49話 イヤホン買いに、行ったはいいけど渡せない③
『♪〜〜〜!!』
息を吸う音のあと、感情の乗った声が、放課後の教室にまっすぐ響いた。
松前くんが、止まった。
あたしも止まった。
数秒遅れて、気づく。
イヤホン、切れてる。
つまり、今。
「え、うそっ」
慌ててスマホをつかむ。
指が滑って、音量バーが動き、歌はさらに大きくなった。
「わ、ちがっ、えっ」
ようやく停止。
静寂。
松前くんは、片手で顔を覆ったまま固まっていた。
耳が真っ赤だった。
あたしは恐る恐る口を開いた。
「ご、ごめん」
「……なんでそんなの持ってる」
手の向こうから、低い声が返ってきた。
あたしは、息を止めた。
松前くんは、自分が録音されていたことを知らない。
前に二人でカラオケへ行った時、あたしは最初から残したいと思っていた。
こっそり保存して、絶対に言わないでおこうと。
言ったら、たぶんもう歌ってくれない。
だから、今まで黙っていた。
でも今、全部バレた。
「えっと」
「……なんで持ってる」
松前くんが、指の隙間から片目だけでこっちを見た。
心臓が、嫌な音を立てる。
理由なんて、決まっている。
聴きたかったから。
何回も。
移動中も、寝る前も、なんなら少し落ち込んだ時も。
「あとで、聴きたくて……」
声が、震えた。
◇ ◇
如月さんはスマホを抱えたまま、縮こまっている。
オレは、頭の中の情報がなかなか整理できなかった。
録音。
あとで聴きたくて。
つまり。
(普段から聴いてたのか?)
自分の歌を、如月さんが、保存して、聴いている。
(なんだそれ……)
如月さんが、オレの反応をちらっと見た。
たぶん、怒っているか確認したんだと思う。
怒るとか、それ以前の問題だ。
さっきから心臓が、変な音を立てている。
目をそらしたまま返した。
「……消せとは言わないけど、外で流さないでくれ」
如月さんがびくっと反応した。
「ごめん……モデルの先輩に、ちょっと聴かせた」
「……は?」
「イヤホンなかったから、スマホ耳に当てて聴いてたら、ちょっと音漏れてて。歌ほめられて嬉しくて、断れなかった。だから聴かせちゃった」
(……現場でも聴いてた)
返す言葉が消えて、何か言おうとしても何も出なかった。
耳がずっと熱い。
イヤホンは、現場で使うのに欲しかった。
(それ、オレの歌聴くためだったのか)
イヤホンは、店員に聞けばよかったはずだ。
なのに如月さんは、オレに聞いてきた。
分からないから、教えてほしいと言った。
如月さんは最初から、オレの歌を聴くためのイヤホンを、オレに選んでほしかった。
「でも、これなら一人で聴けるから、イヤホン嬉しかった」
如月さんが、嬉しそうに笑って言った。
その瞬間、電気屋で悩み続けた二時間も、渡せなくて一日中パニックになっていたことも、全部がどうでもよくなった。
一緒に行くことは断った。
如月さんを少し傷つけた。
それでも、如月さんが本当に欲しかったものだけは、間違えずに拾えていたのかもしれない。
オレが選んだイヤホン。
(……悩んだ甲斐、あったんだな)
◇ ◇ ◇
撮影終わりの休憩室。
あたしはソファの端に座っていた。
向かいでは、先輩がメイクを落としている。
ぱち、ぱち。
あたしは無意識に、ピンクのイヤホンケースを開けたり閉めたりしていた。
「なぁに、その顔」
鏡越しに、先輩と目が合った。
「え?」
「絶対なんかあった顔」
あたしは反射で、ケースを手の中に握り込む。
先輩はその手元を見て、すぐにニヤッと笑った。
「一緒に買いに行ったんでしょ?」
完全に当たりだと思っている顔だった。
「いや、ちが……」
言いかけて、止まる。
違う。
いや、違わないのかもしれない。
結果だけ見れば、イヤホンは今ここにある。
「一緒には、行ってなくてぇ」
「え?」
「断られちゃって」
「え、リサちゃんを断ったの? ほんと?」
「はい。だからあたしも、脈ないって思ってたんですよ」
ケースを親指で撫でた。
「そしたら次の日」
「うん」
「呼び出されて」
「ん?」
「これ渡されました」
ケースを少し持ち上げて見せた。
「……え?」
あたしは困った顔のまま頷く。
「意味わかんないですよね?」
「いや待て待って待って、断った翌日にプレゼント!?」
「はい」
「なんで!?」
「わかんないです」
ちょっと勢いよく返してしまった。
耳が熱くなるのを感じながら、続ける。
「本人、全然そういうつもりなさそうで……」
「いやそれは嘘! そんなの脈ありじゃん!」
「電気屋さんは断られたのに」
「男ってたまに意味分かんない動きするのよー」
「意味わかんないですほんとに」
あたしはケースを、胸の前で引き寄せた。
先輩が少し考える顔になった。
「なんなんだろ。二人で行くのが恥ずかしかったってことかな。んー、自分で選んで渡したかったとか?」
先輩は首を傾げる。
「でも、それなら普通に言えばいいのにね?」
「そ、そうなんですよ」
ケースを抱えたまま、少し頬を膨らませた。
でも、口元は緩んでしまう。
「可愛いとかは言ってくれるのに、他の言葉は足りない人でぇ。でも、そこも良くて」
「無自覚で刺してくるやつだ」
先輩が楽しそうに笑った。
「可愛いって言ってくれるのに、他の言葉は足りないって、信用できるよね」
先輩の声が、さっきより優しくなった。
あたしは瞬きをする。
「口だけ上手い人って、そういうの全部軽く言えるのよ」
「……」
「その彼、本当に思ったことしか言ってないよ」
その瞬間、階段裏の景色が、頭によみがえった。
夕方の光の中、『可愛いな』とぽつりと漏らしたあの一言。
飾ってなくて、狙ってなくて。
だから余計にまっすぐ届いた。
あたしは手の中のイヤホンケースを、もう一度そっと握る。
今、松前くんの歌を聴いたら、たぶん危ない。
あの声で歌われたら、『可愛いな』まで戻ってきてしまう。
分かってるのに、あたしはスマホを取り出して画面を開いた。
鏡越しに、先輩と目が合う。
何も言わず、口の端だけふっと上げて、スキンケアに戻った。
あたしはケースを開けて、ピンクのイヤホンを両耳に入れた。
外の音が、すっと遠のく。
一回だけ息を吸って、松前くんの歌をタップした。
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