44話 野外活動・当日、オレだけ許されるはずがない④
松前くんの言葉で、指先の力が少しずつ抜けていく。
松前くんが来てくれたのは嬉しかった。
でも、その後ろには池沢くんがいる。
そこまでは、うまく受け取れなかった。
許せと言われるんだと思った。
話くらい聞けと言われると思った。
そう身構えていたから、『オレには平気で近づくだろ』と言われたとき、胸が詰まった。
あたしだってさっき、怖かったのを理由に抱きついた。
松前くんが強く拒まないことに、甘えた自覚はある。
あたしはよくて、池沢くんはダメ。
そんなふうに見られたのかもしれないって。
でも、違う。
『オレには平気で近づくのに、池沢は怖いのか』
そういう意味だったんだ。
あたしは普段なら、明るく振る舞えるし、まわりに合わせて笑うこともできる。
でも、今回はそうやって処理できるものじゃなかった。
《笑って流せる如月さん》じゃいられないことだって、ある。
松前くんは、いつものあたしに無理に戻そうとはしなかった。
怖かったことを、そのまま池沢くんへ渡してくれた。
「分かった」
そう言ってうなずく池沢くんに、さっきまでの強引さはもうない。
何度も感じていた圧が、ウソみたいに消えている。
「行くぞ」
松前くんが低くそう言うと、池沢くんがその横について歩き出した。
二人分の足音が、ゆっくり離れていった。
(……行っちゃった)
あたしはその場に残され、ゴミ拾いを続けるためにしゃがみ直した。
さっきまであれだけ体がこわばっていたのに、今はちゃんと呼吸ができている。
(……もう、あんま怖くない)
◇ ◇
オレが先に立って歩き、池沢が半歩後ろをついてくる。
林の奥。
まわりのざわめきは、木々にさえぎられて遠くなっている。
後ろから声がした。
「悪かったな」
「オレに謝られても」
「如月さんの寝顔なんてめったに見れねぇからさ。近くで見たかったっていうか」
言い訳にするにしては、妙に正直だ。
「お前、最初から距離近すぎるから如月さん困ってたぞ」
「だろうな」
「だろうなって何だよ。分かっててやってたなら、タチ悪くないか」
足を止めてふり返ると、池沢は目をそらしながら言う。
「如月さんって、普通にモテるだろ。こっちが動かなきゃ、他のやつに取られるって思ったから」
「……」
「無理なら無理で、嫌われた方があきらめつくからいいやって、思ってたんだけどさ」
間が空いた。
「やっぱ好きな子に嫌われるのはキツい」
驚きはしなかった。
ここまでの動きを見ていれば、好きなんだろうとは思っていた。
ただ、本人の口から聞くと、受け止め方が変わる。
少なくとも池沢の中では、軽いノリで近づいていたわけではない。
「好きなら、やり方間違えるなよ」
「今さら言うな、完全に嫌われたぞ」
「大丈夫だろ。如月さん優しいから」
池沢が意外そうな顔をした。
事実を言っただけなのに、オレが慰めたと受け取ったのかもしれない。
「言っとくけど、松前のせいだからな。ほんとはスゲー言いたくないけど」
池沢は地面を見たまま続けた。
「如月さんを取られるって思ったのは、お前にだからな」
風の音がやけに耳についた。
「……は?」
「松前だけ如月さんの近くにいるのが許されてる上に、あの雰囲気だし。そりゃ焦るだろ」
「焦る相手を間違えてるんじゃないか」
「あのな、今はお前になら取られてもいいって思ってるんだぜ」
「……はあ?」
(なに言ってんだ、こいつ)
なんの冗談かと思ったが、池沢の目は真剣だった。
「あきらめるのか」
「相手がお前なら」
「……なんで」
「仲がいいわけでもない男の頼みなんて、普通は断るだろ。引き受けるにしても、俺だったら貸しにするか条件つける。あの場面なら、如月さんの味方してかっこつけても良かっただろ」
「貸しを作ったからってことか」
「違うだろ」
池沢が急に笑い出した。
笑い声は、途中で細くなって消えた。
「貸し作ったつもりなんかないくせに。お前さ……そうやってぼーっとしてると、如月さんだって他いくぞ。あとで後悔するのはお前だぞ」
すぐには返さなかった。
(……他いく、か)
如月さんが決めたんだったら仕方ない。
あの子は選ぶ側の人間だ。
オレが止める理由はない。
結論が出て、口を開いた。
「行くなら行くでいい」
「だーかーら、もったいねぇって言ってんの。あんないい女逃したら絶対後悔するって」
「じゃあなんでお前はあきらめるんだ」
「なーんでわかんねーんだよ。かなわないって思ったんだよ!」
池沢はオレをにらみつけ、吐き捨てるように言うと、先に歩き出した。
