06話 新学期、片耳だけ空けた距離①
放課後、帰り支度を終え、鞄を肩にかけた。
(……昨日、やりすぎたな)
喉の違和感と、思い出すだけで少し疲れる感覚。
それでも。
(……まあ、悪くはなかったか)
如月さんは気づかいで親切にしてくれただけだ。
それはわかっている。
昨日は、たまたま。
クラスでカラオケという流れがあっただけ。
今日は朝に一度『おはよう』と交わしただけだった。
如月さんのまわりにはいつも通り人が集まっている。
今日も同じ距離で話せるなんて、思わない方がいい。
昨日の距離は、いつもと違っただけだ。
あれを基準にしたら、全部おかしくなる。
(……こんなもんだろ)
クラスが同じだからって、関わる理由はない。
あの空間だから隣にいた。
あの流れだから会話していた。
もう自分の位置に戻ったってことだ。
こっちじゃなくて、あっち側に。
オレは教室の扉へ向かい、廊下へ出ようとした。
「松前くん」
明るく通る声に、後ろから呼び止められた。
思考が止まる。
オレが振り向いたのを確認すると、ほっとしたように口元を緩めた。
脳が追いつかない。
タイミングが悪すぎる。
ついさっきまで頭の中にいた相手だ。
しかも。
(声、可愛すぎだろ……)
高いのにやわらかくて、名前を呼ばれただけなのに、耳に残る。
(やばい、顔に出てないか……?)
目を伏せる。
「……おつかれ」
遅れて返した言葉は、学生同士の挨拶としては、微妙にズレていた。
如月さんはきょとんとした顔をしたあと、嬉しそうにふっと笑った。
「おつかれー」
同じ言葉で返してくる。
軽く合わせるその感じが自然だった。
近づいてくる如月さんの顔がはっきり見えた。
オレと視線を合わせようとしているのか、のぞき込むように顔をかたむけている。
(……近い)
反射的に身体を引きそうになって、止める。
露骨なのはやばい。
「昨日さ、来てくれてありがとう。松前くんいてくれて助かったし、嬉しかった」
(社交辞令だよな……?)
それから如月さんは言いにくそうに目を落とし、スカートの端を軽くつまんでからすぐ離した。
なにかを言いかけて、口を閉じる。
すっと息を吸う音が聞こえ、如月さんは顔を上げた。
「松前くん、ちょっと一緒に帰らない?」
「へ」
間の抜けた声になった。
(……一緒に帰る? なんで?)
わりとすぐ答えが出る。
(罰ゲームか)
昨日、二人でいるだけであれだけイチャついていると言われた。
オレにだけ甘いだの、隣から動かないだの、とからかわれたことを思い出す。
その流れで、『じゃあ松前と一緒に帰ってこいよ』くらいの軽口が出たのだろう。
「……だめ?」
如月さんが小さく首をかしげてくる。
(罰ゲームとはいえ、オレなんかに断られたらショックだろ。それに、罰ゲームだとしても……)
「……だめじゃない」
結局、それしか出てこない。
如月さんは目を細めて、にっこり笑う。
「やった、じゃあ決まりー」
◇ ◇
校門を出て、二人で並んで歩く。
夕方の光が傾いていて、アスファルトの歩道に影を落としていた。
オレは視線を前に向けたまま、隣を歩く如月さんを意識しないようにする。
クラスの中心にいるような女の子が、オレみたいな最底辺の陰キャと並んで帰っている。
罰ゲームだと状況を整理しようとしても、その落差ばかりが浮かぶ。
ちらりと横を見る。
如月さんは、普通に楽しそうに歩いていた。
「今日めっちゃ暑かったよねー。昼とか夏みたいだった」
「うん…」
それだけ返す。
(短すぎるだろ……)
自分でも分かる。
会話になっていない。
「このくらいの時間が涼しくていいんだよね」
「……そうだな」
(もっとなんか、言えよ……)
頭の中では言葉を探しているのに、口から出てくるのはこれだけだ。
少し歩いて、また如月さんが続ける。
「今日さ、消しゴムどこいったか分かんなくなってさー。ずっと探してたら普通に筆箱にあった」
「……あるな」
また、それだけ。
自分でも嫌になるくらい、広がらない返し。
それでも如月さんは気にした様子もなく、他愛ない話をぽつぽつと続けていく。
(……申し訳なさすぎる)
明らかに、向こうが会話を回してる。
自分はただ、乗っかってるだけ。
(これ、絶対つまんないだろ……)
せっかく話しかけてきてくれてるのに、まともに返せていない。
「それでさ、先生に言われちゃってー」
変わらず楽しそうに続ける如月さんを見て、気づく。
(この子、オレに質問してきてないな)
感想も出来事もすべて如月さん発信で、こっちに話を振らない形になっている。
だから。
(オレが答えに詰まることがない、のか)
オレに合わせて、会話が自然に続く形を作っていた。
(……そこまでやるか、普通)
相手に負担をかけないように、空気を整えるやり方は、昨日のカラオケでも見ている。
オレは、無意識に視線を落としていた。
