6-5 初恋。完結編
* * *
三十分後。
「ちょっと、ねえ、少し休憩しようよ」
「さっきも休んだばかりだろ、レンジャー精神はどこに行ったんだよ」
「そんなこと言ったって、レンジャーもう無理。だいたいわたしは頭脳派で肉体労働には向いてないんだもん」
予想外の険しい山道に、わたしは息も絶え絶えになっていた。
「っていうか、悠里ちゃんは裏山にあるお墓に行ったんでしょ。この山道って、裏山ってレベルじゃないんですけど。道間違えてない?」
山登りなんて去年のお正月にハワイでダイアモンドヘッドに登って以来だ。でも、あっちの方がずぅっと登りやすくてラクチンだった気がする。
「沙希さんのお墓には前に一度来たことがあるんだ。この道で間違いないよ」
わたしより身体の小さい神楽くんが、ひょいひょいと坂道を駆け上がっていく。しまった。これじゃあスゴイところをみせつけるどころか、置き去りにされてしまう。
彼に付いていくためにピッチをあげようとして、つい足を滑らせてしまった。
「キャッ!」
(しまった、転ぶっ!)
そう思った瞬間。わたしの腕が何かに引っ張られた。
「大丈夫? 地面が赤っぽいところは滑るから気をつけて」
神楽くんの腕が、しっかりとわたしの腕を掴んでくれていた。
「あ、ありがと」
頬から火が出るくらい赤くなっているのがわかる。そういえば今、見渡す限り広い山林の中で、わたしと神楽くんは二人っきりだった。
「やっぱり休もう。なんか焦っちゃって、ごめんね」
そう言うと、神楽くんは近くの倒れた木に腰を下ろした。わたしは、ちょっと勇気を出して同じ木に少し離れて座る。それから、もうちょっと勇気を出して少しだけ彼の方に近寄った。
なんで、こんなにドキドキするんだろう。
ここまできたら覚悟を決めるしかない。
どうやら99・9パーセントくらいの確率で、わたしは神楽祐一のことが好きらしい。一時の気の迷いかもしれないし、卒業マジックの続きなのかもしれない。でも、こんなに真剣に人を好きになったのは初めてで、きっとこれはわたしの初恋だ。
思い切って聞いてみた。
「悠里ちゃんのことになると、ホントに一生懸命なんだね。……悠里ちゃんのこと、好きなの?」
それだけを聞くのに咽喉がカラカラになって、思わずペットボトルのお茶をガブ飲みしてしまった。
神楽くんはポケットから熊の人形を取り出すとしばらくそれを眺めていた。
「頼まれたんだ。悠里のことよろしく、って」
それから、彼の昔の話を聞かせくれた。
神楽くんと悠里ちゃんは、幼稚園の頃からの幼馴染だったんだそうだ。母親同士の仲が良かったこともあって、小さい頃から兄弟のように一緒にすごしてきた。
当時の神楽くんは体が弱くて、しょっちゅう喘息の発作をおこして寝込んでいた。そのうえ引っ込み思案で友達も少ない。一方、悠里ちゃんは今と同じく明るい性格で運動も得意。どこへ行っても人気者だった。神楽くんは、いつも悠里の後をついて回っていたという。
そんな二人の関係が変わったのは、彼らが小学四年の冬。
沙希さんが死んでからだった。
沙希さんというのは悠里のお母さんのことだ。神楽くんは照れたように笑った。
「友達のお母さんを名前で呼ぶなんて、ちょっと変だよね。悠里は、ウチの母さんのことを「祐一のおばちゃん」って呼んでるし、そっちのほうが普通なのはわかってるんだ。 でも、沙希さんをおばちゃんと呼ぶなんて考えられなかったな。沙希さんとウチの母親とじゃ、同じ生物に分類するのもおこがましいってくらいでさ。それで僕は、悠里のお母さんを「沙希さん」と呼んでいたんだ」
その沙希さんは一年ほどの闘病生活の後、この世を去った。
彼女と最期に言葉を交わしたのは、偶然にも神楽くんだった。
たまたま神楽くんと神楽くんのお母さんがお見舞いに行った日に、沙希さんの容態が急変したのだ。お母さんは悠里ちゃんのお父さんを呼ぶために電話に行って、そこで神楽くんと沙希さんはしばらく二人きりになったんだそうだ。
「ベッドの脇から伸ばされた彼女の白い手に、この熊の人形が握られてた。僕が受け取ったら、彼女は小さくうなずいてね。その時もう彼女の目は見えていなかったと思う。でも僕の名前を呼んでこう言ったんだ」
