1-1 謎のクラスメイト
(1)
地球温暖化のせいか、最近は二月になっても雪がふらない。
わたしは六年二組の教室の窓からぼーっと外を眺めていた。
教壇ではチャイムより少し早く教室についた木内先生が、野太い声で授業の前の雑談をはじめている。中学受験が終わったばかりのわたしは、気が抜けたせいか真面目に授業を受ける気になれずにいた。
小学生でいられるのもあと二ヶ月。
四月からはクラスのほとんどの友だちとは離れ離れになってしまう。でも、不思議とさびしい気持ちはしなかった。学校が違っても、仲のいい友だちとはきっと連絡を取り合うだろう。もしそれっきりになってしまうようなら、本当の友だちじゃなかったってことだ。そんなふうに考えるわたしは、すこし冷たい人間なのかもしれない。
『玲様って、好きな男子いる?』
後ろの席の純ちゃんから、そんな手紙が回ってきた。この時期、クラスの女子たちは卒業前に告白をするとかしないとかっていう話題で持ちきりだった。
ちなみに、玲様っていうのはわたしのあだ名だ。名前が須崎玲菜、だから玲様。あだ名に様付けってどうなの?と思うけど、回りのみんなはわたしのイメージにぴったりだと言って、入学以来わたしはずっと玲様で通ってきた。
『いないよ、クラスの男子なんてセーシンネンレイ低すぎ』
メモ用紙にそう書いてこっそり後ろに回す。
わたしは、昔から同い年の男子を好きになったことがなかった。
小学一年生の時の初恋も同じ登校斑の六年生のお兄さんだった。今あこがれているのは、塾講師の大学生と水嶋ヒロ様だ。
すぐに返事が来た。
『玲様らしいよね。でも、気になる男子とかもいないの?』
……気になる男子、か。
ピンク色のメモ紙にかかれた純ちゃんの丸い文字を眺めながら、わたしはふっと右隣の席に目をやった。
隣に座っているのは、神楽祐一。
これといって目立つところのないフツーの男子だ。今も、ごくフツーの顔をして授業を受けている。
その彼が、無性に気になる。
気になるといっても、好きとか嫌いとかそういうことじゃない。
彼と同じクラスになったのは今年が初めてで、隣同士になったのも一ヵ月前の席替えが初めてだ。そして、隣の席になって気がついたことがあった。
(そろそろ時間ね)
わたしは黒板の上の時計と教室の後ろのドアを交互にながめた。三時間目始まりのチャイムまであと少し。
(キタッ!))
いつものように教室の後ろ側の引き戸がそーっと開いた。
「祐一、理科の教科書貸してくれ!」
小さく開いたドアの隙間から、隣のクラスの三谷さんが顔を半分だけ出してこちらに手を伸ばしている。
男の子かと思うような短い髪に、日焼けした肌。やせこけた手足は棒のようで女らしいところは一つもない。でもよーく見ると、彼女は目鼻立ちのはっきりした美人だった。おまけに性格は明るくて友だちも多く、男子にも結構人気がある。
わたしとは正反対のタイプだ。
「わかってるよ、ほら、コレだろ」
神楽祐一はささやくように言うと、手提げバックから取り出した教科書をひらひらと振ってみせた。三谷さんは、餌をもらった犬のように飛んできて教科書をひったくる。そのまま神楽祐一の背中をバシンバシンと二度叩いた。
「サンキュー、いつもありがとね」
そうして、またフリスビーを投げられた犬のような勢いで去っていった。
ほぼ同時に三時間目開始のチャイムが鳴る。
神楽祐一はさも満足そうに、理科の教科書が入っていた手提げバックの中を覗いていた。手提げバックには、持ち手のところに小さな熊の人形が結び付けてある。男子のクセに人形ってどんな趣味よと思うけど、今大事なのはそっちじゃない。
