5-2 お風呂バトル
何? 何なの? よく聞こえないんですけど?
でも、たしかに『僕』って聞こえたような気がする。……ってことは、そこにいるのは神楽くん?
一緒にいいかなって、それは一緒にお風呂に入るってこと? わたしと神楽くんが?
そんなの、「いいかな?」って聞かれても、「いいです」って答えるわけないじゃないっ!
せめて水着くらい着てれば話は別だけど、わたしは、お風呂なんだから当たり前、一糸纏わぬオールヌードだ。 それにわたしは、神楽くんと三谷さんの間に間違いが起こるのを防ぎに来たんであって、自分が間違いを起こしに来たわけじゃない。
湯船に浸かって五分も経っていないのに、わたしの頭はのぼせる寸前だった。
でも、わたしと神楽くんの間で間違いが起これば、三谷さんと神楽くんの間での間違いは起こらないわけで、一応、当初の目的は達成したことになるのかな?
いや、でもいくらなんでも、イキナリわたしと神楽くんで間違いなんて無理だ。ムリムリだ。
そりゃあ、たしかにわたしは神楽くんの卒業マジックに掛かりそうになったことがある。その上、彼は他の男子と違ってガサツじゃないし、セーラー服が似合うという貴重な長所を持っていて、男子ランキングをいっきに上の中まで駆け上ってきたニュースターだ。
でも、わたしはこの年になるまで十二年間、キスの一つだってしたことないんだぞ。
わたしが黙っていたせいか、脱衣場から心配そうな声が響いた。
「どうしたの? 須崎さん、大丈夫?」
目を凝らすと、お風呂場と脱衣場を仕切る曇りガラスに人影が写っている。その影は今にも浴室に入ろうとしているように見えた。
慌てて答える。
「ええっと、大丈夫、大丈夫だから」
「ほんとに、平気?」
「平気。超平気」
「そうか、なら入っても平気だね」
「ちょっと待って、それは平気じゃないってば」
「どうして、僕のことキライ?」
「キライじゃないけど……」
「じゃあ、いいよね」
「ちょ、ちょっと待って! まだ心の準備が」
問答無用でガラス戸が開いた。わたしは慌てて湯船の隅に身体を沈めて身を隠す。なのに、目だけは開いたガラス戸を注視していた。
そこにあったのは、日焼けして引き締まった裸体。
「じゃじゃーん、一緒にお風呂に入ろうね」
悠里ちゃんだった。キツネにつままれた気がしてたずねる。
「……あの……さっき、男の人の声がしたような……」
すると、彼女は器用に声色を変えてみせる。
「ああ、さっきの声ってコレ? 『僕だけど、一緒にいいかな』、祐一じゃなくってガッカリした?」
三谷悠里の表情には、いつもの屈託のない笑顔が浮かんでいた。
「くぉ、くぉ」
「? くぉ? クオカード?」
「くぉぉのぉおおお、ペチャパイがぁあ」
わたしは、湯船のお湯を悠里ちゃん目掛けて全力で浴びせかけた。
「ひどーい、ペチャパイって、玲様もそんなに違わないじゃん!」
そう言うと、悠里ちゃんも反撃してくる。
「違うわよ、わたしは四年生からブラしてるし!」
「フンだ。アタシのブラなんか、祐一が選んだヤツなんだからね」
「な、なんですって、同級生の男子に下着選ばせるなんて、こ、この恥知らず!」
湯船にいるわたしの方がお湯のかけっこには有利だと思っていたら、悠里ちゃんにシャワーを取られてしまった。熱いお湯が容赦なく顔面めがけて飛んでくる。わたしも負けずに洗面器で攻撃した。
「なによ、玲様、ホントはうらやましいんでしょ。うらやましいなら、うらやましいって言えばいいじゃん!」
「何でわたしがっ!」
「いい加減、白状しなよ。祐一のこと好きなんでしょ!」
悠里ちゃんの予想外の反撃に、思わずわたしの手が止まった。
わたしが、神楽くんのことを好き?
最初は、神楽くんの秘密が気になるだけだった。そのうち、熱心に悠里ちゃんの世話をする神楽くんにやきもちを焼いた。神楽くんがわたしのほうを見てくれると嬉しかった。
それって、わたしは神楽くんのことが好きってことなのかな?
「……そんなこと……わたしにだってわかんないわよ!」
そう叫んだとたん、足元の地面がふわっと浮き上がった。気持ち悪くなって、立っていられなくなる。
これが目が回るってことか。
お風呂の中で暴れ回ったから、のぼせちゃったのかな?