『祐くん、ずっとずっと悠里と仲良くしてあげてね。お願い』
「それを聞いて、子供の僕にも沙希さんの命の火が消えかかっているのがわかった。僕は怖くて、そして悲しかった」
それから看護婦さんやらお医者さんが病室に雪崩れ込んで、神楽くんは病室から出された。
悠里ちゃんや悠里ちゃんのお父さんがやってきたときに、まだ沙希さんの心臓は動いていたらしい。でも彼女の意識は既になかったんだそうだ。
神楽くんは忙しく立ち回る母親に放っておかれて、病院の外で空を眺めていた。
すると厚い雲の間から光がさして、病院の一角を照らした。
それが「天使の梯子」といわれる自然現象だと知ったのはずいぶん後の話で、神楽くんはそのとき素直に沙希さんが天に召されたのだと思ったんだそうだ。
「それから彼女のお葬式の間、もちろんずっと悲しかった。悲しかったけれど、僕はゼッタイに泣かなかった。なぜなら僕は沙希さんに悠里を任されたんだ。母親をなくして途方にくれる悠里を守ることが、僕があの美しい人から課せられた最後の任務だった。そう思ったら、泣いてなんかいられない。咳なんかしている場合じゃない」
沙希さんが死んだ夜から、神楽くんの喘息はぴたりと止まった。
聞いていて、なんだか涙が出そうだった。
でも、よく考えたらわたしの質問の答えには全然なってない。その辺の事情がいろいろあるのはわかったけど、結局神楽くんは悠里ちゃんのことがスキなのか、スキじゃないのか、どっちなんだろう。
心の中が沸騰しそうになりながらも、作り笑顔で聞いた。
「でも、どうしてそのぬいぐるみを悠里ちゃんに返さなかったの? お母さんの霊がついてるかもしれないんなら、悠里ちゃんに返してあげればよかったんじゃない? そうすれば、神楽くんはお母さん役なんて面倒なことをしなくてすむし、悠里ちゃんだって自分で忘れ物に気を付けられるんだから一石二鳥だし」
すると、神楽くんはまたたっぷり時間をとった後に答えた。
「沙希さんの形見だから」
「?? だからその形見を悠里ちゃんに渡してって言われたんでしょ」
「悠里には、悪いと思ってるんだ。でもアイツには、このぬいぐるみの他にも沙希さんからもらったものがいろいろあるだろ。僕には何もなかったから、だから沙希さんから手渡されたこのぬいぐるみを僕のものにしたかったんだ」
エッ? ソレッテ、ドウイウイミデスカ?
そういえば、悠里ちゃんが言ってたっけ。「祐一には好きな人がいる」って。
沙希さんから渡されたぬいぐるみを自分の物にしたいって、つまり、神楽くんの好きな人っていうのは……
「軽蔑するよね。悠里の母親役だなんていいながら、僕はずっとアイツを騙してたんだ。悠里だけじゃない。沙希さんのことも裏切ったことになるんだよな。沙希さんの霊はホントは悠里のところに行きたかったはずなのに、僕が沙希さんを手放さなかった」
軽蔑するよね、なんて言われても、今はただ予想外の出来事にショックで全然頭が働かない状態ですよ。
「あ、あのさあ、神楽くんって、ひょっとして……悠里ちゃんのお母さんのことが……好き……なの?」
わたしの言葉に、神楽くんの頬がポッと染まった。
(ビンゴですかぁ!)
なんてこったい。じゃあ、神楽祐一があんなに悠里ちゃんの世話を焼いてたのは、彼女が好きだからじゃなくて悠里ちゃんのお母さんの沙希さんを好きだったからなのか。
胸の奥のほうがキリキリと痛くなってきた。
生まれて初めて好きになった男の子。
その初恋のライバルが、悠里ちゃんのお母さんだなんて……。だって悠里ちゃんのお母さんだったら、いくら若くたって三十前後だろう。
恋した相手は熟女マニアだったってか?
わたしが熟女になるのなんて、一体何年先の話なんだ?
その上、ライバルが生きてる人間ならまだ戦いようもあるってもんだけど、二年前に死んじゃって彼のぬいぐるみに取り憑いているんだぞ。
初恋に気がついた途端に失恋ムード濃厚って、いったいどういうこと!?
それから、また神楽祐一は黙り込んだ。
どこかで、鳥の鳴き声が響く。
多々良山中の奥深く、うっそうと茂る森林の中、魂が天に召されたわたしは真っ白い抜け殻になっていた。




