31話 お礼のカラオケ、君に届ける歌とオレに届く歌③
カラオケの店は駅から少し歩いた場所にあった。
受付では如月さんが店員と話をしている。
「十二時十分に予約した如月です。ちょっと早く来てしまってー」
その横顔は、さっきまでの柔らかい笑顔とは違う、外向きの顔に切り替わっていた。
オレは少し後ろの壁際に立ったまま、足元を見る。
(個室で二人きり……)
今更そこに気づいて、じわりと緊張した。
「大丈夫だって、こっち」
廊下を進んで奥の小部屋へ向かう。
ドアを開けると、思っていたよりは広かった。
けど、女の子と二人きりとなると。
(……狭い)
ドアが閉まる音が、やけに重く響いた。
「どっちに座る?」
「……どっちでも」
「じゃあ隣でいい?」
「どう見ても一人掛けだろ」
冗談なのは分かっていた。
なのに、本当に隣へ座られる光景が浮かんで、戸惑った。
「ふふ、じゃあこっち」
笑いながら、入口側のソファに腰を下ろした。
店員が来たときに対応しやすい位置だ。
如月さんは、そういう判断が自然にできている。
オレは向かい側のソファに腰を下ろした。
「松前くん、お昼抜いてきてくれたよね?」
「まぁ、言われたから」
如月さんは嬉しそうに笑って、テーブルのタブレットに手を伸ばし、メニューを開いた。
「どうする? 軽め? それともガッツリ?」
「任せる」
「いいの?」
「如月さんの方が分かってそうだから」
その一言に、如月さんの手が止まった。
口がとがる。
「あたしが食いしん坊だって言いたい?」
「如月さんの勧めるものは間違いないと思って」
「なにそれ、フォローになってないよー」
文句を言いながらも、嬉しそうにメニューをスクロールしている。
ぽんぽんと注文を確定して、タブレットを置いた。
「あのね、あたし松前くんに歌ってほしい曲のリスト作ってきたの」
カバンの中からスマホを取り出して、画面を開いてちょっと得意げに見せた。
そこには曲名がずらっと並んでいる。
(準備してきたのか……)
何を歌えばいいのか分からないという状況を、如月さんが先に消してくれている。
「歌えそうなのあったら教えて、入れてくから」
リストを上から眺めて、指で一つ示した。
「……じゃあこれ」
「やったー」
如月さんの顔がぱっと明るくなった。
その笑顔は、受付のときの外向きの顔とは違って無邪気だった。
手際よく曲を入力して、最後に決定ボタンを押す。
「あ、マイクマイク」
タブレットを置いて立ち上がり、モニターの脇に置かれたマイクスタンドから一本取って差し出してきた。
「はい」
「……ん」
受け取りながら頷いた。
モニターにイントロが流れ始める。
その間、如月さんがこちらを見ているのが分かった。
オレはマイクを握ったまま、逃げるように画面を見た。
あのクラス会のカラオケの時とは違う。
これは、如月さんに聴かせるために歌う。
(いや、普通に歌えばいい)
モニターに歌詞が映って、歌い出しの一小節目から声を出した。
如月さんが動きを止めたのが気配で分かった。
意識しないようにする。
サビに入って声量を一段上げる。
高音に入っても崩れないように保った。
ビブラートは語尾にだけさらっとかける。
大部屋じゃなくても、歌い方は変わらない。
曲が終わると、拍手が返ってきた。
「うますぎー! あたしだけ聴いてるの超贅沢ーっ」
その弾んだ声に、ようやく如月さんの方を見る。
「……ありがとな」
「高い音やばくない? めっちゃ鳥肌たっちゃった!」
如月さんが勢いよく身を乗り出してくる。
「てか息まで使ってくるよね! あたしああいうの超好き! サビの前で深く吸うやつ!」
思わず小さく笑った。
如月さんはきょとんとした顔で、こちらを見返した。
「え、なに? 笑った?」
「笑った。歌ってるのが見たいって、本当なんだな」
「え、えへへ……まぁね、お世辞じゃないよ」
如月さんが照れくさそうにしているところへ、軽いノックのあとにドアが開いた。
店員がトレーを持って入ってくる。
「失礼します」
如月さんは反射的に姿勢を正して、会釈をした。
コーラと、アイスティー。
グラスが一つずつ置かれていき、氷の触れ合う音がカランと鳴る。
「ありがとうございます」
「フードは後ほどお持ちいたします」
「はーい」
店員が出ていって、ドアが閉まった。
静かになったと思ったら、如月さんがスマホを持ち上げて、すぐに明るい声を出す。
「次の曲いれるねー、松前くん選んで」
「いや、如月さんも歌って」
「えー、上手くないって言ったじゃん」
「関係ない、せっかく来たんだし」
「……ずるい」
