36話 月曜日の朝、噂だけが近すぎる
「しかも如月さん、男物のパーカー着てたらしい」
言った男子の声が大きくなって、あわてて周りを見回す。
ひそひそ声に戻したが、近くの数人にはもう届いていた。
「それって松前の?」
「まさか」
「さすがに付き合ってはないよな」
ほっとした顔になるやつもいれば、露骨にがっかりしているやつもいる。
まだ自分たちの負けじゃない、と言いたげな顔もちらほらあった。
オレは無表情のまま席に着いて、かばんを置いた。
(……やっぱ目立つからな)
オレはどこへ行っても誰にも見られない側の人間だ。
昨日どこにいたかなんて、話題になったことは一度もなかった。
如月さんは違う。
教室でも廊下でも駅前でも、いるだけで視線が集まる人だ。
教室の中心に目を向ける。
窓からの朝の光の中に、学校指定のベージュのカーディガンを羽織った如月さんがいた。
目が合うと、如月さんは何でもないみたいに笑って、オレに向かって手を振ってくる。
一昨日も見た笑い方だった。
夜のことが浮かんで、先に目をそらした。
(あの時、『いいよ』って言えなかった)
そのうしろめたさを抱えたまま、本人に笑顔を向けられるのはきつい。
如月さんは友達との会話に戻っていく。
その横顔をもう一度だけ見て、すぐ前を向いた。
のどの奥が、やけに乾いていた。
◇
今日は朝から教室が落ち着かなかった。
原因は、一昨日のあたしと、その隣にいた松前くんだ。
いつの間にか、あたしのまわりに女子の輪ができていた。
「松前くんと遊びに行ったってほんと?」
「うん。カラオケ行って、そのあと映画も見たんだ」
「えー! ほんとなんだー」
「映画なに見たの?」
「ホラー、あたしが気になってたやつ。松前くん、なんでもいいって言ってくれて」
「男物のパーカー着てたって、もしかして松前くんの?」
「そうなの。話すの恥ずかしいんだけど、あたし舞い上がっちゃって自分にジュースかけちゃったんだ。そしたら松前くんが汚れてもいいからって貸してくれて」
「やさしー」
顔がちょっと熱くなって、照れ笑いが出てしまう。
そこから、女子の声がひそひそ話に変わった。
「松前くんって静かだけど優しそうだよね」
「わかる。ちょっとクール系っていうか」
「顔も別に悪くないしね」
ほんの少しだけ、胸のあたりがそわそわする。
(松前くんの優しいところが伝わってるのはうれしいけど)
一方で、男子の反応は違った。
後ろから男子たちが割り込んでくる。
声は軽いのに、目だけは探るようにこっちを見ていた。
「如月さんって、誘えば遊んでくれる感じなの?」
「タイミング合えばねー」
「松前はよくて、俺はダメってことないよね」
「そこは比較とかしちゃダメだよー」
「そもそも松前と一緒って、楽しかった?」
「俺だったら、もっと楽しませるけど」
松前くんを基準にして、自分も同じ場所に入ろうとしてくる。
その考え方が、もう間違っていると思った。
なんで勝負みたいになるんだろう。
答えは考えるまでもない。
楽しかったものを、楽しくなかったみたいには言えない。
「えー、楽しかったよ? 歌上手いし」
指をひとつ折る。
「映画の趣味も合うの」
もうひとつ。
「あと、いろいろ気づかってくれる」
あっさり言い切った。
男子の動きが止まる。
女子たちは、またざわっとなった。
「ほんとそういうとこ大事」
「優しいんだねー」
逆に、男子の顔はさらに納得がいかなそうになっていく。
たぶん男子たちの知っている松前くんは、『あぁ』『別に』『うん』で会話が終わる人だ。
ちゃんと話せば、ちゃんと返してくれる人なのに。
◇ ◇ ◇
休み時間の教室の片隅で、男子たちの間に雑な作戦会議が始まっていた。
「松前と仲良くなれば、如月さんとも遊べるんじゃね?」
如月さんを直接誘っても、ふわっと流される。
だったら先にオレを取り込めばいい、という流れらしい。
片耳だけイヤホンをつけてスマホを見ていると、クラスの男子数人が近づいてくる。
「なぁ、松前ってゲームやる?」
