47話 イヤホン買いに、行ったはいいけど渡せない①
昨夜は、あまり眠れなかった。
レジ袋の中のピンクの箱が、何回も頭に浮かんだからだ。
家を出る前に、一回だけ袋の中を確認した。
ピンクの箱は変わらずそこにあって、夜が明けても、昨日の自分が本当にこれを買った事実は消えていなかった。
朝、学校に着いても落ち着かない。
もともとオレは、教室では基本ずっと両耳イヤホンだった。
誰にも話しかけられないように。
音楽を聴いている時だけは、周りを切れるから。
でも、前に如月さんに「音楽聴いてるときは、邪魔しちゃいけないと思って」と言われてから、片耳だけにすることが増えた。
実際それで如月さんが来る回数は増えた。
そして今日は、イヤホン自体をしていない。
話しかけられる可能性を一番高くするなら、たぶんこれだ。
自分で考えていて、だいぶ終わっている理屈だと思った。
話しかけてもらわないと、渡せない。
自分から如月さんの席へ行くのは無理だ。
今まで一回も、自分から話しかけに行ったことがない。
タイミングも分からない。
だから待つしかない。
(いや、来る前提で装備外してるのキモ……)
思考を切って、スマホを見るふりをする。
画面はほとんど頭に入らない。
教室のドアが開くたびに、意識がそっちへ向いた。
来たか。
違う。
また別のやつ。
(落ち着け)
ただ物を渡すだけなのに、鞄の中がずっと気になる。
そもそも、言い訳が思いつかない。
(断ったのに買ってくるって、意味分からなくないか)
行くのは拒否したのに、イヤホンは買う。
行動だけ見たら、完全に意味不明だ。
なんで買ったんだという話になる。
(ピンク、大丈夫だったか)
女だからピンク、って浅くないか。
でも白よりは似合う。
いや、本人はオレンジが好きそうなのに。
オレンジだけ無かった。
なんで無いんだよ。
(あったら絶対そっちだったのに)
『松前くんが選んでくれたの?』とか聞かれたらどうする。
選んだ。
二時間。
めちゃくちゃ悩んだ。
言えるわけがない。
嬉しいと言われたら、耐えられない。
逆に微妙そうな反応をされたら、無理だ。
一週間くらい自己嫌悪する。
結局、如月さんが教室に入ってきても、挨拶を交わしただけで終わった。
渡すどころか、「あの」の一言すら出なかった。
チャイムが鳴って、午前の授業が始まる。
先生に当てられてから教科書を見るまで、普段より時間がかかった。
自分でも分かるくらい、集中できていない。
昼休みになった。
ここが本命だ。
普段通り如月さんが正面に座り、一緒に弁当を食べる。
そこでなんとか呼び出して、人のいないところで渡す。
それが一番自然だ。
自然?
どこがだよ。
いま目の前の如月さんは、購買のパンがどうとか、隣のクラスがどうとか、楽しそうに話している。
オレは別のことしか考えていない。
(なんて言う)
『ちょっと来い』
『あとで話ある』
『渡したいものある』
どれも無理だ。
しかも周りに「あ、二人きりになろうとしてる」とか思われたら。
如月さんも気まずい。
自分も死ぬ。
結果、何も言えなかった。
ただ昼飯を食べて、普通に会話して、終わった。
鞄の中のイヤホンは、そのままだ。
(……何やってんだオレ)
昼休みが終わって、机に突っ伏したくなるのをこらえた。
渡せなかったらどうする。
家に持って帰る?
自分で使う?
ピンクを?
