42話 野外活動・当日、オレだけ許されるはずがない②
カレーが出来上がり、オレが自分の分を取ろうとしたところへ、横から如月さんがすっと入ってきた。
片手に皿、もう片方にしゃもじ。
「松前くん、ご飯よそう?」
「うん」
自分でやる、という意味だった。
けれど如月さんは当然のようにうなずいて、皿にご飯を盛った。
「このくらい?」
「もう少し」
言ってから気づいた。
頼んだことになっている。
「こんな感じ?」
「うん」
しゃもじの先でご飯を丁寧にならし、カレーをかけやすいように端を四センチほど空けた。
それからお玉を手に取り、具材が偏らないように目で確かめながらすくっていく。
最後に流し込んだルーの量も、ご飯に対してちょうどいい。
オレが自分でやるとかなり雑になっただろう。
如月さんが皿をこちらへ傾けて見せた。
オレの好みに合うように仕上がっている。
「どう?」
「いい」
短いやり取りだった。
それだけで如月さんは満足そうに笑う。
近くの女子たちの輪から声が聞こえた。
「如月さん、かわいー」
「てか、楽しそう」
「あの二人、めっちゃいい」
逆に、男子たちのほうは不満の色が濃い。
「なにあれ」
「俺らセルフなのに」
「なんで松前だけ」
(これ、オレにだけか?)
聞こえないふりをして皿を受け取った。
「松前くん、こっち座って」
「……ん」
言われた通りに動いてから、如月さんの隣に誘導されたことに気づいた。
もう座っている。
「いただきます」
「いただきます」
声が、ほとんど同時に重なった。
いつものことだった。
周りの女子から、また小さな声が上がる。
「今のいい」
「分かる」
「そろったのに、どっちも普通にしてるのいい」
オレは余計な反応をしないように、スプーンでカレーをすくう。
湯気が上がる。
外で食べるカレーの匂いは、いつもの食事とは違って少しだけ乱暴に腹を刺激してきた。
まずは一口。
熱い。
でもうまい。
「松前くん、辛くない? 大丈夫?」
「平気」
如月さんはほっとしたように笑って、自分も食べ始めた。
大きめのじゃがいもをスプーンで崩して、少し冷ましたつもりだったのだろう。
しかし、口に入れた瞬間、肩が小さく跳ねる。
「あつっ」
オレは横の水を差し出した。
「ゆっくり食え」
「うん」
水を一口含んで、ほっと息を吐く。
「ありがと」
「……ん」
オレはまた皿へ目を戻す。
水を渡しただけだった。
けれど女子たちはそう受け取らなかったらしい。
「ゆっくり食え、だって。いいなぁ」
「押しつけないとこいいよね」
「分かる。さっと水だけ出すのいい」
男子たちは、まったく違う反応だった。
「なんだあいつ」
「素っ気なさ過ぎだろ」
「普通もっと心配するよな」
まわりのあちこちから、妙な視線が刺さっていた。
半分ほど食べ進めたところで、如月さんが自分の皿を見て口を開いた。
「松前くん」
「……なに」
「あたしのお肉いる?」
「如月さん、肉好きだろ」
むっと頬が膨らんだ。
「えー、あたしモデルだよ? お肉食べないよ」
肉が好きでも、いっぱい食べるのが好きでも、それをそのまま見せると意外がられる。
(外向きはそうなんだな)
「じゃあもらう」
「えへへ」
如月さんは一番大きい肉を選んで、迷ってから、やっぱりそれをオレの皿へ入れた。
「はい」
「……どうも」
また視線を感じた。
男子たちのほうから声が飛んできた。
「俺も肉いるって聞かれたい」
「俺も辛くないか心配されたい」
「俺もカレーよそわれたい」
(……別に、変な距離じゃないよな?)
そう判断して、オレはその肉を食べた。
如月さんはスプーンを持ったまま、皿ではなくオレのほうを見ている。
「……なに」
「んーん」
「んーんじゃなくて」
「食べてるなって」
意味が分からない。
(いや、食事中なんだから食べるだろ)
でも如月さんは、まだ楽しそうにこっちを見ている。
なんで見てる。
他に見るところあるだろ。
見すぎだ。
(……あ)
ようやく気づく。
前にもこういう顔をしていた。
家で夕飯を出してくれたとき、食べているオレから目を離さず、反応を待っていた。
「うまい」
如月さんがぱちっと瞬きをして、急に声を出して笑った。
「なんでいまそれ」
ツボに入ったらしく、肩を揺らしている。
感想を求められていると思った。
(違うのか?)