「……うん」
「なにやってんの?」
「音ゲー」
「へー、ゲーセンとか行く?」
「まあ」
会話が伸びなくて、男子たちが黙る。
「映画とか何見るの?」
「いろいろ」
「ホラー好きなんだって?」
「うん」
そこでまた、男子たちが黙る。
質問には答えているし、拒否しているわけでもない。
それなのに、会話が止まる。
オレとしては、ちゃんと答えているつもりだった。
ゲームをやるかと聞かれたから、やると言った。
何をやるかと聞かれたから、音ゲーと言った。
映画は何を見るかと聞かれたから、いろいろ。
ウソはないし、会話を切る気もない。
でも、その先へ枝を伸ばす技術が、オレにはない。
如月さんの顔が浮かんだ。
あの子は、こっちの短い返事をしっかり拾って、丁寧に転がして、気づいたら会話の形にしてくれている。
改めて考えると、かなりの特殊技能だと思う。
「今度みんなで遊ばん?」
「無理」
「いや早いって! もうちょっと考えようぜ!?」
「……人数多いの苦手」
「あー」
そこだけ、妙に納得された。
「じゃあ少人数なら?」
「無理」
「おいー」
すぐ次の質問が来た。
「いっつもスマホでなに見てんの?」
「動画」
「なんの?」
ゲーム実況、新しく出た曲、映画の考察、オカルト系。
実際に見ているものは一つじゃない。
言っても分からないだろうし、一番広くて、変な空気にならない答えを選んだ。
「……いろいろ」
「またいろいろ」
「広いな」
細かく言うほうが困ると思って、かなり相手に寄せたつもりだった。
その結果、広すぎて話が終わった。
(如月さんなら、ここで普通に拾うんだよな)
『やっぱ音楽の動画?』とか、『考察系好きそう』とか。
オレが答えやすいように選択肢と次の話題まで用意してくれて、変な答えを出しても笑って受け止めてくれる。
それでいつの間にか話が続いている。
だから最近は、オレも少しは話せるようになってきていた。
(……会話って、本当は難しいんだな)
「松前って、如月さんといる時もこんな感じか?」
「……うん」
「会話とか成立してんの?」
数秒、黙る。
「……してる」
「ほんとかよ!」
男子たちが頭を抱えた。
面倒になって、イヤホンへ指を伸ばす。
「終わりでいいか」
「勝手に閉店するな」
そこで、教室のドアが開く音がした。
「あ、おかえりー」
女子に迎えられて入ってきたのは、如月さんだった。
廊下側から差し込む光を背に、濃い茶色の髪が歩くたびに揺れる。
男子たちの視線が、一斉にそっちへ流れた。
如月さんはオレの席まで来て、当たり前みたいに机へ寄りかかる。
「松前くん、ちゃお」
「……ん」
「如月さん聞いてよ、松前くん全然しゃべってくれないんだけど」
「うん、あたしも最初そうだったから。根気はいるよねー」
如月さんはくすっと笑った。
楽しそうな顔が、やたらと可愛い。
男子たちは、何かを理解し始めた顔をしている。
笑顔の種類が違うことに、見ていれば気づいたはずだ。
如月さんは机に両手をついて、身を乗り出してきた。
「松前くん、なんの動画見てたの?」
「いろいろ」
「いろいろ、っていうチャンネル?」
「違う」
男子の中に、吹き出しかけてあわてて口を押さえるやつがいた。
「ゲーム実況とか見るの?」
「……見る」
「あ、映画の考察系よく見るでしょ」
「……見る」
「やっぱ音楽系も多そうだね」
「……まあ」
ほかの男子たちは顔を見合わせた。
「ほんとにいろいろなんだな」
「適当に言ってるのかと思ってた」
そのやり取りに、如月さんは不思議そうな顔をしてから、またこちらを向く。
「今いちばんおすすめ何?」
迷ってから、スマホの画面を向けた。
「……これ」
「あー、これあたしも見てる!」
如月さんは目を輝かせて、画面をのぞき込んでくる。
甘いにおいがふわっとした。
(近い)
男子たちは、固まっていた。
一人が小声で言う。
「……なんかさ、次元が違う」
「わかる」
聞こえないふりをして、オレは画面だけを見ていた。