さっきまでの変な遠慮がやっと消えた。
(……戻ったな)
◇ ◇ ◇
駐車場には帰りのバスが並び、クラスメイトの笑い声が重なっている。
バスへ向かう人の流れから離れたところで、如月さんが立ち止まった。
「……どうした」
すぐには顔を上げず、荷物のひもを指でいじっている。
「あのね、池沢くんのことなんだけど」
ようやく出てきた如月さんの声は、かすれていた。
「あたし、前にも似たようなことがあったの。断っても聞いてくれなくて、はっきり拒否したら空気めっちゃ悪くなっちゃって……そのあと同じグループで動くことになって、ずっと気まずくて」
そこで言葉が途切れ、口の端だけで笑った。
「だから今回も、野外活動だし、波風立てたくなくて……イヤって、ちゃんと言えなかった」
うつむいた顔が苦しそうで、ひもを握る指先にも力が入っている。
「でも、あたしが最初から言えてたら、普通に分かってくれる人だったのに。あたしが勝手に《どうせ無理》って決めつけてた……反省してる」
言えなかった如月さんの気持ちは、よく分かっていた。
オレのほうこそ、すぐに正しい言葉を出せる人間じゃない。
明るい子でも、人気者でも、言えないときはある。
(……やっぱ、いい子だな)
自分の中で整理して出した答えが、すべてを相手のせいにしないことだった。
しかもそれを、こうして自分から話してくれた。
「……まぁ、最初から言えた方がいいのはそうだけど。言えなかったからって、如月さんが悪いわけじゃない」
如月さんが、目だけを上げてこちらを見た。
「言って分かる人かどうかなんて、言わなきゃ分からないだろ。あいつとの問題は、それでいい」
「うん」
荷物を持つ如月さんの手から、力が抜けた。
さっきまで硬かった顔に、いつもの笑顔が戻っていた。
◇
帰りのバスの中は、行きより静かだった。
疲れた顔の生徒たちが、走る振動に揺られている。
後ろの席から声が聞こえてこなかった。
池沢は窓の外でも見ているのか、ずっと黙っている。
如月さんが手元の袋をがさがさと開けて、一つ差し出してきた。
「松前くん、これ食べる? ちょっといいお菓子」
「……ん」
受け取って口に入れた。
「……どう?」
「そんなすぐ聞かれても」
ゆっくり食べてから、つぶやく。
「……うまい」
後ろの静けさが、やはり気になった。
謝るとか許すとか、そういう話にはまだ早いだろう。
でも、お菓子を一つ渡すくらいなら話は別だ。
オレは如月さんの耳に顔を寄せた。
◇ ◇
(……なに話してんだ)
前の席で、松前が如月さんに顔を近づけて、小声でなにかを言っているのが見えた。
如月さんは、それに何度もうなずいている。
内容までは聞き取れない。
耳を澄ませていると、如月さんがこっちを向いた。
「池沢くん、これあげる。松前くんが美味しいって」
にこっと笑った。
さっきまでの出来事など感じさせない、自然な笑顔だった。
思考が止まった。
今日のこと。
なかったことにはなっていないはずなのに。
「あ、サンキュ」
お菓子を受け取ると、如月さんは満足したように前を向いた。
完全に終わったと思っていた。
避けられて、拒否されて、距離を置かれた。
なのに、松前はそれを元に戻してきた。
謝るのを待たせて、いったん距離を取らせて、そのうえで助けた顔すらしない。
いま自分に向けられた如月さんの笑顔も、きっかけはどう考えても松前だ。
松前の「美味しい」があるだけで、如月さんはこっちを向いてくれる。
それが分かった瞬間、変な欲が出た。
「なぁ松前」
「なに」
「頼む、席かわってくれ」
小声で言った。
その一言に、如月さんの笑い混じりの声が返ってきた。
「やーだよ。なーんでかわらなきゃいけないの」
「え……いや……」
如月さんは振り返りもせず、また袋をいじっていた。
『やーだよ』
軽いのに、はっきりした拒否だった。
(そんな言い方、前はしてなかったよな)
今までは、どこか曖昧だった。
断りきらずに笑って流し、いいのかダメなのか分からないまま終わらせていた。
でも、さっきのは違った。
普段どおりのテンションで、明確に線は引くけど関係は切らない。
そんな断り方だ。
(これも、松前の影響なのか?)
松前の存在が、この変化を作っているとしか思えない。
(やっぱ、かなわねぇわ)
手の中のお菓子に目を落とした。
袋を開けて一口かじると、さくっと軽い音がした。
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