でも如月さんは楽しそうだ。
なら、まあいいか。
隣の笑い声を聞きながら食べるカレーは、さっきよりにぎやかな味がした。
◇ ◇
カレーを食べ終え、炊事場の近くにある水道の前で、オレは手を洗おうとしていた。
近くに池沢がいて、何か言いたそうにオレをにらんでいる。
蛇口をひねったところへ、如月さんが走ってきた。
「あたしも手洗いたい」
体をずらしてスペースを作ると、如月さんが隣に立った。
オレは顔も洗おうかと思い、水をさらに強めて顔を近づけた。
その拍子に、手が蛇口の先へ当たって水の向きが変わった。
びしゃっ
「ぷひゃ」
水は如月さんの顔に直撃した。
「ご、ごめん。如月さん」
「おおっ」
横で池沢が興奮した声を上げた。
如月さんの白いTシャツに水が染み込み、胸元の生地が肌に張りついている。
「鼻にはいったー」
下着の形まで分かる状態なのに、本人は顔を押さえたまま気づいていない。
「おい見るな」
「お前はいいのかよ」
池沢にそう返されて、何も言い返せなかった。
今この場で一番よくない位置にいるのは自分だ。
よくない。
いいわけがない。
「おい、前隠せ」
「痛いよー」
如月さんが目をつぶったまま情けない声を出す。
「分かったから」
「あー、鼻水出ちゃう見ないでー」
守る場所を完全に間違えている。
池沢の視線をさえぎるため、如月さんの前へ立つ位置を変えた。
「ちょ、見えねぇって」
横から文句を言われる。
ため息が出た。
◇ ◇
「如月さん、こっち」
体で隠すようにして、如月さんの荷物が置いてある木陰まで誘導して座らせた。
オレも正面に座って、外から見えないように腕で囲い込む。
「如月さん、顔の方はなおったか」
「いいかたぁー」
腕の中からもごもごした返事が返ってきた。
隙間を作って顔をのぞくと、普段ならやわらかく揺れているはずの前髪が、今は水を含んでぺたりと張りついて、額や頬を隠していた。
結構ひどい状態のはずなのに、なぜか可愛く見える。
「大丈夫、顔はちゃんと可愛い」
如月さんの肩がほんの少し揺れた。
「ん……っ、う」
「なに笑ってんだ」
「変な言い方するから。……やだ、前髪はりつく」
「それより服の心配してくれ」
如月さんがようやく自分の服に目を落として、数秒遅れて固まった。
それから慌てて荷物を引き寄せ、タオルと替えのTシャツを取り出す。
「着替え持ってたんなら言えよ」
「誰のせいだと思ってんの」
「すまん」
言い訳の余地はない。
如月さんはタオルで前髪を押さえながら、不満そうにつぶやく。
「あーあ、前髪ワカメじゃん。せっかくセットしてきたのに」
いま本当に気にすべきなのは、そこじゃないだろ。
如月さんの濡れたTシャツが視界に入らないように、こっちはそれなりに必死だった。
「如月さん、早く」
「じゃあ隠してて、脱ぐよ」
如月さんの背に木があり、向き合う形でオレが完全に壁になる。
距離が近い。
強く目を閉じた。
目を開けたら、いろいろ終わる。
(……見ない)
自分に言い聞かせる。
何も見えないせいで、布がこすれる音だけがはっきり耳に届いた。
(意識するな、オレは壁だ)
たぶん、濡れたシャツに苦戦している。
妙に遅い。
(まだか……?)
つい、薄目で見てしまった。
白い肩。
濡れた髪が鎖骨に張りついて、そのすぐ下に、制服や私服の下では絶対に見えないはずのものがあった。
息を吸うタイミングが遅れた。
数秒、目が離れなかった。
柔らかそうな曲線。
池沢の声がよぎる。
『如月さん胸でけぇな』
あいつを低俗だと思ったのに、自分の視線も、考えていることも、同じだった。
(……最低だろ、これ)
如月さんはオレが見ないと信じているから、こんな近くで着替えている。
疑う素振りもない。
如月さんがふと目線を上げた。
目が合った。
一瞬、時間が止まった気がした。
「え」
如月さんの手が止まって、小さく声が漏れる。
ここで目を閉じ直しても、もう遅い。
声を出すまでの時間が長かった。
「……悪い。その、つい」
「つい?」
軽く問い返してくる声は落ち着いていた。
でも、顔がじわっと赤くなっている。
「……見てしまった」
「ふーん」
如月さんの声のトーンからは怒っている感じではなかった。
だけどオレは、自分自身に腹が立っていた。




