41話 野外活動・当日、オレだけ許されるはずがない①
野外活動当日の朝。
まだ空がぼんやり白くなっている頃、バスの前にはすでに列ができていた。
「松前くん、一緒に座ろうね」
隣から、如月さんがもう決定事項みたいに言った。
「オレ窓際がいいんだけど」
「いいよー」
肩が触れそうな距離まで、如月さんが詰めてきた。
人ひとり入るすき間もない。
このまま順番にバスに乗れば、確実に隣の席に座れる。
(そんなことしなくても、オレの隣は空いてると思うけど)
列が進んで、バスに乗り込んだ。
本当は後ろの席がよかったけど、あのあたりは揺れて酔いやすいと聞いたことがある。
如月さんが酔うタイプかどうかは知らないが、なるべく前のほうの空いている席を見つけて、すぐに座った。
窓側にオレ、隣に如月さん。
「あ、松前くんの荷物、上にあげたげる」
そう言いながら、如月さんが立ち上がった。
「自分でやるから、一回ずれてくれないか」
「狭いんだから無理だよ」
「如月さんがやると危ないから、ちょっとよけてくれ」
荷物を上の棚にあげようと手を伸ばした。
当然、距離が近くなる。
「やだ、エッチ。どこ触ってんの」
「どこも触ってない」
「あはは」
完全に遊ばれていた。
(……楽しそうだな)
買い出しの時から、如月さんはずっとはしゃいでいる。
そんなに野外活動が楽しみだったのか。
アウトドアも《好き》なんだな。
◇
バスが動き出してしばらくしたところで、如月さんが変な顔をした。
「うげ」
ペットボトルを口元から離して、顔をしかめていた。
横目でそれを見て何も言わずにいると、如月さんがボトルを差し出してくる。
「松前くん、これ飲んでみて」
ぱっと見は、ぶどうジュースの色。
「なにそれ」
「紫蘇ジュース。美味しいよ」
「いま、まずそうな顔してたよな」
如月さんはギクッとしてから、
「してないよー」
笑顔で否定した。
オレの口に、ぐいっとボトルを押しつけてきた。
「ほら」
(……これ、間接キスだろ)
初めてではないせいで、ここで断るほうが不自然だとも思う。
迷う。
(これは身内の距離感だ。意識するほうがおかしい)
息を吐いて、そのまま一口飲み、味を確かめた。
「……まぁ、悪くない」
「え、うそ」
如月さんの表情が固まった。
オレの手ごとペットボトルを引き寄せ、同じところに口をつけて、飲んだ。
口をきゅっとすぼめて、顔が真ん中に寄る。
「うそつき!」
「どっちがだよ」
「口がすっぱいよー」
「飲めないんだったら貰うよ」
「えー、悪いから半分飲む」
如月さんはまたボトルに口をつけて飲み、目を閉じてつぶやいた。
「……むり」
「悪いと思ってるなら何でオレに勧めた?」
「捨てるのもったいないから」
当たり前みたいに、もう一度ボトルを突き出してきた。
すぐには手が出ず、考える間があいた。
間接キス。
それはさっきやったばかりだ。
(今さら気にするのは、おかしい)
如月さんは普通にしている。
なら、オレも普通にするべきだ。
また受け取って、口をつけた。
如月さんが顔をのぞき込んでくる。
「あんま表情かわんないね。すっぱくないの?」
「飲めてる」
如月さんは疑わしげな目でこっちを見てくる。
またオレの手ごとペットボトルを引き寄せた。
そのまま一口飲んで、眉を寄せてまた口をきゅっとする。
(顔……)
雑誌には載せられない顔だ。
「無理しなくていい」
「だんだん慣れてきた」
そう言う如月さんの顔は、まだ眉間にしわが寄ったままだった。
「さっきからイチャイチャイチャイチャしやがって」
後ろの座席の背もたれから、でかい声が降ってきた。
オレの肩がびくっと跳ねて手の中のペットボトルが揺れた。
隣では如月さんも同時に肩をすくめる。
「おい松前」
池沢はシート越しに身を乗り出して、不満丸出しでオレをにらんでいた。
オレは振り返らないまま、軽くため息をついて返す。
「なに」
「次のサービスエリアで席代われ」
如月さんがきょとんとする。
「なんでぇ?」
「見てらんねぇからだよ」
「悪かった、気をつける。でも席は無理」
オレは窓際がいいし、ほとんどしゃべったことがないやつの隣はお互い気まずい。
