39話 野外活動・班決め、選ばせたくない選ばれたい②
メニューは定番のカレーに決まった。
野菜は現地で切るより、切ったものを持ち寄ろう。
付け合わせはサラダでいいか。
いろいろな意見が出ている。
カレー。
その単語だけで、少し前の記憶が勝手に浮かんだ。
(前に如月さんの家で食わせてもらったな……あれがまた食えるのか)
あれは美味かった。
見た目も味も、店で出てきても違和感がないくらいなのに、如月さんは自慢するでもなく、いつもの調子で出してきた。
(如月さんのカレー)
そんなことを考えていたせいで、まわりの声が遠く聞こえていた。
「おい松前。正直な話、如月さんとどこまでいってんだ?」
池沢のでかい声に不意を突かれて、顔を上げた。
いぶかしんで見返すと、相手は妙に真面目な顔をしている。
こういうのはしっかり否定しておかないと面倒になる。
「如月さんとはそういう関係じゃない」
「付き合ってんだろうが」
池沢は顔色ひとつ変えず、即座に言い返してきた。
(なに言ってんだこいつ)
さっきの『如月さんに弁当を作ってもらっている』話を、付き合っていると受け取ったのだろう。
如月さんは、世話を焼いてくれているだけだ。
弁当ひとつで、どこをどうしたらそこまで話が飛ぶんだ。
「相手、モデルだぞ。釣り合うかよ」
「は? お前、それで引き下がってんの? 普通あんな美人ほっとかねぇだろ。俺なら行くけどな」
「……お前はそうなんだろ」
池沢は、オレが自分から動く気はないと判断したのか、それ以上は突っ込んでこなかった。
もう聞きたいことは聞いた、という顔。
リーダーの女子が、パンパンと手を叩いた。
話し合いはひと通り決まったようだ。
「じゃあ最後に、買い出しの分担を決めてくね」
「カレーの材料と、それ以外で分ける?」
「カレー用は二人くらい?」
女子の一人が如月さんを見た。
「如月さん、カレーの方お願いできる? 食材分かるし」
「いいよー」
如月さんは明るい声で返した。
オレはポケットからイヤホンを取り出して、片方の耳にはめた。
これでまわりの声が一枚向こうに遠ざかる。
『付き合ってんだろうが』と言い切られた声が、まだ頭に残っていた。
これ以上、踏み込んでくるな、と口で言えない代わりに耳を塞いだ。
(どこまでいってんだ、か)
そんなの答えようがないのに、どうにも落ち着かなかった。
最近オレは、如月さんの家で夕飯だけ食べることがある。
きっかけは弁当だった。
如月さんが「どうせ自分の分も作るし」と言いながら昼の弁当を渡してくるようになり、その流れで「一人で食べるの、なんか味気ない」と夕飯にも呼ばれるようになった。
放課後、如月さんの家へ寄る。
飯を食って、少し喋って、帰る。
それだけだ。
何か特別なことがあるわけじゃない。
イチャつくことも、距離が縮まるようなことも起きない。
だから『どこまでいってんだ』と聞かれても、答えは悲しいくらい《健全》としか言いようがない。
でも、それが壊れにくい形だと思っている。
踏み込まない。
期待しない。
勘違いしない。
だから続いている。
普通のやつなら、もっと先を考えるんだろう。
オレはそこまでいけない。
今の形を変えようとした瞬間に、関係が壊れそうで怖かった。
(如月さんのカレー、美味かったな)
オレにとっては、それだけで十分すぎた。
そのとき、イヤホン越しでもはっきり耳に届く声が飛んできた。
「ちょっと待て!」
池沢だった。
如月さんがこっちを見ていて、目が合った。
班のメンバーもこっちを見ている。
「なんで松前なんだよ。そっちは俺でもいいだろ」
自分の名前が出ていることに、遅れて反応した。
「……ん?」
イヤホンを外して視線を上げたものの、話を聞き逃していたせいで状況が繋がらなかった。
リーダーの女子が首をひねってから言った。
「じゃあさ。如月さんに選んでもらえばよくない?」
