5-1 雀のお宿
(5)
「ちょっと、ホントにここは日本なの?」
多々良山中を行くバスの中で、わたしは一人ビビリまくっていた。
道路はすでに車一台分の幅も怪しく、他の車とすれ違うたびにバックして路側帯のあるところまで戻らなければならない。コンビニを見たのは、三つ手前のバス停が最後だった。こんなの、一昨年家族旅行で行ったマレーシア以来だ。
なんだか気持ち悪くなってきた。
どうも、バスに酔ったらしい。眉をしかめていると、神楽くんがショルダーバッグから何かを取り出した。
「須崎さん、これ」
酔い止めの薬だった。
「えっ? わたしに?」
ちょっとビックリした。神楽くんの準備の良さは、悠里ちゃんのためだけにあると思ってたのに。
「うん。悠里は車酔いなんてまずしないから、どうして酔い止めが要るのかわからなかったんだけど、須崎さんの分だったんだね」
「えっ?」
「あ、なんでもないよ。ほら、あとお水もね。ホントはバスに乗る前に飲んでおけば良かったんだけど、今からでも違うと思うよ。もう少しだから頑張って」
「ありがと、神楽くんの準備の良さってホントに神懸り的ね」
もらった酔い止めを飲んでも、もちろんすぐに気持ち悪いのが治るわけじゃない。でも気持ち悪いのと同時に、なんだかふわふわと浮き上がるような感じがしてきた。
高揚感っていうんだろうか? 気持ち悪いのに気持ちいい、なんとも複雑な感じ。
神楽くんから薬をもらったってだけでこんな風になっちゃうなんて、わたしってこんなに単純な人間だったっけ?
それから終点までの二十分は、ボォーっとしてる内にあっという間に過ぎてしまった。
バスの終点「吉野泊」で降りると、目の前には見事なまでの段々畑が広がっていた。冬だっていうのに、緑の木々が生い茂っている。この辺りはミカンの産地なんだと神楽くんが教えてくれた。
「おじいちゃんが迎えに来てくれることになってるんだ。あ、来た来た、おーい」
悠里ちゃんが手を振る先に見えてくるのは、なんとトラクターだ。
泥の付いた現役バリバリのトラクターが、ゆっくりとこっちへ近づいてくる。その上には、おじいちゃんと呼ぶには不釣合いなマッチョで日焼けしたオジさんが乗っかっていた。
「やあ悠里ちゃん、よく来たねえ。一年ぶりかい、大きくなったなあ」
おじいさんは、わたしたち三人を見つけると笑顔で手を振って……しかし、その目は泳いでいる。
「じ、じいちゃん最近目が悪くなってねえ。悠里ちゃんも、もう中学生だろ。ずいぶん大人になったから……」
「あ、おじいちゃん、まさか誰が自分の孫だか分かんないわけじゃないよね」
悠里ちゃんがいたずらっぽくたずねる。おじいさんは慌てて首を振った。
「そんなことはないぞ。可愛い孫を見間違えるわけないじゃないか。よく来たな、沙希も喜ぶじゃろ」
そう言って差し出した手は、まっすぐに神楽くんを向いていた。
「それで、そっちのズボンの男の子が神楽くんじゃろ。お葬式のときに一回あったきりじゃけど覚えてるかな。その節は、ありがとうね」
「覚えてないのは、おじいちゃんの方ジャンよ!」
山中に悠里ちゃんの不満の叫びがこだまして、わたしは声を上げて笑い、神楽くんは赤い頬をさらに真っ赤にしていた。
トラクターに揺られること、さらに二十分。
たどり着いた悠里ちゃんのお母さんの実家は、大きな日本家屋だった。こんな山奥にこんな立派な家があるなんて、まるっきり舌切り雀に出てくる「雀のお宿」みたいだ。
「今から、お墓のある裏山を登るのは危険じゃから、今日はゆっくり休んで明日の朝早くに出るといい」
おじいさんがそういうので、わたしたちは素直に従うことにする。
そして、おばあさんの作ったご馳走をたっぷり食べて、また皆でトランプをして、夜にはお風呂までいただくことになった。
おじいさんの家のお風呂は、まるで温泉旅館か何かのように大きかった。
「ふう」
湯船に浸かって大きく息をつく。
いい気持ちだった。長時間バスに揺られるのは、歩いたり走ったりしなくても結構疲れる。その長旅の疲れが全部落ちていくみたいだ。
(うーん、極楽、極楽)
お風呂の天井には明かり取りの小さな窓が開いていて、そこから星空が覗いていた。ウチの地元だってそんなに都会ってわけじゃないけど、この山奥で見る星は一段とキレイに瞬いている。
(なんで、わたしは今、こんなところにいるんだろう?)
なんだか、不思議だった。
二ヶ月前までは、神楽くんや悠里ちゃんとロクに口を利いたこともなかったし、二人に興味もなかった。最初に神楽くんのことが気になったのだって、彼のことを怪しいと思ったからだ。
悠里ちゃんの忘れ物を神懸り的に準備している神楽くん。
その秘密を知りたくて、神楽くんのことを探り始めたんだった。おかげで彼について、いろんなことを知ることができた。
神楽くんは、悠里ちゃんのお母さん役である。それも、かなりマメで世話好きなお母さんだ。
神楽くんは、足が速い。実際にスピードを計ったわけじゃないけど、オリンピックの陸上選手みたいなカッコいいフォームで走る。
神楽くんは、女装が似合う。セーラー服を着た神楽くんは、わたしとも悠里ちゃんとも違うタイプ。マニアックな言い方をすると、萌えキャラとかロリキャラってヤツだ。
でも、肝心の神楽くんの秘密については何もわからないままだった。
そういえば、今日変なこと言ってたっけ。たしか、「どうして酔い止めが要るのかわからなかったんだけど、須崎さんの分だったんだ」みたいな。
あれはどういう意味だったんだろう?
言葉どおりに受け取ると、神楽くんは酔い止めを準備したけれど誰がどう使うかは知らなかったってことになる。つまり、前にわたしが想像していた神楽くんが盗撮魔だっていう説は的外れだったってわけだ。どこをどう盗撮したって、今日酔い止めが必要になるなんて分かるはずがない。まあもっとも、神楽くんがヘンタイじゃないってことは、わたしにはとっくにわかっていたんだけど。
でも、それなら神楽くんはいったいどうやって、日頃の悠里ちゃんの忘れ物や今日の酔い止めを準備することができたんだろう。こうなるともう、本当に予知能力みたいなものしか思いつかなかった。酔い止めを誰が使うかまではわからないんだから、予知というよりは、占いや神託と言ったほうが正しいだろうか。
神楽くんには、本当に未来を見通す力があるのか?
「そんな非現実的なことあるわけないじゃん!」
わたしは首を横に振りながら、大きくつぶやいた。その声は風呂場の壁に反響して耳に響く。
まあいい。今回は別に、神楽くんの秘密を暴きに来たわけじゃないんだ。わたしの目的はMDD阻止。神楽くんと三谷さんとの間に間違いが起こるのを防がなきゃいけない。
そして、もしその間違いがおこるとしたら、まさに今夜だろう。
任務の途中で無念に散った伊藤亮介のためにも、今夜はバッチリ寝ずの番をしなきゃ。
――ガタン
そんなことを考えていると、脱衣場の方から物音が聞こえてきた。
「誰!」
ビックリして声を上げると、湯気の向こうからくぐもった低い声が聞こえる。
「僕だけど、一緒にいいかな?」