(オレはそれに甘えてるだけだ……)
気づいたところで、どうすることもできない。
けど。
(罰ゲームなら、付き合わせてる時間が長いほど面倒だ)
どうせ<やった>って形になればいいだけなら、早めに解放してあげた方がいい。
(罰ゲームだとしても、すこし話せて嬉しかったし……)
それは心の中で認めた。
タイミングを見て、なんとか声を出す。
自分から声をかけるのは、しんどい。
「……あ、あのさ」
「ん?」
「……どこまで帰る」
「え? あたし? 駅の方かな」
答えたあと、如月さんの表情がふっと柔らいだ。
話しかけられたのが嬉しいみたいに。
「……そうか」
駅ならちょうどいい。
人も多いし、そこで解散するなら自然だ。
如月さんは目をぱちぱちさせて、少しだけ間を置いてから口をひらいた。
「松前くんってさ。帰り道、いつも一人?」
質問がきた。
その声は、さっきより柔らかかった。
「……まあ」
「そっかー」
(……なんだ)
オレは引っかかりを覚える。
さっきまで一切、質問はしてこなかったのに、急にだ。
思い当たるとすれば。
(いま、オレから話しかけた。それで……話す意思があると思ったか)
そうだとしたら、かなり気をつかわせていたはずだ。
この子は、質問してもいいかをずっと探っていた。
そこまでやるのか。
そういうの疲れないのか。
しかし、無理している感じは、あまりない。
こういうことに慣れすぎて、隠すのが上手いだけなのかも知れない。
そう思うことにした。
如月さんは、しばらく黙っていた。
さっきまでの雑談の流れにしては、間が空きすぎている。
如月さんの指先が、鞄の持ち手をぎゅっと握った。
「あの、それって。彼女とかいないってこと?」
(……なんだそれ)
温度の違う質問に、足が止まりそうになった。
「……まあ」
短く答える。
考える余地もない質問だった。
如月さんは表情をゆるめる。
「へー」
それは、安心したような声だった。
「……なんで」
口が先に動いていた。
「え?」
「いや、なんでそんなこと聞くのかって」
如月さんは「んー……」と小さくうなってから、
「彼女いたらさ、あたしとこうやって帰るのまずいと思って」
軽く言う。
でも、その言い方には、含みがある気がする。
それ以上は追及しなかった。
(どうせ、深い意味ないだろ)
そう片付ける。
けれど。
(……近い)
さっきより、明らかに。
如月さんが歩きながらこっちに寄ってきている。
肩が触れるか触れないかの、偶然じゃない距離。
「じゃあ、気になる人とか」
(……なんだその質問)
如月さんが頭に浮かびかけて、
(いや、違う。隣にいるから、それだけだ)
すぐ打ち消す。
そもそも、如月さんをそういう枠に入れること自体がおかしい。
「……いない」
「ほんとに?」
如月さんが目を瞬かせ、顔を覗き込んでくる。
(近いって……)
「……なんで疑う」
「え、松前くんモテると思って」
真剣な目だった。
(モテてるのはそっちだろ……)
「オレがモテるわけないだろ」
「えー、謙虚なんだね」
如月さんは、クスッと笑う。
髪が揺れて、頬にかかるのを指で軽く払った。
自然で無駄がない仕草に見入る。
(ほんとに美人だな……)
信号で足が止まり、横並びになる。
(……ここでいいか)
ここまで如月さんが会話をまわして、歩く歩幅まで合わせてくれていた。
自分はまともに返せていないし、のっかり続けているだけだった。
長引かせるほど、如月さんの負担になるだけだ。
オレは短く息を吸う。
「……じゃあさ、ここでいいよ」
「ん? うん」
「駅、あっちだよな」
軽く指先で方向を示す。
「うん、そうだけど」
「じゃあ、もう大丈夫だろ」
できるだけ何でもない調子で言う。
突き放さないように、でも、ながなが続けないように。
これで終わりの合図にはなる。
如月さんは何も言わなかった。
信号が青に変わる。
周りの人が動き出す。
オレは半歩遅れて歩き進めた。
それに合わせて、如月さんも横に並んでついてきた。
「き、如月さん……?」
信号を渡りきったところで、足を止める。
如月さんは首をかしげて、不思議そうにオレを見つめる。
(いや可愛いな………じゃなくて)
「ここで別れて帰る流れだったよね?」
「え、ごめん。なんか意味わかってなくて……こっちからでも帰れるから、いいかなって」
「オレはいいけど、如月さんが無理してるだろ」
「……うん?」
きょとんとする。
なにを言っているの?みたいな顔だ。
「如月さんは、オレといても楽しくないだろ」
言い切ってしまう。
自分でもうまく整理できていない言い方だと思った。
如月さんの動きが止まる。
明らかにムスッとした顔になっていた。
こんな顔もするのかと、場違いな感想が浮かんで嫌になる。
「勝手に決めつけないで。あたし楽しくなさそうにしてた? それなら謝るけど」




