35話 お礼の映画、手は握り返せるのに③
オレはベッドに仰向けになったまま、天井を見ていた。
蛍光灯を消した部屋は暗くて、窓の外の街灯が弱い明かりをつくっている。
片腕を目元に乗せると、暗さがもう一段濃くなった。
(あれで、上手くできたのか……?)
思い出したのは、カラオケに行く前、スマホを見ながら勝手に思い描いていた場面だ。
如月さんが振り返って、『また来ようね』と笑う。
想像の中のオレは、短くても『ああ』ときちんと返していた。
なのに現実のオレは、『また誘ってもいい?』と聞かれて答え方を間違えた。
楽しかった。
カラオケも映画も、素直に楽しかった。
だから、普通に『いい』と言えばよかった。
なのに口から出たのは、
如月さんは忙しい。
無理に合わせなくていい。
(あれじゃノリ気じゃないみたいに聞こえたはずだ)
長いため息が出る。
(あんなの……次、誘いにくいだろ)
「……最悪だ」
(楽しかったのに。最後だけ、なんでこうなる)
最後の最後で、変な返しをした。
ベッドから起き上がると、畳まれたパーカーが目にはいる。
今日、如月さんに貸していたものだ。
別れ際、如月さんは名残惜しそうに脱いで返してきた。
『ほんとに洗わなくていいの?』と何度も確認されたけど、『いい』と短く断った。
断るときだけすんなり出てくる。
浮かんできたのは、パーカーの袖を握っていた如月さんの姿ばかりだ。
(次、ないだろ)
◇
部屋の明かりは消してある。
あたしは枕を抱えたまま、ベッドの上で足をぱたぱたさせていた。
手の中で、スマホの画面だけが光っている。
映っているのは、いつものトーク画面。
最後に送ったメッセージも、特別なものじゃない。
それなのに、見ているだけで顔がゆるんだ。
「楽しかったなぁ」
声に出したら、胸のあたりがふわふわした。
『……今日は楽しかった』
あの言葉を思い出して、枕に顔を埋めた。
前を向いたまま言った横顔が、ちょっと反則だった。
ああいうのは、かっこいい。
今日は、あたしがやりたいことばっかりお願いしてた。
カラオケも、食べるものも、見る映画も、カップルシートも。
あたしが選んだことに、嫌な顔しないで最後まで付き合ってくれた。
なのに。
(松前くんのほうから、楽しかったって)
それだけで、一日の全部が報われた。
今日は本来、あたしがお礼をする日だ。
助けてもらったお礼にカラオケをおごる、という名目で誘ったのだから、松前くんに何度も歌わせるのは違う。
そこは分かっていた。
分かっていたのに、自分のために歌ってくれる松前くんの声を、目の前でいっぱい聴きたかった。
松前くんは、そのことに何も言わなかった。
お礼なのにオレが歌うのか、とも突っ込まなかったし、茶化したりもしない。
普通にマイクを持って、本気で歌ってくれた。
しかも、やっぱりうまかった。
低くて、まっすぐで、いい声だった。
あたしがお願いしたから歌ってくれている。
それが、曲のうまさとは別のところでうれしい。
映画館で先に手を握ったのは、あたしのほう。
でも、怖い場面で力が入るたび、松前くんはちゃんと握り返してくれた。
あの手は大きくて、力強くて、男の子だった。
「……松前くん、男の子だ」
苦笑いが出る。
「今日なんかあるって、思ったんだけどな」
可愛いって褒めてくれて、歌を聞きたいって言ってくれて、目が離せないなんて口にして、パーカーまで貸してくれた。
男の子と二人きりでカラオケ。
個室で向かい合わせ。
そのあと映画館でカップルシート。
暗い中で手までつないだ。
そんなの、期待しないほうが無理だ。
あわよくば、キスくらい。
そこまで考えた瞬間、枕をぎゅうっと抱きしめた。
「……なかったな」
何もなかった。
こっちが期待してることには気づいていないみたいに、松前くんはきちんと家まで送ってくれた。
それはすごく優しい。
でも。
「ちょっとくらい、あってもよかったのに」
声に出したら、思っていたよりすねた響きになった。
別に、今日絶対そうなりたかったわけじゃない。
でも期待していたぶん、がっかりは大きい。
帰り際に『また誘ってもいい?』って聞いたとき、松前くんはすぐにはうなずかなかった。
少し困った顔で、あたしの予定のことを言った。
(……松前くん、そういうところあるよね)
自分がどうしたいかより先に、こっちが無理してないかを気にする。
楽しかったって言ってくれたのに、次の約束になると急に慎重になる。
画面を閉じて、スマホを枕元に置いた。
まだ顔の熱は引かない。
「また誘うからね」
布団を引き寄せる。
楽しかったって、言ってくれた。
だから、次を考えられる。
暗い部屋の中で、あたしはもう一度だけ、こっそり笑った。
◇ ◇ ◇
教室に入った瞬間、オレはいつもと音が違うことに気づいた。
朝のホームルーム前はどこもざわついている。
けど今日は、あちこちに小さな輪ができていて、どの声も低く抑えられていた。
聞き流して席へ向かうつもりだった。
なのに、イヤホンをしていないほうの耳が勝手に拾った。
「なぁ、聞いたか?」
「昨日、駅前で見たって」
「普通に手つないでたらしいぞ」
「映画も行ったって?」
「カラオケのあと映画とか、ほぼデートじゃん」
オレはかばんの持ち手を握ったまま、数秒動けなくなった。
(……あぁ)
見られていた。
それも一人や二人じゃなさそうだ。




