48話 イヤホン買いに、行ったはいいけど渡せない②
(……ん?)
さっきまで『誰とLINEしてるの』と思っていた。
なのに、相手は自分だった。
昨日までの沈んだ気持ちがひっくり返って、胸の奥が熱くなった。
松前くんは横で固まっている。
完全に送るつもりじゃなかった顔。
でも、もう届いている。
あたしは小さく笑って、その場で返信を打った。
『いいよ』
松前くんのスマホが震えた。
画面を見た松前くんは、声を落として言った。
「……放課後、特別棟の階段」
「え?」
「人来ないから」
肩が、ぴくっと揺れた。
『人来ないから』という言葉だけが、頭の中で反響する。
言い方が完全に密会。
あたしは、スマホを胸の前で握った。
「わかった」
嬉しそうになりすぎないように、口元を押さえた。
押さえても、目元がもう隠せてないのが分かってたけど。
◇ ◇ ◇
放課後の特別棟の階段裏。
あたしは一人で待っていた。
さっきトイレで、かなり念入りに身だしなみを直してきていた。
前髪、リップ、制服の襟、髪の流れ。
全部確認したのにまた気になる。
ポケットから、小さい手鏡を取り出した。
(……可愛い?)
角度を変える。
(あたし、可愛い?)
前髪を指先で整えた。
(変じゃない?)
足音がして、急いで手鏡を閉じてポケットに押し込む。
顔を上げると、松前くんが来ていた。
少し息が上がっていて、掃除当番終わりで制服の袖が少し乱れている。
松前くんはあたしの前で止まって、数秒、何も言わなかった。
あたしの顔が、ちょっと熱くなる。
松前くんは、後ろに隠していた手を少し動かした。
四角いピンクの箱が見えかけて、またすぐ隠した。
小さく息を吐いて、体の後ろからそれを出した。
ピンク色の小さな箱。
「……やる」
あたしは受け取って、ロゴを見る。
「えすおーえぬわい?」
「如月さん、ソニー知らないの?」
「あ、ソニーか。知ってるよ。ソニーね」
笑って、英語が読めなかったのをごまかした。
間が空いた。
あたしはもう一回、箱を見た。
ソニーなのは分かった。
でも、ソニーの箱を今あたしが受け取っている理由が、分からない。
「……ソニー?」
箱を見て、松前くんを見て、また箱を見る。
右に首を傾げて、それでも分からなくて、反対側に傾けた。
松前くんは何か言いかけて、口を閉じる。
説明したそうな顔はしている。
「これイヤホンとかじゃないよね」
「……イヤホンだけど」
「くれるの?」
「……やる」
「な、なんでぇ?」
◇ ◇
(やっぱり聞かれたか)
「なんで」と聞かれるのは、予想していた。
なのに、答えは用意できていない。
「なん……」
「なんとなく」が、出かかった。
その前に、如月さんの声がかぶさる。
「え、嬉しい」
如月さんは、箱を胸の前で大事そうに抱えている。
「すごい嬉しい! え、どうしよ。嬉しいしか言えないんだけど! え! 待って、ほんとに? あたしに? うそ! なにこれ。そんなことある?」
喜ぶ如月さんを前に、オレは片手で口元を隠した。
(めちゃくちゃ可愛いな)
「あけるねー」
如月さんが、箱を開け始めた。
(そこは「開けていい?」じゃないのか)
その自然さが、素の如月さんらしくて良かった。
ぱかっ、と箱が開く。
「かわいいーっ」
声と一緒に体も跳ねた。
喜んでいるのを通り越して、完全にはしゃいでいる。
イヤホンを持ち上げて、嬉しそうに笑っている。
窓から差し込む夕日に当てて、傾けながら眺める顔が本当に楽しそうだ。
「すごい可愛い……こういうやわらかい色、好き。選んでくれたんだー。嬉しい……ほんと嬉しい」
ピンクのイヤホン。
夕方の光の中の、笑顔。
ふにゃっと笑いながら言われて、昨日の電気屋の二時間が頭に浮かぶ。
こんなに喜んでもらえるなら。
(ラッピング、してもらえば良かったな)
如月さんがイヤホンを胸に抱えて、さっきより静かな声で言った。
「……ありがと」
「ん……」
「一生大事にする」
「バッテリー寿命あるから一生は無理だ。もって三年」
即座に、現実を返してしまった。
如月さんがちょっとショックを受けた顔になった。
「じゃあ使わない方がいい?」