わたしは、ノートの端に定規を当てると丁寧に正方形に切り取った。
『三谷さんって、毎日神楽くんのところにモノ借りに来るよね』
切り取ったメモにそう書きこむと、四角く折ってから隣の机にそっとのせる。
それから、なんとなく気まずくて窓の方に顔をひねった。考えてみたら、わたしが自分から男子に手紙をまわしたのは初めてのことだ。
突然、隣でガタンという音がした。
横を見ると、神楽祐一が立ち上がってこっちを見ている。その表情は、驚き? 恐怖? まるで幽霊でも見たみたいだ。少なくとも、クラス一の美少女から手紙をもらって嬉しいという顔じゃない。わたしはちょっとだけ気分を害した。
「なんだぁ、神楽、トイレか」
木内先生がとぼけた声をだして、クラスのみんなはどっと笑った。
「い、いえ、すいません」
当の本人は、頭をかきながら椅子に座りなおす。
しばらくして、神楽祐一からメモが廻ってきた。
『そうだね。悠里は昔から忘れ物が多いんだ』
横を見ると、わたしより5センチくらい背の低い神楽祐一がポリポリと頬を掻きながら引きつった笑いを浮かべている。
悠里というのは、確か三谷さんの下の名前だ。
悠里は、忘れ物が多い?
そりゃそうだろう。毎日毎日、何かしら忘れたとか失くしたとかで彼のところにやってくるんだから。
でもじゃあ、メモの中の「昔から」っていうのは、どういう意味?
悪いけど、神楽祐一はたいして女子にモテるほうじゃない。六年の男子ランキングでいくと、中の下ってトコか。その彼が三谷さんのことを下の名前で親しげに呼ぶということは、この二人はたぶん幼馴染か何かなんだろう。家が近所だとか習い事が一緒とか、とにかく小さい頃からの知り合いなんだ。
そして、三谷さんの方は幼い頃からずぼらで、しょちゅう忘れ物をしては神楽くんを頼って泣きついてくる、というわけか。
幼馴染だかなんだか知らないけど、ちょっと可愛いからってそこまで男子に甘えるっていうのは理解できない。同じ女子として三谷さんに対して腹立たしい気持ちになった。彼女のことは、ちょっとカッコよくていい子だって印象があっただけにガッカリだ。
――しかし、今聞きたいのはそんなことじゃない。
わたしは飛んできたメモの裏に鉛筆を走らせると隣に投げ返した。そして今度は、メモを広げる神楽祐一の一挙手一投足に目を光らせる。
『でも、今日はウチのクラス、理科の授業ないよね』
さっき三谷さんが借りに来たのは理科の教科書だった。今日、わが六年二組には理科の授業はない。なのに、なぜ神楽くんはあんなにあっさり教科書を貸してあげられたんだろう?
わたしの書いたメモを見て、彼のこめかみがピクリと動いた。どうするのかと思っていたら、そのメモを机の中にしまって黒板に向かってノートをとり始めた。
無視する気だ。
わたしのこめかみまで一緒になってピクピクし始めた。
一年のときは入学式で新入生代表の挨拶をし、二年で学校案内パンフの表紙を飾り、三年の学習発表会では主役のスイミーを演じ、四年のときに書いた読書感想文が県知事賞を受賞、五年の鼓笛隊では総指揮を務め、六年で児童会会長に選ばれたこの須崎玲菜を、神楽祐一ごとき一般ピープルが無視するなんてそんなこと許されるだろうか? いや許されるわけがない。
わたしは速攻で追撃のメモを丸め、隣でとりすましているパンピー男子の頭に直撃してやった。
『なんで神楽くん、理科の教科書持ってるの?』
わたしからのメモを読んだ神楽祐一は、昼休みの情報学習室でこっそりインターネットのエッチなサイトに入っているのを発見された山田くんそっくりの驚きの表情を浮かべて、あわてて手紙を書いてよこした。
『偶然だよ。僕、間違えて持ってきちゃったんだ』