今度は全員の目が一斉に如月さんへ向いたが、本人は答えなかった。
机に目を落としたまま、固まって見えた。
「そもそも松前が乗り気じゃねぇだろ」
池沢が言った。
役割分担の話だろう。
オレはもともと、みんなの前で意見を出すのは得意じゃない。
どこに振られても、文句を言う気はなかった。
役割が決まれば、それに従うつもりだ。
やりたいやつがいるなら、そいつがやればいい。
「オレは別に、他のでいい」
そこで、音が消えた。
誰も口を開かず、如月さんはうつむいたまま動かなかった。
(……なんだ、この空気)
オレは、役割を譲っただけだ。
それの何が悪いのか、わからない。
最初に口を開いたのは、池沢だった。
「ほらな。だったら、行きたいやつでいいだろ」
池沢は周りを見回して、同意を求めるように言った。
リーダーの女子が、言葉に詰まった。
「いや、そうなんだけど」
「如月さん、俺でいいだろ?」
「え、あ……」
池沢は如月さんの方へ身を乗り出している。
如月さんは目を泳がせ、一瞬だけオレを見たけれど、何も言わないまま、また下を向いてしまった。
リーダーの女子がため息をついたあと、オレのほうを見て言った。
「じゃあ、松前くんはカレー以外をお願いね。わたしたちと一緒に」
(ん?)
オレはカレー以外。
カレーは如月さん。
つまり如月さんとは別。
「洗剤とかもいるよね」
「お皿とコップも」
「飲み物どうする?」
「結構種類あるね、お店ごとに三人ずつの方がいいかな」
目の前では、自分がそこに組み込まれている前提で話が進んでいた。
(……ちょっと待て、ほとんど喋ったことないやつらと買い物に行く流れか?)
複数。
しかも女子いる。
気まずい。
普通に無理だ。
(なんでこうなった)
いや、オレが話を聞いていなかったからだ。
ちらっと如月さんの方を見た。
(さっき如月さんに『いつも一緒にいてくれなくていい』なんて言ったくせに、ここで頼るのか?)
池沢がまだ近くにいて、如月さんは困ったような顔をしていた。
「大丈夫だって、俺真面目にやるし。それにさ、松前だって興味なさそうじゃん」
池沢の声は明るいが、オレのなかにじわっと嫌な感覚が広がった。
池沢の距離。
如月さんの困っている表情。
オレの役割。
(……如月さんと組めば、同時に解決できる)
選ぶ余地は、まだ残っていた。
みんなの前で意見を言うのは得意じゃない。
でも。
オレは息を吸って、身を乗り出した。
「ごめん」
視線が集まる。
「オレ、ちゃんと話聞いてなくて……。オレも如月さんと一緒がいい」
班のメンバーたちが顔を見合わせた。
池沢は「は?」という顔で固まり、如月さんは目を丸くしていた。
(だから……なんだよ、この空気)
「決まりかな?」
リーダーが小さく笑って言うと、周りも頷いた。
池沢だけが納得していない顔で口を開きかける。
「いやちょっと待てって」
「じゃあ、カレーの材料は如月さんと松前くん」
リーダーが手を叩くと、如月さんが嬉しそうに笑った。
「うんっ」
その明るい声に、班のメンバーたちもほっとした顔になった。
しかし、池沢だけは、なおもこっちを睨んでいた。
「おい、松前」
「なんだ」
「お前さ。ああいう場面は譲ってくれてもいいだろ」
「いや、普通に無理だったんだよ。喋ったことない女子と買い物は」
「はぁ?」
「気まずいだろ」
池沢は呆れたように言った。
「そんな理由かよ」
それから、顔をしかめた。
「いや、それだけじゃねぇ。釣り合わないって引いてたくせに、あの言い方は矛盾してるだろ」
矛盾。
なんのことか分からなかった。
カレーの方なら如月さんがいる。
如月さんとなら、買い物は行ける。
『如月さんと一緒がいい』は間違ってない。
池沢が舌打ちする音が聞こえた。
「話聞いてなかったお前の評価が上がってんのがムカつく」




