05話 新学期、如月さんの誘い⑤
「お前ら、さっきからなにイチャついてんだ」
突然、マイク越しの声が飛んだ。
オレと如月さんの肩が同時に跳ねた。
声の主は、クラスでもお調子者っぽいやつだった。
「リア充め」
笑いながらではあるが、その言い方には引っかかるものがある。
「ち、違うって。イチャついてないよー」
うまく取り繕おうとする如月さんに、周りの声が重なる。
「でも仲良くない?」
「なんか距離近いよな」
「もしかして付き合ってる?」
オレは、ここで反応すると面倒になると判断して黙ってしまった。
如月さんはこちらを見ないまま、笑顔を崩さず返した。
「違うよー、今日はじめて喋ったんだよ?」
「席狭かっただけだよー。あたしが勝手に詰めただけ。あたしが寄りすぎちゃったのー」
自分なら、黙って耐える場面だ。
如月さんは周囲の声にも自然に返しながら、笑いに変えていく。
(器用だな……)
オレは、耳の奥で声だけを拾う。
「如月さーん、俺の隣に来てよー」
「俺とも喋ってー」
(人気者も大変だな……)
如月さんは、声のかかるほうに視線を動かしながら手を振り、
「ほら、席もう決まってるから」
「さっき教室でいっぱい喋ったでしょー?」
しっかり会話を拾っていく。
冗談っぽいかたちのまま、はっきり線を引く。
曖昧にすると長引く。
そういう空気に慣れている感じだった。
そのおかげで、場は一度落ち着きかける。
しかし、
「なんか如月さんってさー、松前にだけ甘くね?」
別の男が笑いながら口をはさむ。
笑い交じりだが、完全に冗談にするつもりもないようだ。
「ここまで道案内してたし、注文もわざわざ聞いてやって」
さらに別の声。
「オレらにはそんな丁寧じゃねーよな? 対応違くね?」
軽口っぽい追及に、その場の温度が微妙に変わる。
近くにいた女子同士が、顔を見合わせるのが見えた。
笑えばいいのか、止めるべきなのか。
そんな微妙な沈黙が落ちる。
それでも如月さんは笑顔を崩さなかった。
すこしだけ眉を下げ、口元を手で軽く隠す。
困ったような表情。
なのに、声はやわらかい。
「えー、あたしそんなふうに見えてたんだぁ。差つけてるつもりなかったんだけどな……そんなふうに見えてたなら、今度から気をつけるね。ほんとにごめんね」
言ってきた男に対し、可愛く見える角度で返して流れを変える。
男の勢いが弱まる。
「いや、そういうわけじゃ……」
「ほんとー? よかったー」
如月さんは、そこでにこっと笑って、空気を完全に戻した。
(……すっげぇな)
隣でやり取りを見ていたオレは、素直に感心した。
誰も傷つけない形で、自分を下げて場をおさめた。
ただ明るいだけじゃない。
ちゃんと計算してるのに、それを見せない。
自然にやってるように見えるのが、余計にすごかった。
それまであった刺さるような視線も、もうほとんど消えている。
(……これなら、もう来ない)
そう思って肩の力を抜いた、そのとき。
「いやでもさー。結局、松前の隣から動かないわけじゃん」
まだ引かない声があった。
オレは小さく息を吐いて、目を伏せる。
(……まだやるのかよ)
視線がまた集まり始めた。
横を見ると、如月さんはまだ笑っている。
口を開きかけて、そこで止まった。
視線は前を向いたまま。
一度もこちらを見ない。
(……ああ)
オレは、遅れてやっと意味に気づく。
(オレに話を振られないようにしてるのか)
話を向けられれば、オレも何か返さないといけなくなる。
それを避けるために、如月さんは全部、自分で受けている。
からかわれているのは二人なのに、矢印がこっちへ向かないように。
(……そこまでやるか、普通)
守っている感じを出さず、涼しい顔でやっている。
(……これ、完全に守られてるがわだ)
自分は何もしていない。
隣に座って、すべて任せているだけだ。
(……それでいいわけない)
このまま黙っていれば、また如月さんがうまく処理する。
でもそれは、ただ押しつけてるだけだ。
(それは、さすがにダサい)
逃げるのは簡単だ。
黙っていればいい。
でも、また如月さんに背負わせる。
(……違うよな)
気が重い。
目立つのも、注目されるのも苦手だ。
でも、ここはカラオケだ。
言い返せなくても、歌が始まれば今の話は止まる。
笑いに変えることはできないけど、マイクを取れば視線は自分に向く。
それが嫌で仕方ないのに、今はそのほうがまだマシだった。
如月さんがこれ以上なにか言わなくて済むなら、それでいい。
(……今度は、オレの番だろ)
オレは小さく息を吸った。
「……次、オレ歌う」
「え」
如月さんの声が、短くもれる。
