」
「なんで、アンタがそんなこと知ってんのよ」
「ええと、ウチの母親が精神科医だって話はしたろ。おじいちゃんの整形外科の向かいで精神科のクリニックやってるって。だから、家にもそんな感じの本がたくさんあるんだよね。で、つい読んじゃうんだ」
いや、そんなの初耳だぞ。コイツは、ただのバカじゃなかったのか?
しかしこの際、伊藤亮介のことはどうでもいい。大事なのは神楽くんの話だ。たしかにメモを書いたのがトランス状態になった神楽くん自身だという説は、幽霊説よりは現実的な気がする。
でも、もう一つ。幽霊がいないとすると腑に落ちない点があった。
「じゃあ、どうして今日突然、喘息の発作が再発したの? 二年間全然大丈夫だったのがいきなりなんだよ」
わたしの質問に、伊藤亮介は待ってましたと言わんばかりに答えはじめる。
「もしかしたら、それも暗示なんじゃないのか? 神楽は心の奥底で、お母さん役を辞めたらっぺ返しが来るかもしれないって怖れてた。やつはシャーマン体質だから、深層心理で思ってることが身体に出てきやすいんだと思う。それで、怖れていたしっぺ返しが喘息っていう具体的な形であらわれたんだろう」
なるほど、コイツの言うことは一々説得力があった。ってことは、もしかして……
「アンタそこまでわかるんだったら、神楽くんの喘息発作を治す方法だってわかるんじゃないの? もし神楽くんが暗示に掛かってて、そのせいで喘息になってるんなら、どうにかして暗示を解けばいいってことでしょ」
するとさっきまでの饒舌な口調から一転して、伊藤亮介は言葉を濁す。
「……んなことオレの口から言えねえよ」
「ってことは、助ける方法があるのね。それなのに言えないって何よ」
「だっておまえ無茶苦茶するじゃんか。携帯のバッテリーにカイロ貼るのだって、ホントは絶対やっちゃダメな部類だろ。偶然上手くいったからいいけど、下手すりゃ発火して爆発してたかもしんねえぞ」
「わかったわよ。反省してる。もう二度とあんなことはしません。だから、早く言いなさいよ。神楽くんを助ける方法を知ってるんでしょ。さっさと言わないと後でヒドいからね」
すぐそばでは、神楽くんが今も苦しそうに背中を丸めて咳き込んでいる。彼を楽にしてあげられるなら、どんなに危険な方法だって構うもんか。
「わあったよ。でも、これは一般的な話で須崎にそうしろって言ってるわけじゃないからな」
伊藤亮介はしぶしぶと言葉を続けた。
「いいか。多くの場合、シャーマンになれる人間には資格があるんだ。神楽にはその資格があるから、暗示にかかりやすいしトランス状態にも入りやすい。つまり神楽からシャーマンの資格を奪ってしまえば、暗示から逃れることが出来るはずだ」
「OK、で、その資格って何なの?」
「シャーマンっていうのは、日本語では巫女ってことさ。だから、シャーマンの資格っていうのは、なんていうか神聖さっていうか純真さっていうか、つまり……分かるだろ」
「全然分かんないわよ」
「ああ、もう分かれよ! つまり、シャーマンの資格ってのは処女ってこと。神楽がバージンだから暗示に掛かりやすいわけ。あーっ、もう、言っちゃったよ」
「それって、どういう意味? わたしにどうしろって」
「これ以上言えるかよ! 須崎がどうしたいのか、自分で考えブッ」
奴の叫びとともに、バッテリーが切れた。
電話の声がなくなると、神楽くんの呼吸音だけが耳に響く。それはヒューヒューとかすれて今にも途切れそう。でもこのか細い音が、今の神楽くんの生命線なんだ。
泣き顔を見られないように神楽くんの後ろに座った。
「伊東亮介に連絡が取れたよ。……すぐ助けに来てくれるって、だから頑張って」
とてもじゃないけど、救急車が来るまで二時間かかるなんて言えるわけがない。
「そうか……よかった、これで、須崎さんも、悠里も大丈夫だね」
どんなに自分が苦しいときでも、神楽くんが考えているのはわたしや悠里ちゃんのことなんだ。わたしも神楽くんのように、他人を思いやれる人になりたいと強く思った。
「神楽くん、聞いて欲しいの。沙希さんの幽霊のことなんだけどね。やっぱり幽霊なんているわけないよ。神楽くんの思い込みなんじゃないのかな」
神楽くんは答えない。
「それにね、もし幽霊がいるとしても、神楽くんを恨んでるなんてありえないでしょ。だって悠里ちゃんのお母さんの幽霊なんだよ。いままであれだけ悠里ちゃんに尽くしてきた神楽くんのことを感謝こそすれ、恨むなんておかしいもん。だから、神楽くんの喘息だって幽霊のせいなんかじゃない。山の中は気温が低いし、雨で身体が冷えたせいじゃないかな」
わたしは、彼の背中を抱きしめた。
「ね、だからこうしてれば、きっと喘息も治まるよ」
「す、須崎、さん?」
神楽くんが慌てて振り返る。青白い顔に、頬だけが妙に赤かった。
頭の中で伊藤亮介のセリフがこだまする。神楽くんが暗示に掛かるのは神楽くんがバージンだからだって。あのバカの言うことを信じるわけじゃないけど、わたしにできることがあれば何でもしてあげたい。
神楽くんの呼吸が少しでも楽になりますように、
想いを込めて、彼の唇にわたしの唇を重ねた。