「なんでだよ。使わなくてもバッテリーは死ぬぞ」
「バッテリーって交換できないの?」
「できないことないけど、保証切れたら買うのとあんま変わらない。買い替えた方がいい」
「そっか、交換はできるんだ」
「……」
「ほんとにありがと」
笑っている。
こんなに喜ぶのか、イヤホンで。
いや違う。
選んだことを喜んでいる。
笑顔が強くないか。
なんでそんな。
(可愛いな)
脳が追いつかない。
耳が熱い。
顔が見れない。
でも見たい。
見たら可愛い。
見たら死ぬ。
なのに結局、また見る。
「えへへ、ピンクだぁ」
箱を抱えたまま、本当に嬉しそうに笑っている。
その顔を見た瞬間、口から小さく漏れた。
「………可愛いな」
「え?」
如月さんが止まる。
ちゃんと聞こえたらしい。
オレは視線を逃がした。
耳は、たぶん赤い。
如月さんは可愛い。
それはもう事実で、隠す種類の感想じゃない。
周りだって普通に言うし、本人もたぶん言われ慣れている。
ただ、今のタイミングで出たのがまずかった。
イヤホンを渡したあと、それを胸に抱えて嬉しそうに笑っている顔を見て出た『可愛い』は、ただの外見への感想では済まない。
如月さんは胸元の箱に目を向けたまま、頬が赤くなっているように見える。
(何で今言った)
いや、思ったから出た。
でも、出す必要はなかった。
如月さんがイヤホンの箱をぎゅっと抱え直した。
「……うれし」
小さい声だった。
(可愛すぎるだろ)
◇ ◇
階段裏から教室に戻る途中、あたしの頭の中はさっきの『可愛いな』のままだった。
『可愛い』って言った。
(脈あり?!)
だって、普通に言った。
自然に、なんでもないみたいに。
でも、こっちをちゃんと見て。
(先輩、これどっちですか?)
昨日は、行かないとあっさり断られた。
なのに今日はイヤホンを渡されて、可愛いと言われた。
(ど、どっち? 脈あるの!?)
教室には人がいなくなっていた。
最後に出ていった生徒の足音が、廊下の向こうに消えていく。
窓際の松前くんの席の前に椅子を引っぱってきて、向かい合わせに座った。
机の真ん中には、さっき渡されたピンクのイヤホン。
あたしの手元には、スマホと説明書。
「ぶるーちゅーす……」
説明書の文字を、読み上げた。
正面の松前くんは、無言でこっちを見ている。
なんかちょっと笑っている。
「設定……設定どこ……」
スマホを何回か触る。
違う画面になる。
戻る。
戻りすぎて、ホーム画面になる。
一度手を止めて、説明書とスマホを交互に見た。
松前くんが、何回か口を開きかけて、閉じるのが見えた。
無理そうなら、松前くんに聞けばいい。
たぶん、すぐやってくれる。
でも、撮影の現場で使いたいのだ。
一人で設定できなかったら困る。
だから今のうちに、自分で覚えたい。
「あれ?」
また、違う画面が開いた。
松前くんが、小さく息を吐いた。
「……手伝うか」
「ううん、まだいい」
あたしは説明書を見ながら、軽く首を振った。
「モデルの先輩にね。撮影前に好きな音楽聴くと、気分あがっていいよって言われたの」
松前くんの視線が、こっちに向く。
「だから、現場で使うのに欲しかったんだー」
「それでイヤホンか」
頷く。
「あ、できたかも」
さっそくイヤホンを耳につけた。
外の音が薄くなって、耳の中が静かになる。
プレイリストから適当に選んだ音楽を流すと、曲が耳の奥に直接入ってきた。
スマホのスピーカーで聴く時とは違って、頭の中まで震えるみたいだった。
低音が、やわらかく響く。
「すごぉ」
思わず、声に出ていた。
いつも聴いている音楽の広がり方が、全然違う。
開いたプレイリストの中の、ひとつのフォルダの上で指が止まる。
松前くんの歌だった。
せっかくならイヤホンで聴きたい。
いま、聴きたい。
あたしはそれをタップして、イヤホンを耳にぎゅっと押し込んだ。
その瞬間、イヤホンの中から英語の機械音声が流れた。
『Power off』
『Bl|uetooth disconnected』
「?」
何を言ったのかは、分からなかった。
次の瞬間、スマホのスピーカーから、松前くんの歌声が流れ出した。