「玲様! 玲様!」
耳元で悠里ちゃんの声がする。それを聞きながら、わたしの意識は遠くなっていった。
* * *
目を覚ますと、あたりは真っ暗だった。
真冬なのに、風鈴の音がする。冷たい空気が顔に心地いい。
「気がついた? 大丈夫?」
枕元から、安心したような、でもまだ半分心配しているような声が聞こえてきた。目を凝らすと、悠里ちゃんが座っている。彼女は泣き腫らしたような赤い目をしていた。
「うん、平気みたい」
「気持ち悪くない? 頭痛いとかもない?」
「アリガト、もう平気みたい」
わたしは、いつの間にか浴衣を着て布団に横になっていた。
「それ、おかあさんが子供の頃の浴衣なんだって。あ、大丈夫だよ。アタシとおばあちゃんで部屋に運んで着替えさせたから、祐一には全然見られてないし」
「よかったぁ」
ほっと胸をなでおろす。
「ゴメンね」
悠里ちゃんがつぶやいた。
「アタシがヘンなこと言ったから」
彼女はスウェットに綿入れを羽織っていて、それが田舎の子みたいで妙に可愛らしかった。そうやって素直に謝れるところも可愛い。きっと親の教育がいいんだろう。神楽くんグッジョブだな。わたしも見習いたい。
「わたしこそ、ゴメン。今何時? もう遅いんでしょ。いままでついててくれたの?」
「うん。おばあちゃんはノボせただけだから大丈夫だっていうんだけど。なんだか心配になっちゃって。目が覚めなかったらどうしようかって」
「アリガト。ねえ、寒くない? こっちおいでよ」
この家は風情のある日本家屋だけど、その分夜になると街中より寒い気がする。わたしは掛け布団をめくって、悠里ちゃんを誘った。
「今日は、一緒に寝ようよ」
「うん」
誰かと一緒の布団で寝るのなんていつ以来だろう。めくったせいで一時的に冷えた布団は、悠里ちゃんが入ってくるとすぐにぬくぬくになった。
「玲様、おかあさんの匂いがする」
「ああ、きっとこの浴衣のせいね」
「ううん、もっと甘い匂い」
「やめてよ、わたしまだ十二歳だよ。同い年じゃない」
そういう悠里ちゃんからは石鹸の匂いがした。
ぽつりと、彼女は言った。
「アタシね、五年生の頃、祐一のことが好きだったんだ」
心臓がビクンと跳ねる。
「だって、おかあさん死んだばっかりで淋しい時に、祐一ってば優しいんだもん。それまではいっつも喘息で頼りなかったのに、いきなり『オレが面倒見てヤル!』ってカンジでさ。あれは惚れてまうよ。反則だよね。それに、そんなだから、きっと祐一の方もアタシのこと好きなんだろうなって思うでしょ」
「そ、そうなんだ」
わたしは、いままで避けていた現実を突きつけられた気分だった。
たしかに、神楽くんの悠里ちゃんに対する献身は異常だ。好きでもない女の子に、あそこまでするとは到底思えない。きっと、神楽くんは悠里ちゃんのことが好きなんだろう。もし、悠里ちゃんも神楽くんのことを好きなのなら、わたしなんかが入り込む隙間はない。
思わず胸を押さえる私に、悠里ちゃんは小さく微笑んだ。
「でも、なんか違ったんだよね」
「えっ?」
「祐一には、昔から誰か好きな人がいるみたいなんだ。どこの誰かは、わかんないんだけどさ」
いやあ、それはどう考えてもキミだと思うよ。
「だから、アタシは祐一のことはあきらめたの。片想いを続けるって、アタシのキャラじゃないし」
「……そう、なの?」
「でも玲様なら、きっと誰が相手でもメじゃないと思うんだ。だから、アタシ応援するね」
うーん、恋敵その人から応援されるってのもずいぶん複雑な気分なんですけど。
「ア、 アリガト」
一応そう答えて、わたしは浮かばれない神楽くんの恋を思ってため息をついた。それから、わたしの恋も……いや、待て、いつからわたしは神楽祐一に恋してることに決定したんだ? なんだかまわりがあんまりそういうことにしたがるから、すっかり自分でもそんな気分になっちゃったじゃないか。
それからわたしと悠里ちゃんは、テレビの話や中学生になってから入る部活の話や、いろんなことを話した。
そうだ。彼女と一緒にいるんだから、MDD阻止作戦は大成功ってわけだ。これで伊藤亮介にも顔が立ったことになる。
そんなことを考えながら、わたしはいつの間にかまた深い眠りについていた。