ぼそっと言ってから、しぶしぶタブレットを操作し始めた。
如月さんがマイクを手に取って、深呼吸した。
数秒後、イントロが鳴り出した。
(ロックか)
歌い出しの一音目から、音が外れた。
テンポは遅れていないが、音程はずっと不安定だった。
(下手だな……)
でも、楽しそうだった。
つられて、目を細める。
(……いいな)
曲が終わった。
如月さんは「ふーっ」と息を吐いて、マイクを置いた。
「ね、ガッカリしたでしょ?」
恥ずかしそうな顔をした如月さんに、正直に答えた。
「音程は外れてた」
「う」
「でも、聴いてる感じは悪くなかった」
如月さんは首をかしげた。
「どういう意味?」
「楽しそうだったから。歌うのは好きなんだってのは伝わる」
「ぅえへへ、そうなの。歌うとテンション上がるよね」
「感情乗ってるのもいいよな、声質も……」
そこで言葉を止めた。
(……好きだ)
喉の奥まで出かかった言葉をぎりぎりで飲み込んで、代わりにテーブルのグラスへ目を移してから続けた。
「……声質も普通にいい」
如月さんの頬がじわっと赤くなって、両手で顔を軽く押さえた。
「あ、ありがとう」
そのまま視線をずらしてタブレットを手に取る。
「松前くん歌って」
話題を変えるみたいに言われた。
如月さんのスマホの曲リストを眺めながら、一曲選んだ。
「これ」
如月さんがタブレットを操作して曲を入れた。
さりげなくタブレットを自分の膝側に寄せたまま離さない。
なぜか、テーブル中央には置かなかった。
二曲目を歌い終えると、如月さんがまたぱちぱちと拍手をくれる。
そのとき、コンコンとノックが聞こえた。
「ご注文のお品お持ちしましたー」
ドアが開いて、店員がトレーを持って入ってくる。
テーブルの上に料理が次々と並べられていった。
焼きおにぎり、のりチーズスティック、ベーコンポテトパイ、ソーセージ盛り合わせ、タコのから揚げとイカゲソの合わせ盛り。
「以上でお揃いになります、ごゆっくりどうぞ」
如月さんがにこっと笑って応じる。
「ありがとうございます」
店員が出ていき、ドアが閉まる。
如月さんはおしぼりで手を拭いて、手を合わせた。
「いただきまーす」
まずはのりチーズスティックを一本つまんだ。
口を寄せて、長いそれを端から噛み切る。
「んーっ、おいしー」
タコのから揚げを口に運んでは頬をゆるめる。
ソーセージをひと口かじって、満足そうに頷いた。
次は、焼きおにぎりに目を輝かせて手を伸ばす。
目が勝手に如月さんを追っていた。
その視線に、如月さんの動きが止まった。
「な、なに」
「……悪い、ジロジロ見た」
「ほんとにね」
小声で返された。
「如月さんってさ」
「ん?」
「美味しそうに食うよな」
「……あたし、そんな食べてる?」
そう言いながらイカゲソを口に運んでいた。
「食べながらそれ言うのか」
如月さんはもぐもぐしながら、にこっと笑った。
「普段こんな食べないよ。松前くんとご飯行くと美味しいんだよね」
誰かと食べるから美味しい、という感覚がすぐには分からなかった。
飯は一人で食べても味は変わらないし、うまいものはうまい。
そういうものだと思っている。
「……いや、一人で食べても美味いだろ」
「実際の味が変わるわけじゃないよ。美味しく感じるってこと」
「……ふーん、そういうものか」
如月さんの右手には焼きおにぎり、左手にはソーセージの刺さったフォークが握られている。
焼きおにぎりをかじると、パリッ、と海苔のいい音が鳴った。
如月さんがまたこちらの視線に気づいて、頬をふくらませた。
「なにぃ」
「いや、食べてるとこいいなって」
「な、なにそれぇ」
理由を聞かれても、うまく説明できそうになかった。
食べている如月さんは、表情を作っていない。
雑誌に載っている如月さんとは違う。
学校で誰かに囲まれている時の如月さんとも違う。
美味しいものを前にして、素直に反応している姿。
「美味しいって思ってるところが、いちいち顔に出てる。一口目で何回も頷くとことか、頬張りすぎて口元隠すとことか」
如月さんの顔が赤くなっていくのが分かった。
「な、なんでそんなとこ見るの?」
「なんか、目が離せなくて」
如月さんは慌てて頬を押さえた。
顔が真っ赤だ。
耳も赤い。
視線をテーブルに落として、もごもごと言う。
「目が離せないって……い、言い方がさ。く、口説き文句みたいに聞こえるんだよね。松前くんが言うとさぁ」
「口説いてない」
「だよね!」
如月さんの声は明るかった。
顔も笑っている。
なのに、言葉の端には棘があって、おしぼりをぐしゃぐしゃに丸めて握り潰していた。