地獄だろ。
如月さんの机にこっそり入れておく。
いや、怖い。
無記名のプレゼントみたいになる。
ホラー寄りだ。
昨日ちょっと言い方がきつかったから、という流れなら。
謝罪にイヤホン。
重い。
如月さんの昨日の顔が浮かんだ。
『ぽあたん? ぽあたん?』
(……)
ちゃんとしたやつ使わせたくなるだろ、普通。
いや、普通かどうかは知らない。
午後の授業をほとんど覚えていない。
黒板は見ていたし、ノートも取っていた。
頭の中はどう渡すかでいっぱいだった。
如月さんは、何もしなくても人が集まる側の人間だ。
廊下も下駄箱も校門前も、人が多い。
あきらめかけた気持ちを、すぐに打ち消した。
(使ってるとこは見たい)
頭に浮かんだのは、淡いピンクのイヤホンをつけて「え、かわいいー」と笑う、如月さんの顔だった。
◇
教室の後ろで、誰かが笑っていた。
「お前LINEすぐ返せよー」
「いや風呂入ってたんだって」
「既読ついてたじゃん」
「見ただけ!」
頬杖をついたまま、ぼんやり聞き流していた。
途中で、ふと引っかかる。
(……LINE)
オレは如月さんと、LINEをしている。
スマホを見た。
(呼び出す)
教室では渡せない。
じゃあ校内のどこか。
いや、問題はその前だ。
なんて送る。
『ちょっといいか』
『放課後時間ある?』
『昨日の件で』
打っては消した。
スマホを伏せ、数秒置いてまた持つ。
(ただ呼ぶだけだろ)
なのに、無理だった。
人を誘う行為に、慣れていない。
というか、人生でやったことがない。
息が詰まる。
『放課後、ちょっと時間あるか』
『話ある』
『来れる?』
打って、悩んで、消す。
小さく息を吐いて、机に額をぶつけそうになった。
渡さないまま家に持って帰るのも嫌だった。
ピンクのイヤホン。
如月さんに似合いそうだと思って選んだやつだろ。
二時間悩んだ。
(……使ってほしかったからだ)
『放課後、少し話したい』
送信ボタンの上で、指が止まった。
(いや待て)
怖くないか。
如月さんからしたら、断った次の日に急に呼び出してくる男だ。
意味が分からない。
(……重)
◇ ◇
午後の教室で、あたしは自分の席から窓際の松前くんを見ていた。
『オレはいらない』
昨日のあの一言が、ずっと頭から離れない。
別にデートにしようとか、そういう重いものじゃなかった。
一緒に電気屋さんへ行って、イヤホンを見るだけの、軽いやつ。
なのに、なんでそれすらダメなのか、分からなかった。
一昨日の先輩の言葉が頭に残っていた。
『照れてるだけ』
『高校生はそういう時期』
『グイグイいった方がいい』
先輩の助言をそのまま受け取って、少し強めに踏み込んだつもりだった。
軽く引かれても一回で終わらせずに押した。
でもあの空気はそれとは違う方向に沈んでいた。
(先輩、あれは照れてるのと違うと思います)
可愛いって言ってくれたのは、そういう意味じゃなかったんだ。
(あれは、脈ないです……先輩)
押したらダメだった。
でも引いたらそのまま離れていきそうで怖い。
取られちゃうよ、という先輩の声が、また戻ってくる。
(やだよぉ……)
普通に話してくれるのに、一歩近づこうとすると止まる。
その線がまだ分からなかった。
(難しいよぉ……)
松前くんは今日に限ってイヤホンをしていなかった。
いつも片耳に入っている白いコードも、机の上に置かれたまま。
その代わり、ずっとスマホを触っている。
あたしは自分の席から何回もそっちを見てしまった。
(……なんで今日、イヤホンしてないの)
昨日あたしが「イヤホンいいや」と言ったから?
それで気を遣ってくれているとか。
それとも今日は、誰かに話しかけられる予定でもあるのか。
誰に?
松前くんは、さっきからずっとスマホを開いたままだった。
親指が動いて止まり、またすぐ動く。
何かを打っては消している感じだ。
ゲームでも動画でもなく、指の動きが文章を打つ時のそれ。
(LINE……? 誰と?)
胸の奥が、ざわついた。
難しい顔のまま画面を見つめる松前くんの横顔は、真剣だった。
気づいた時には、あたしは席を立っていた。
足が勝手に、窓際へ向かう。
画面は見えない。
松前くんの斜め後ろから、あたしは声をかけた。
「松前くんや」
松前くんの肩が跳ねた。
その拍子に、親指が画面に触れるのが見えた。
数秒遅れて、ぴろん、とあたしのスマホが鳴った。
「……」
「……」
二人とも、しばらく動かなかった。
あたしはゆっくり、自分のスマホを見る。
通知欄に『MASAKI』の名前。
その下に『放課後、少し話したい』。