ふーん、無視の次は言い訳か。
しかしこのわたしは私立女子中学の最難関、桜女学館に合格した天才的頭脳の持ち主なんだ。そんなデタラメな言い訳にごまかされるはずがない。
証拠は既にあがっている。
すぐさまメモを回した。
『偶然でそうなる? 昨日の朝、三谷さんは家庭科の裁縫道具セットを借りに来たよね。昨日ウチのクラスに家庭科の授業はなかった。これも偶然? 神楽くんは偶然あんな大きいものを間違えてもって来たの?』
そうなんだ。席替えになってはじめて気付いたんだけど、三谷さんは毎日何かしらを神楽祐一のところに借りに来る。
もちろん、隣のクラスとウチのクラスで毎日同じ教科があるわけじゃなかった。
それなのに、神楽祐一は来る日も来る日も当たり前のように三谷さんのお願いに答えて頼まれた品を渡しているのだ。
席替えになって一ヶ月。その行為は一日たりとも途切れることはなかった。
それだけじゃない。クラスの女子に聞いたところによると、同じようなやりとりは彼らが四年生の頃から続けられているのだという。
その神楽祐一からメモが来た。
『はは、僕もウッカりしてるほうだから』
あくまでとぼける気か。
わたしは彼のメモにかぶせるくらいのスピードで返事のメモを返した。
まだまだ、他にもネタはある。
『先週の金曜日には、三谷さんが消しゴムをなくしたって言いに来たよね。神楽くん、新品の消しゴム渡してたでしょ』
『それはたまたま買い置きがあったから』
『じゃあPTAで先生に贈る花代三五〇円は? 先週の月曜日が期限だったのを立て替えてあげてたでしょ。アレも偶然? 神楽くんは偶然使う予定のないお金を持ってきてたわけ?』
『その日は、帰りに塾の参考書を買うつもりだったから』
ああ、もう、ああ言えばこう言う!
頭の中で何かがプチンと音を立てて切れた。次の瞬間、わたしはドスンと机を叩くと立ち上がって大きな声で怒鳴っていた。
「それが毎日でしょ!? 席替えしてから、ずっと毎日毎日! 三谷さんが何かを忘れて、神楽くんが出してあげる。そんなことが続いてたらおかしいと思うでしょ、普通!」
気が付くと、クラス中がわたしたちに視線を集中させている。
「なんだなんだ、大きな声を出して」
木内先生が驚いた声を上げ、それからまたいつものようなとぼけた調子で言った。
「須崎と神楽か。めずらしいな。夫婦ゲンカはそのくらいにして、授業をはじめるぞ」
みんなのクスクスという笑い声が聞こえる。
それだけじゃない。女子たちは勝手なことを言い始めた。
「玲様に初スキャンダル!? しかも相手は神楽くんだって」
「ええっ? 神楽くんて背ちっさいよね。玲様の好みって意外」
「でも、神楽くんには三組に彼女いるんじゃなかったっけ? 三谷さん」
「彼女じゃないよ。神楽くんは、三谷さんの召使とか執事みたいなもんなんだって」
「執事? じゃあ、玲様は三谷さんから執事を奪ったってこと?」
「そういうの略奪愛っていうんじゃない? さすが玲様!」
(な、なんでそうなるわけ!? わたしはこの男のことなんか好きでもなんでもないんですけど!)
サイアクだった。
残りの授業の間中、わたしは顔面を両腕で覆ったまま机に突っ伏していた。顔が耳まで真っ赤になっているのがわかる。
小学校六年間で最大の屈辱だ。
チラリと隣を横目で見ると、神楽祐一は何事もなかったかのように授業を受け続けていて、それがまたひどくわたしのプライドを傷つけた。この須崎玲菜とウワサが立ったんだから、ちょっとは喜ぶなり、少なくとも動揺するなりするべきじゃないだろうか。
それから放課後まで、わたしは一秒たりとも右隣へ視線を向けなかった。




