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ゼロゼロ! ~距離感ゼロの如月さんと自己評価ゼロのオレ~【改稿版】  作者: 空色いろはに


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37話 月曜日の朝、呼び方だけが遠すぎる

 お昼休み、お弁当は食べ終わったあとだ。

 如月さんが、オレの机の横にしゃがみ込んでいた。


「ね、ここ」


 スマホが差し出される。

 画面には、湯気を立てる牛タン定食。

 焼き目のついた肉に、麦飯、とろろ。


「飯テロやめてくれ」


「えへへ、今日いこー」


 如月さんにとってそれは、本当に軽い誘いのつもりなんだろう。

 美味しそうな店を見つけたから、一緒に食べたい。

 それだけだ。

 でもオレは、またすぐに返せなかった。


 頭の奥に、今朝の教室の声がよぎる。

 『松前はよくて、俺はダメってことないよね』


 オレと一緒にいるせいで、まわりに対する如月さんへの距離感が壊れている。

 『松前でもいけるなら』

 そんな空気が広がれば、如月さんは、今まで以上に人と距離をとるのが難しくなる。


(……これ以上は、まずい)


 如月さんが「松前でもいける子」みたいに軽く扱われる。

 それが、いちばん避けたい形だった。

 この距離はダメだ。


「……やめとく」


「えぇー」


 間延びした声で、きょとんとオレの顔を見ている。


「また人に見られるだろ」


 説明は、それだけにした。


 本当の理由を言っても、如月さんは「それでも一緒に行きたい」と返すだろう。

 オレと一緒にいることで、自分がどう見られるかなんて気にしない。

 『それでもいいよ』なんて言われたら、オレはきっと断れない。


 如月さんは明るい声で続ける。


「えー、でも牛タン屋だよ? ムードとかないし、全然大丈夫じゃない?」


 ムード、という言葉に引っかかって、オレは黙る。


(……デートっぽく見られるのが嫌で断った、って思ってる?)


 如月さんはふにゃっと笑って、オレへ距離を詰めてきた。


「牛タン食べたいなー。ミオは牛タン嫌いなんだよね」


(ミオって誰)


 疑問は声にならなかった。


「食べたら終わりでいいし。ね、奢るから」


 さらに一歩、近い。


「だから、そういう問題じゃ……」


 言い切る前に、覗き込まれる。


「ねー、お願い」


 声が甘い。

 わざとだ。

 たぶん、全部がわざとではないが。

 でも断られているのに引かず、首を傾けて上目遣いで見てくる時点で、普通の説得じゃなかった。


 カーディガンの袖口を、指先でつまんでいる。

 机に寄りかかる距離が近い。

 前髪の影、まつ毛の動き、目の色。

 普段なら絶対に意識しない細かいものが、まとめて視界に入ってきた。


(近っ……)


 思考が、一回止まる。

 しかも本人は、たぶん半分くらいしか自覚していない。


(いや、半分でもアウトだろ)


「ね?」


 その一言で、断る理由が全部横から押し流された。


(『ね?』じゃないんだよ)


 こっちはかなり真面目に危機管理をしている。

 なのに如月さんは楽しそうな顔で、本当に行きたそうにこっちを覗き込む。

 その顔に、勝てるわけがない。


(……無理だろ)


 こんなのを正面から受けて、平気で断れる男は、たぶん精神が鋼でできている。

 オレは違う。

 目を閉じて、短く息を吐いた。

 負けた。

 牛タン、上目遣い、如月さんの距離感。

 その全部に。


「……じゃあ、行く」


「やったー」


 喜ぶ笑顔が、ただただ無邪気だった。

 オレは軽く息をつく。

 如月さんは、オレが断る理由を探す間にどんどん距離を詰めてきた。

 まるで、悩む時間を与えさせないみたいに。


(次、あったな)