深く考えずに、持っていたペットボトルに口をつけた。
隣で如月さんが口元をゆるめた。
後ろの席から飛んでくる池沢の視線が、なぜかさらに鋭くなっていた。
◇ ◇
目的地に到着し、午前中の準備がひと段落して、オレは班の輪から少し離れた場所に立っていた。
周りの景色を眺めているだけだ。
だが、視線の先にあるのは景色じゃなかった。
遠くで如月さんが、友人たちと一緒に笑っていた。
別に見張っているわけじゃない。
如月さんが困っていないか、ちょっと気になっただけだ。
楽しそうに何か話して、頬にかかった髪を指先で払う。
何でもない動作なのに、やけに目に残った。
(……何してんだ、オレ)
遠くから女の子を眺めている。
客観的に見て不気味だろう。
いきなり、背後から大きい声がした。
「あー如月さん胸でけぇな」
振り返ると、池沢が同じ方向を眺めていた。
けげんそうに見るオレの目には気づかず、さらに続けた。
「お前さわったことある?」
心臓が一拍強く鳴った。
球技大会のときの、備品倉庫でのこと。
あのときの感触。
柔らかさと温もり。
聞かれただけで勝手によみがえった。
脳が最悪のタイミングで仕事をしすぎている。
答えるまでに、一秒ほど間があいた。
「……あるわけないだろ」
「いまの間はなんだよ」
「お前が低俗すぎて引いたんだよ」
本気で言ったが、池沢は軽いツッコミだと思ったらしく、へらっと笑った。
あきれたまま、如月さんのほうへ視線を戻した。
相変わらず楽しそうに笑いながら話をしている。
そういう何でもない姿を追っていたはずなのに、如月さんが前かがみになった瞬間、オレの視線が胸元に落ちた。
すぐに引き戻す。
一瞬だったが。
(低俗だ)
目の前の池沢と、同じことを考えている。
そう気づいたとたん、胸の奥がじりっとざわついた。
◇
炊事場のまわりは、出来上がり前のあわただしさに包まれていた。
ご飯を蒸らす係、サラダを盛りつける係、紙皿とスプーンを並べる係。
如月さんは「あとは焦げないように混ぜるだけだから」と言って、カレーのなべを一人で見ていた。
オレは洗い終わった包丁やまな板、ボウルなんかをふいていた。
手は動かしている。
視線だけをなべのほうへ向けた。
お玉を持った如月さんが、なべの前にしゃがんでいた。
そこへ、池沢がやってきて、如月さんの隣へためらいもなく座り込む。
(……様子を見るだけだ)
なべの。
そう決めて、ふきんを置いて歩き出した。
◇
近づくにつれて、二人の声がはっきり聞こえてきた。
「いい感じじゃん」
「うん、でもちょっと火が強くって」
如月さんは笑っていて、声も軽い。
しかし、眉尻が下がっていて、お玉を持つ手に力が入っていた。
「えー、大丈夫じゃない? 焦げそうになったらおろせばいいんだろ。俺も見てるから」
「そうだね、ありがと」
(……困ってる)
オレは横に立ち、なべをのぞき込んだ。
中は煮立っている。
(……火)
如月さんの言う通り、火が強い。
困っているのは、これだ。
池沢は「見てるから」と言ったのに、見ているのはなべじゃない。
オレは何も言わずに、近くにあった火箸を手に取った。
網の下へ差し入れて、炭を一本つまみ出す。
火がすっと落ち着いた。
「え、なにしてんの?」
池沢が顔を上げる。
「いや、煮立ってるから」
それだけ言って、オレが一歩下がると、如月さんがなべを見た。
「あ」
小さな声が漏れた。
「ありがとう。こうすれば良かったんだね」
如月さんは笑顔でそう言ったが、眉尻は下がったままだった。
(原因はなべじゃない)
「マジかよ」
と、顔をしかめる池沢の位置を確認する。
如月さんとの距離が近すぎて、なべをかき混ぜるのに動きづらそうだった。
どう声をかけるか考える。
一歩近づいて、如月さんの肩に軽く手を触れた。
「一回、火ちゃんと見たいから、そこどいて」
「う、うん。ありがとう」
如月さんは一度動きを止めて、素直に横へずれた。
オレは如月さんと池沢の間へ身体を入れる。
二人は自然と離れる形になる。
オレが火を確かめている間、如月さんの肩から力が抜けるのが分かった。
視界の端で、如月さんがこちらをちらっと見た。
口元が、ほころんでいる。
(……戻ったな)




