40話 野外活動・班決め、選ばせたくない選ばれたい③
野外活動の話し合いがひと段落したところで、各自休憩に入った。
あたしはトイレからの戻り道をゆっくり歩いていた。
前方の角を曲がろうとした瞬間、話し声が聞こえて、足が止まる。
「ねー、さっきの見た?」
「如月さんでしょ? 見てた見てた」
聞き覚えのある、同じグループの女の子たちの声。
反射的に壁の影に身を寄せた。
(う、陰口……?)
自分のいない場所で名前が出ていた。
それだけで身構えて、胸がきゅっと縮んだ。
「めっちゃ可愛かったよねー」
(え……っ?)
顔が上がった。
隠れていることも忘れそうになる。
陰口ではなかった。
それは分かったけれど、安心できるような話の流れでもなかった。
「如月さんて、松前くんが絡むと可愛くなるよね」
「分かる。声とか表情とか、甘くなる」
「見てて《あー、好きなんだな》ってなるもん」
(ええぇ……っ)
一気に顔が熱くなった。
(待って待って待って! 声? 表情? 甘いってなに? あたし普通にしゃべってたよね?)
普通にしているつもりだった。
学校では、みんなの前では、いつもの如月理沙。
そのはずだった。
「モデルやってるからさ、最初はちょっと近寄りがたいのかなって思ったけど」
「うんうん、でも全然違ったよね」
「めちゃくちゃ普通の女の子してるの、ギャップやばい」
「あんな感じで自分からいくタイプだと思わなかった」
いつもの自分が、音を立てて崩れていった。
(や、やめて……)
壁に背中を押しつけた。
聞かないほうがいい。
でも聞いてしまう。
(自分からいくタイプって、あたしそんなにいってる?)
思い返す。
お昼は一緒。
しょっちゅう席に行く。
手を握った。
グループも一緒がよかった。
(うん、完全にいってた)
「あの二人ってさ、もう付き合ってるのかな」
呼吸が止まった。
(つ、付き合っ……?!)
頭の中で言葉が転んだまま、起き上がってこなかった。
「如月さんだよ? 松前くんだって、さすがにほっとかなくない?」
「彼、超ポーカーフェイスだからさぁ」
「分かんないんだよなーあの人」
(付き合ってないよぉ……)
「でもさっき言ってたじゃん。『如月さんと一緒がいい』って」
「そうそう、普通そんなこと言えないよね」
「あそこ名指しでくると思わなかった」
口元が勝手にゆるみそうになった。
あのとき、あたしも思った。
(松前くんが、あたしを選んでくれた)
いつも一緒にいなくていいって言ったくせに。
「やっぱ、実は隠れて付き合ってるパターンじゃない?」
「で、如月さんだけ隠しきれてないやつ」
「それそれ、好きなの漏れちゃってるの」
(……っ)
付き合ってはいない。
そこはちゃんと違う。
違うのに、まわりの目には恋人同士に見えているらしい。
(やばい! ちょっとそういうの嬉しい)
心臓の音が、向こうに聞こえそうなほどうるさかった。
(松前くんにも、気づかれてたらどうしよう)
気づかれたら困る。
でもちょっとは気づいててほしい。
どっちなのか自分でも分からない。
(無理、恥ずかしくて死ぬ)
これ以上聞いていたら本当にどうにかなりそうで、あたしは静かに来た道を戻った。
◇ ◇ ◇
自動ドアが開くと同時に、冷たい空気が肌にあたる。
如月さんと二人で、野外活動の材料の買い出しに来ていた。
駅前のスーパーは、放課後の時間帯でいつもより人が多い。
「じゃあまず野菜から」
如月さんはにこっと笑って、野菜コーナーへ向かった。
オレはカゴを持って、後ろについていく。
トマトの前で足を止めた如月さんが、一つ持ち上げてくるりと回した。
「まずこれ。ヘタがピンとしてるやつ」
横から覗き込んだ。
「……そんな違うか?」
「違うよー」
くすくす笑う。
「あと、こうやって持ってみて。ちょっと弾力あるくらいがいいの。柔らかすぎると熟れすぎ」
言われた通りに一つ手に取って、指先に力を入れた。
「……これくらいか」
「それは押しすぎ。もっと優しく」
「……むず」
「ふふ」
次の棚へ移った。
「玉ねぎとじゃがいも」
如月さんは一つ持ち上げて、底を見る。
「玉ねぎはここがしっかり乾いてて、カビてないやつ。あと軽く押してみて、硬いやつね」
「……全部同じに見える」
「ちゃんと選ぶと味変わるよ」
次はじゃがいもを手に取る。
「これは芽が出てないやつね。あと皮がシワシワじゃないやつ」
手際よく選んでいく如月さんを見ていた。
しゃべるときは笑顔なのに、野菜を眺めているときはきりっとしている。
いつもより背筋が伸びていて、雰囲気が違って見えた。
「あとお肉ね」
精肉コーナーへ移動した。
如月さんがパックを手に取って、じっと見る。
「これも結構大事で。色がちゃんと赤いの。黒っぽいのはダメ。で、ドリップ出てないやつ」
「ドリップ?」
「この水みたいなの。これ多いと鮮度落ちてる」
指で示した。
「……細かく見てるんだな」
如月さんの口元がゆるんだ。
(料理の話、楽しいんだろうな)
「……楽しそうだな」
思わず声に出ていた。
如月さんが一瞬きょとんとして、それから照れたように笑った。
「うん、松前くんと買い物するの楽しい」
買い物すら、こんなに楽しそうなんだ。
よっぽど《好き》なんだろう。
料理が。
材料が一通りそろって、如月さんが満足そうに息をついた。
「こんなもんかな」
カゴの中をのぞいた。
(こういうの、普通にできるんだな)
改めて思った。
本当に全部、一人でやっている。
当たり前のように。
一人暮らしというのが、どれだけ大変なのかをオレは知らない。
でも如月さんは、大変なことを大変なふうに見せずにこなしていく。
オレが手を貸す場面はない。
如月さんが、肉のパックをカゴに入れた。
それから「あ」と声を漏らして、オレを見る。
「ごめん、ずっと持たせちゃってた。重いよね、八人分だもん」
「別に……」
重いとは思っていなかった。
選ぶのは如月さんだから、オレは持つだけ。
そのくらい、何でもないと思っていた。
「ありがと、ほんと。すごい助かる」
(……できてたのか、オレ)
「オレのほうが助かってる」
「え?」
如月さんが首をかしげる。
「オレ、こういうの全然わからないから、できる人がそばにいてくれると、助かる」
思ったことをそのまま言った。
少し遅れて、如月さんの顔がじわっと赤くなる。
「……そばに」
つぶやいた如月さんが、口元を手で押さえた。
視線が定まっていない。
(……なんで赤くなるんだ。変なことは言っていないはずだ)
(料理を頼られたのが、そんなに嬉しいのか)
如月さんは口元から手を下ろして、こほんと小さくせき払いした。
「でしょ?」
笑って軽く返してきた。
どこか得意げに。
その笑顔は、誰が見ても分かるくらい幸せそうだった。
(……まあ、喜んでるなら、いいか)