 ◇   ◇


 放課後の駅前は、帰宅ラッシュにはまだ早かった。

 制服姿の高校生が何組も歩く中を、如月さんは機嫌よくオレの隣を歩く。


「ここは絶対おいしい。あたしのグルメセンサーがそう言ってる」


「如月さんは高性能だな」


 こっちを見て笑われる。


「斬新な褒め方ー」


 牛タン屋ののれんをくぐると、炭火と肉の匂いが一気に広がった。

 じゅう、と焼ける音と、店の熱気。


「わぁ……めっちゃいい匂い」


 目を輝かせる反応が子供みたいで、オレの口元がゆるみかける。


 二人席に通されて、向かい合って座った。

 制服で、放課後で、二人きり。

 教室では曖昧だった距離が、急に現実味を持つ。


「どうする?」


 メニューを開きながら如月さんが聞く。


「普通ので」


「せっかくだし上いっとこ?」


「高いし」


「奢るって言ったじゃん」


「だからだよ」


「じゃあいいね」


 店員が水を置いていく。

 そのタイミングで、如月さんは笑いながらメニューを閉じた。


「すいません、上2つください」


 勝手に決まった。


 しばらくして、牛タン定食《上》が運ばれてくる。

 炭火の香りと焼き目と、立ちのぼる湯気。


 二人で手を合わせて、いただきますを言ってから箸を取る。

 先に一口食べた如月さんが目を丸くした。


「おいしーっ」


 頬がゆるんで、さっき教室で作っていた顔とは違う顔になる。

 オレも一口食べた。


「……うま」


「ねーっ」


 嬉しそうに体を揺らす。

 会話が自然に途切れた。

 気まずさはない。

 ただ、二人して美味しいものに夢中になっていた。


 焼ける音と、他の客の話し声と、食器が触れ合う音がしばらく続いた。


 如月さんがふと箸を止めて、水を飲む。

 氷が、からんと鳴った。


「そういえば、そろそろさ。あたしのこと呼び捨てでいいよ」


「……なんで、急に」


「んー、なんかさ」


 言葉を探して、間を置く。


「如月さんって呼ばれると、しっかりしてる感じしすぎて。距離あるみたいで、ちょっとやなんだよね」


「学校で如月さんを呼び捨てにしてるやついないけど」


「うー、それはそうなんだけどね」


 如月さんは箸を置いて、右手と左手を少し離して机に置いた。


「クラスには最初から仲いい人と、あとから仲良くなった人いるでしょ。松前くんはあとから仲良くなった方で……その間のギャップっていうか」


 二つの手が、ゆっくり近づいていく。


「呼び方だけでいいから少し距離寄せたい。だから他の人とはちょっと違う例外、みたいな」


 例外。

 その言葉が、妙に浮く。


(……他のやつとは違う、例外)


 胸の奥が落ち着かない。

 すぐには頷けなかった。


「……例外って、そんな簡単に作るもんじゃないだろ」


 言った瞬間に、後悔した。

 如月さんの表情が止まる。


「あ、えっと。そうなんだけど」


 声が弱くなって、さっきまでの和やかな空気が揺れた気がした。


(また変な言い方した)


 数秒黙ってから、息を吐く。


「……悪い。オレの言い方、変だった。否定したかったわけじゃない」


 言葉を探しながら続けた。


「如月さんが言ってること自体は、分かる。自分だけがっていうのが、なんか引っかかってて」


 如月さんの肩から、力が抜けた。


「そっか」


 小さく笑う。

 箸で牛タンをつつきながら、またぽつりと話し出した。


「さっきの例外って、そんな大げさな意味じゃなくて。あたしの中ではもう、けっこう近い距離にいるつもりなんだよね」


 オレは何も言わなかった。


「でも、如月さんって呼ばれるたびに、ちょっと距離戻される感じがして。だから、もう一段階だけ近くていいって思っただけ。呼び捨てって、そういう調整みたいな感じ」


 声は、さっきより静かだった。


(……戻されない距離、か)


 前に如月さんが話していた距離の話を、思い出した。

 一度離れると戻すのは大変で、一回近づけば離れるのも難しい。

 呼び方も、そのためのものなんだろう。


「理由は分かった」


 如月さんの表情が、少しゆるむ。


「オレの方が、難しく考えてたかもしれない」


「でしょー?」


 空気がやわらかくなる。

 その中で、静かに続けた。


「でも、呼び方は変えない」


「は?」


 素で、変な声が出ていた。


「話は分かったけど……いきなり変えるのは違うと思う」


「え、なんで?」


 食い気味だった。

 少し考えてから、言う。


「呼び捨てって、雑に扱ってる感じがするだろ。それに、オレだけっていうのが変だし。……如月さんも、オレのこと呼び捨てにする?」


 如月さんが、ぴたりと止まった。


(……やっぱり)


 なんとなく、そんな気はしていた。


「いやいやいや! そんなん無理だよ! 松前くんを呼び捨てとか無理無理」


 即座に、首を横に振られた。


 如月さんは、「如月さん」と呼ばれると距離を感じると言った。


 なら、まず自分からオレを「松前」と呼べばいい。

 でも、如月さんは今まで一度もそうしていない。

 きっと、同じなんだ。


 オレを呼び捨てにすることは、如月さんにとっても、相手を雑に扱うみたいで嫌なんだろう。


 予想どおりの反応に、変に安心した。

 だから、自然に返せた。


「なんでそれでオレには呼び捨てさせようと思ったんだよ」


 如月さんはむっと唇を尖らせた。


「考えてなかっただけでしょ、いじわる」


 その言い訳がおかしくて、笑いそうになる。


「いま笑った?」


「別に」


「絶対笑った」


 机の下で、足が軽く当たった。


「いた」


「罰」


 そう言って、如月さんは笑った。


 店の奥で、また肉の焼ける音がする。

 ジュウ、と脂の弾ける音。


 その音を聞きながら、オレはもう一度、向かいに座る如月さんを見た。

 牛タンを箸でつまみゆっくり口へ運ぶと、美味しそうに頬をゆるめている。


 呼び方は、まだ変わらない。

 それでも、距離が戻った気はしなかった。

ここまで読んでくださってありがとうございます。

少しでも気に入ってもらえたら、ブックマークや評価で応援してもらえると嬉しいです。

今後の励みになります(・v・)♥

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― 新着の感想 ―
最新話まで追いついちゃいました。これで付き合ってないんだ……ほんとに距離感はゼロだし、自己評価もゼロで焦ったいのにキュンキュンしちゃいます。 カップルシートで手を繋いで映画鑑賞なんてもうカップルですよ…
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