6-6 お母さん解雇
「よし、じゃあ、そろそろ行こうか」
「う、うん」
神楽くんに促されてよろよろと立ち上がると、わたしたちはまた山頂に向かって歩き出した。それからはお互いに無言で、ただ神楽くんの後を追ってひたすら足を交互に動かす。
北側の山道を抜けて山の南側に回ると、斜面全体がミカン畑になっていた。
見晴らしのいい場所に出るとそれなりに気分も上向きになるし、道も整備されていて実際に歩きやすくなっている。それなのに、わたしの足は鉛のように重かった。
だって失恋だよ。しかも初失恋。これで凹むなってのが無理な話だ。正直、家に帰って布団を被って泣きたいよ。
でもそうするわけにはいかなった。朝は雲ひとつない晴天だったのに、ここへ来て空が曇り始めてきたんだ。雨が降る前に、なんとか悠里ちゃんと合流したい。
さらに三十分ほど歩いて、わたしたちは山の頂上へとたどり着いた。
「うわぁーっ!」
山頂へ出たわたしは思わず声を上げた。
目の前に広がるのは、複雑に折り重なった多々良山地の山々。その隙間から、遠くに古村湾が見える。山の緑と海の青が重なる美しい景色だった。
今日はあいにくの曇り空だけど、晴れた日にはきっと物凄い絶景になるんだろう。
なるほど、悠里ちゃんのお母さんがここに葬って欲しいと遺言するわけだ。
頂上は教室ひとつ分くらいの平地になっていた。見回すと、隅の方に小さなお墓が見える。そしてお墓の前にはセーラー服の少女がぽつんと背中を丸めてしゃがみこんでいた。
「悠里!」
神楽くんは悠里ちゃんの名前を呼ぶと、とても一時間山を登った後とは思えない勢いで駆け出した。わたしも慌てて追いかける。
わたしたちに気がついた悠里ちゃんは、暢気そうに手を振ってよこした。
「あ、祐一に玲様。やっぱり来ちゃったんだ」
「悠里、大丈夫なのか!」
「大丈夫って、何が?」
その口ぶりから、今のところ彼女に変わったことはないらしい。十mのロープや松葉杖が必要な事態は、やっぱりまだ彼女の身の上には、おこってないみたいだ。
「ええと、その、道に迷ったりとか、遭難したりとか」
幽霊の話を言えない神楽くんはしどろもどろになる。心優しいわたしは助け舟を出してあげた。
「神楽くんね。悠里ちゃんにお母さん役をクビって言われて戸惑ってるんだよ」
「そ、そうだよ。なんだよ、いきなりクビだなんて、勝手すぎるだろ」
そう非難されて、悠里ちゃんはゆっくり神楽くんに近づいた。彼女の表情からは、いつもの人懐っこい笑顔が消えている。
「祐一、」
「な、なんだよ」
「お母さんが死んでふさぎこんでいるアタシを、祐一は慰めてくれたよね。それだけじゃない。いつもいつも、まるでお母さんの代わりみたいにアタシのこと助けてくれた。祐一がいなかったら、アタシきっと凄い不良になったり、下手したら自殺したりしてたんじゃないかな。アタシが、今こうして中学の制服を着てここに立っていられるのは、間違いなく祐一のおかげだよ。ありがとう」
それから彼女は、神楽くんに向かって深々と頭を下げた。
「どうしたんだよ。急に改まって」
神楽くんは気まずそうに顔を反らす。
そんな神楽くんとは対照的に、頭を上げた悠里ちゃんの眼差しはまっすぐに神楽くんをみつめていた。
「でもね。もうそろそろ、いいんじゃないかな。アタシ、祐一のおかげですっかり元気になったの。だからもう、心配しないで欲しいんだ」
「そんなこと急に言われても」
「アタシは、祐一の友だちに戻りたいんだよ。まるで可哀想な小さい子供みたいに扱うのはやめて欲しい。別に祐一を嫌いになったわけじゃないし、祐一の助けが全然要らないってわけじゃない。ただ、アタシだって時には祐一を助けたいと思ってるの」
「でも、僕は沙希さんと約束を……」
その時だった。
