34話 お礼の映画、手は握り返せるのに②
「……これ、カップル用のやつ?」
聞き返すと、如月さんが軽く笑って、身を乗り出してきた。
耳のすぐ近くで、ささやき声で話す。
「そそ、恋人同士がくっついて座る用の席」
「恋人同士……」
「松前くん、隣知らない人だと落ち着かないでしょ」
如月さんはさらっと微笑んで、それから付け足すように言った。
「まあ、これカップル向けだけど」
「いや、まあ。確かに広いのはいいけど」
「あ……勝手に席選んじゃってごめん」
如月さんの声はかすかに震えていた。
さっきまで笑っていたのに、今は膝の上で袖をいじっている。
「いや……如月さんが気にしてないなら、別に」
オレの声はいつも通り平坦だったが、内心は落ち着かなかった。
(カップル。恋人同士。近い)
その言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
如月さんの言っていることは分かる。
カップルシートじゃない席は、知らない人との距離が近い。
今日は土曜日で人も多い。
広い席を選ぶのは、オレのため。
理屈としてはかなり正しい。
(理屈としては)
そこまでは分かる。
分かるのに、引っかかる。
カップルシートという名前のついた場所に、如月さんと並んで座る。
(別に、そういう意味じゃないんだろうけど)
如月さんは、隣に知らない人が来ないように、オレが気を張らずに映画を見られるように選んでくれただけだ。
そこに余計な意味を足しているのは、オレのほうだ。
でも。
(それ、オレでいいのか)
恋人同士が座るような場所に、当たり前みたいな顔で隣にいていいのか。
嫌ではない。
隣が如月さんなら、知らない人よりずっといい。
悩んでいても仕方ない。
オレは如月さんの隣に腰をおろした。
如月さんが小声で言う。
「これけっこうグロいよ。平気?」
「……うん」
「本当に?」
「如月さんこそ大丈夫か」
「あたりまえじゃーん」
くすっと笑う顔は、思ったより余裕そうだった。
(……意識してるのオレだけか)
◇ ◇
映画が始まった。
館内の照明が落ちて、スクリーンの光が広がった。
重低音がソファを震わせる。
後ろから何かが近づいてくる足音、遠くできしむ音、湿った呼吸みたいなノイズ。
どれも妙に生々しく耳に残る。
(……音、すごいな)
ちらっと横を見る。
如月さんは、さっきまでの軽い調子が嘘みたいに静かだった。
背もたれに体を預けて、パーカーの袖に指を半分隠したまま、スクリーンだけを見ている。
目が真剣だった。
(……ほんとに好きなんだな)
最初は静かな導入だった。
人けのない田舎町を、カメラが進んでいく。
不穏な音だけが、場面を重くしていった。
如月さんはまばたきも少ない。
完全に見る側の顔になっている。
そのとき、音楽がぷつりと途切れた。
次の瞬間、鋭い効果音と一緒に、画面いっぱいに殺人鬼の顔が映る。
「っ」
如月さんの肩が、びくりと跳ねた。
その反応がおびえた小動物みたいで、気づいたらずっと隣を見ていた。
画面はすぐに残虐なシーンへ切り替わる。
鈍い音、飛び散る血、短い悲鳴。
如月さんは反射的に片手で目元を覆った。
けれど、指のすき間があいていて、そこから見ている。
(……見たいのか見たくないのかどっちだよ)
そう突っ込みながらも、面白くて視線が外せない。
画面の光が変わるたび、如月さんの表情も細かく変わった。
怖い場面では顔がこわばり、肩に力が入る。
(……見るな)
そう言い聞かせても、隣の如月さんが気になって仕方なかった。
序盤の惨劇が終わって、館内がひと息ついた。
如月さんが手を下ろす。
ふうっと息を吐いてから、ソファの上で指を動かした。
何かを探すみたいな動きだった。