口元に指先が当たって、目を丸くして、こちらを見ていた。
迷うように視線が揺れたあと、
「あ、ありがとう……」
と言った。
オレはタブレットを受け取る。
如月さんは「今日はじめて喋った」と言ってみんなを落ち着かせた。
可愛いがわへ寄せながら、その場を丸くおさめた。
この子が場をおさめたことは、全部わかっている。
(オレは、ああいうのは苦手だ……)
嫌味じゃない。
ただ、自分には向いていない。
目立つことも、期待されることも、笑わせることも。
どれも性に合わない。
(だからって、この子ひとりに任せっぱなしは違う)
オレが選んだ曲は、ロックだった。
ここに来る前、如月さんが好きだと言っていたジャンル。
(……なんでこれ選んでんだ、オレ)
自分でも分からないまま、決定ボタンを押した。
画面が切り替わる。
「え、松前が歌うの?」
「しかもロック? マジで?」
ざわつく声を前に、マイクを握ってうつむく。
マイクを持つ手が、わずかに震えていた。
イントロが流れ始める。
◇
(松前くん、歌いたくないって言ってたのに……)
緊張してるのも、無理してるのも分かってる。
でも止めたら、松前くんが前に出てくれた意味まで消してしまう気がした。
(あたしのせいで無理してる……でも、嬉しい)
イントロが終わって、松前くんの歌い出し。
その瞬間、まわりの声がぴたりと止んだ。
(……え)
あたしは、思わずまたたきを止めるほどだった。
低く、少し掠れた声が、驚くほどまっすぐ通る。
音程が異常なほど正確でブレない。
いや、音程だけの話じゃない。
スピーカー越しなのに、生のライブで押されるみたいな圧があった。
それまで騒いでいたクラスメイトたちの動きが止まって、聴き入っている。
ただ上手いだけじゃない。
詳しいことは分からないけど、歌い慣れている。
息を吸う場所、一気に押し切る場所。
サビの前でふっと引いてから、強く出す。
その落差を、耳の奥に残してくる。
(……なにこれ)
音程やリズムがズレないのは当たり前みたい。
とくにすごいのは高音の瞬間。
苦しそうな感じが一切なくて、最初からそこに届くように抜ける。
(す……すごい)
気づかないうちに、前へ身を乗り出していた。
あたしは、完全に目を奪われていた。
部屋の空気は、すべて松前くんに持っていかれていた。
◇
曲が終わって最後の音が消えたあと、一拍の静寂があった。
さっき最初にからかってきたお調子者が「ブラボー!」と大きく拍手すると、それをきっかけに全員が拍手を始めた。
さっきまでの空気は、もう残っていなかった。
(良かった…)
「え、やば。マジで歌うま」
「松前くんてそういうキャラなんだ」
「いっつも音楽聴いてるのは知ってたけどさ」
拍手の中で、そんな声が広がっていく。
オレは小さくため息をついて、コーラを一口飲んだ。
如月さんがそっと顔を寄せ、耳打ちしてくる。
「松前くん、歌わないって言ってたのに歌わせてごめん。でも聴けて良かった」
「いや……急に歌いたくなっただけ」
「またそんな……助けてくれたんでしょ。前にもあったから分かってる」
(前にも……?)
記憶をたどっても何も思い出せない。
(まぁ、助けたというか……)
隣で頑張る如月さんを見て、守られてばかりというわけにはいかなかった。
しかし、それを言うと「急に歌いたくなった」が嘘だということになる。
オレは言葉を飲み込んだ。
その後、オレに「次はこれ歌って」というリクエストが次々飛んできた。
本当は、一曲で終わるつもりだった。
ここで断れば、また如月さんがフォローに回る流れに戻ってしまうかも知れない。
断れなかった。
「松前くん、これ歌える?」
「俺もこれ頼む!」
「……うん」
苦笑しながら短く返して、マイクを握り直した。
◇ ◇ ◇
気づけば、何曲も歌っていた。
2杯目のコーラを一口飲んで、ふと横を見ると、如月さんの唇がわずかに尖っていた。
「如月さん……?」
如月さんは頬を膨らませて、そっぽを向いた。
「あたしが誘ったときは、歌わないって言ってたのに」
「いや、あれは……」
「みんなのリクエストには答えるんだー。誘ったの、あたしなのにさ」
まるで、すねているみたいに言ってくる。
さっきまで愛想よく場を回していた顔とは違う、なにか個人的な不満が滲んでいるように見えた。
(こういう子どもっぽいところもあるのか……この子)
如月さんが、わかりやすく拗ねた。
それが自分に向けられていることが、なんだか嬉しかった。
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