空を覆っていた厚い雲が途切れて、山の上に光が差し込んだ。
太陽の光が、まるで天国から伸びてきた階段のように山の頂にふりそそぐ。
「これって…天使の梯子」
二年前、沙希さんが亡くなったときに神楽少年が病院でみたという……
ふと横を見ると、神楽くんは呆然とした表情で空にかかる梯子を眺めていた。
それから、寂しいような、ほっとしたような、なんとも不思議な微笑を浮かべて自らの幼馴染に歩み寄った。
「沙希さんと約束してたんだ。これ」
手には熊の人形が握られている。
「これを悠里にって、遅くなってゴメン」
悠里ちゃんは神楽くんと同じ微笑が浮かべると、無言でそれを受け取った。
* * *
それからわたしたちは沙希さんのお墓にお参りして、そうそうに山を降りることにした。
天気予報で雨が降ると言っていたのはお昼過ぎ、今から帰ればお昼までには家にたどり着く計算だけど、山の天気は変わりやすいっていうし長居は禁物だろう。
「じゃあ、とっとと帰ろう。祐一、桶とひしゃく持ってね」
悠里ちゃんはそう言って、お墓参りのためにもってきた水桶とひしゃくを神楽くんに押し付けた。
「おいおい、お母さん役はおしまいじゃなかったのかよ」
「おしまいだよ。そうだね、一人で持つには重いから、玲様と二人で持ったら?」
「なんで須崎さんまで巻き込むんだよ」
すると、悠里ちゃんはわたしに向かってへたくそなウィンクを投げてよこした。
「だって、行きはアタシが持って来たんだよ。行きの方が水が入ってて重いんだから、帰りは二人が持って当たり前。はいはい、仲良くね」
強引な悠里ちゃんの仕切りで、わたしと神楽くんは二人並んで一つの桶を持つことになった。なんだろう、さっきまで失恋モードで超ブルーだったのが、なんだか良く分からない状況になっている。
形見のぬいぐるみを悠里ちゃんに返したってことは、神楽くんは沙希さんのことを吹っ切ったってことなのかな?
そんでもって、わたしにもチャンスがあるってことなのかな?
山道を下りながら、チラチラと神楽くんの横顔を盗み見る。すると神楽くんが頭を掻きながら耳打ちしてきた。
「須崎さん、ゴメンね」
「えっ? このくらい全然平気よ、だって中身空っぽだから重いわけじゃないし」
「そうじゃなくて……幽霊のメモの話。僕、さんざんビビって須崎さんを振り回しておいて、結局悠里はピンピンしてるし。今日は外れだったみたいだ。こんなこと、今までなかったんだけど……」
「うーん、まあ、そういうこともあるんじゃない? 悠里ちゃんが無事なら、それに越したことはないでしょ」
わたしはそう言って微笑んだ。
神楽くんも笑顔を返してくれたけれど、まだ完全に吹っ切れてはいないみたいで、すぐまた複雑な表情に戻ってしまう。
「……やっぱりお母さん役をクビになったからかなあ。あ、そうだ。ロープとか要らなくなったって伊藤君に連絡しなくて平気?」
「そうね、一応伝えとこう」
やっぱりロープも松葉杖も要らないなんて言ったら、伊藤亮介のヤツ怒るだろうな。ま、いいか。いざとなったら悠里ちゃんにちょっとねぎらいの言葉をかけてもらおう。あいつなら、それだけで鼻の下を伸ばして喜ぶだろう。
わたしはバッグから携帯を取り出した。
「……あ、ダメだ」
「どうしたの?」
携帯をひろげてボタンを押しても、黒い画面のまま全く反応しない。
「電池切れてる」
昨日から少し心配してたんだけど、バッテリーがなくなっちゃったらしい。神楽くんの写真を撮りまくったのがいけなかったのか。それとも、山の中で電波状態が悪いからバッテリーの消費が早いのかな。
(そういえば、携帯電話も必要なものリストに入ってたっけ)
一瞬、頭の中を不吉な予感が横切る。
気がつくと、わたしたちの頭上には黒くて厚い雲が垂れ込めていた。