指先がオレの手に触れる。
冷たかった。
如月さんは、何でもないことみたいに小声で言う。
「怖かったねー、手つないでてあげる」
「……どっちが」
「強がっちゃって」
如月さんが笑った。
ささやき合うみたいな小声のまま、指が確かめるように絡んでくる。
断ろうと思えば断れた。
でも、しなかった。
(……まあ、もうつないでるし)
それだけ考えて、軽く握り返した。
如月さんの指が、ぴくっと動く。
映画は続いた。
静かなシーンのあとに不意打ちの悲鳴、殺人鬼の影、急に鳴り響く音。
そのたびに、如月さんの手にぎゅっと力が入る。
分かりやすいくらいに。
(……やっぱ怖いんじゃないか)
何も言わない代わりに、力が入るたび、こっちも握り返した。
すると、如月さんもまた握り返してくる。
その繰り返しだった。
言葉にするとおかしくなることも、手なら伝わるかもしれない。
如月さんは、怖い場面になるたび片手で目を覆う。
でも、完全には逃げない。
指をずらして確認しては、びくっとして、こっち側へ寄ってきた。
暗闇の中で肩が触れて、甘いにおいが鼻をかすめた。
パーカーの布越しに伝わる体温が、やけに気になる。
(……近い)
そう思いながらも、距離を取らなかったし、手も離さなかった。
如月さんが怖がるたびに、離したらダメな気がしていた。
エンドロールが流れ始める。
館内の音と明るさが、少しずつ戻ってきた。
如月さんが、先に口を開いた。
「面白かったねー」
「そうだな」
「松前くん、平気だった?」
「平気だった。如月さんは」
「平気」
即答だった。
嘘ではないんだと思う。
怖かったけど、平気。
如月さんの中では、その両方が矛盾しない。
でも、よく見ると目が潤んでいた。
「平気か」
「当たり前じゃん、なに」
疑われていると察したのか、如月さんはむっと口を尖らせている。
「怖がってなかった?」
「ホラー映画だもん。怖いほうが楽しいじゃん」
その言い方が、妙にうれしそうだった。
◇ ◇
映画館を出ると、暗闇に慣れた目には外の光がまぶしかった。
まばたきを繰り返していると、感想を話したくて仕方ない顔の如月さんがさっそく口をひらく。
「犯人の正体、意外だった?」
「主人公でミスリードさせるの上手かったな」
「あれ絶対そっちだと思うよね。あたし途中で完全にだまされた」
「如月さんたまに目逸らしてた」
「ホラーは怖がって見るものなの」
笑いながら言い返す声が、弾んでいた。
さっきまで目が潤んでいた。
なのに、怖がっていたことを指摘すればすぐにむくれて、感想を話し出せば今度は笑う。
表情の切り替わりが目まぐるしい。
その目まぐるしさが、いかにも如月さんらしくて、ふっと、笑ってしまう。
(……悪くなかったな)
遅れて、違うと気づく。
(悪くなかった、じゃ足りないだろ)
カラオケも、映画も、楽しかった。
今のうちに言っておかないと、言えないまま終わりそうだ。
前を向いたまま、口を開く。
「……今日は楽しかった」
「あたしも」
横目で見ると、如月さんが嬉しそうに笑って、借りたままのパーカーの袖を、指先でくしゃっと握った。
「ねぇ」
如月さんは一度ためらってから、もじもじと口を開いた。
「また誘ってもいい?」
言った途端、如月さんの視線が泳ぐ。
つま先が、地面をこすった。
「……如月さん、結構忙しいだろ」
「まあ、忙しいときもあるけど」
如月さんが、きょとんとする。
その顔を見て、また言い方を間違えたと気づいた。
今のは普通に、「いいよ」と言えばよかった場面だ。
しかし、もう言ってしまったあとだった。
「無理に合わせなくていい」
「無理してないよ」
「……そうか」
如月さんは、嬉しそうに笑っている。
そのまま、何でもなかったように隣を歩き出した。




