30話 お礼のカラオケ、君に届ける歌とオレに届く歌②
待ち合わせは十二時だったが、三十分前に着くようにした。
友だちと待ち合わせをした経験など、ほとんどない。
何分前に着くのが正しいのか分からず、早いぶんには間違ってはいないだろうという考えだった。
待ち合わせ場所の柱に背中をつけて、イヤホンを片耳だけ外してスマホを確認した。
(……五分前くらいに連絡するのがいいか)
そう思ったところで、如月さんが小走りで近づいてくるのが見えた。
約束の時間よりだいぶ早い。
目が合った瞬間に、足取りが速くなっている。
「おはよ、お待たせ~」
にこっと笑って、如月さんがオレの目の前で止まる。
私服だった。
休日なのだから、当たり前だ。
学校では見たことのない編み込みの髪で、結び目には茶色のリボンが留まっていた。
白いカーディガンの下に淡い水色のキャミソール。
ベージュのスカート。
ちょっとメイクもしている。
学校で見るより少しだけ大人っぽくて、でも笑い方だけはいつも通りだ。
何も言えなくなって、会釈を返すのが精一杯だった。
「ほら、挨拶っ」
すぐに飛んできた注意に、怒った様子はない。
くすくすと笑っている。
(いや、落ち着け)
いったん見ないように、通りの人の流れへ顔を向けた。
いつもと違う服装、それだけだ。
気合いが入って見えるのは、如月さんがモデルだからだろう。
どんなときでも、おしゃれには手を抜かない。
オレに見せるためとかじゃない。
そう自分に言い聞かせて、もう一度如月さんの方を見た。
(近っ!)
思ったより近くに如月さんがいた。
覗き込むようにこちらを見ている。
不安そうな顔だった。
「気分悪くした? あとから来たくせに説教とか」
「い、いや……違うから。おはよう」
「うんっ」
如月さんの顔に笑顔が戻る。
「あ、緊張してる? あたししてる。今日は変な行動するかも、よろしくね」
「こちらこそ……」
それだけ言うのがやっとだった。
可愛いと思った。
(こういうの、言ったほうがいいんだろうか)
言えば喜ぶかもしれない。
でも、気を遣って笑うだけかもしれない。
そうなると今日一日おかしくなる。
(今は、まずい)
「松前くん来るの早かったね。時間間違えた?」
「……間違えてない。如月さんも早い」
「そだね」
また笑った。
すでに楽しそうな顔をしている。
(いや、言うなら今だ)
息を吸った。
「如月さん」
「ん?」
如月さんがこちらを見て、首を傾げた。
言葉が詰まった。
(なんでこんな難しいんだ)
以前はもっと普通に言えた。
あの時とは違う感情がある、とうっすら思った。
如月さんは急かさず待っている。
「……今日の格好」
如月さんの表情が引きしまった。
もう一度短く息を吐いてから続ける。
「似合ってる」
如月さんがゆっくり瞬きを一回して、それから目を細めた。
「ありがと、嬉しい」
照れているのが分かった。
(……嬉しいのか)
安心したせいで、つい続けてしまう。
「あと可愛い」
如月さんの顔がぼっと赤くなった。
視線が靴先に落ちる。
(今のは言わなきゃよかったか)
如月さんは指先で髪をいじっているが、口元は笑っていた。
「言ってくれないんだと思った後だったから、なんか余計に嬉しい」
「……そうなのか」
「うん」
言ったら変になると思って詰まった言葉が、如月さんにとって嬉しいなら。
(言ってもいいのか)
「さっきオレが挨拶を返せなかったのは」
「うん」
「如月さんが可愛すぎてオレがテンパったからで、無視したかったわけじゃない」
如月さんの動きが止まった。
「んぇ。ぅ、えへへ」
指がカーディガンの袖をつまんで、ぐしゃぐしゃにしている。
表情が崩れて、上擦った変な笑い方が漏れていた。
「髪型もいつもと違う」
「うん。これ、時間かかるから学校にはしていけないけど、今日は特別」
如月さんは照れくさそうに毛先を指に巻きつけている。
ずっとモジモジして、こちらをちらちら盗み見ては目を逸らす。
「もう、なんか変な笑い声出ちゃった」
(如月さん、すぐ照れるな……)
「ま、松前くんもさ。今日の格好、大人っぽくていいね」
「……如月さんが一緒に歩いて恥ずかしくないようにはしたかったけど、いろいろ足りてなかったな」
「いや、あたしは好き」
オレが「そうか」と返そうとする前に、如月さんは目を見開いて
「服が!」
と、慌てて付け加えた。
両手で自分の頬を押さえて、呼吸を整えようとしている。
なにを焦っているのか分からなかった。
オレの格好を褒めて、なぜか如月さんのほうが照れている。
「……じゃあ、歩くか」
そう切り出すと、如月さんは顔を押さえたまま、こくこく頷いた。
◇
歩き始めると如月さんも落ち着きを取り戻し、他愛もない話を振ってくれた。
今日は晴れてよかったとか、駅前に新しいクレープ屋さんができたとか。
たまに「どこで服買ってるの?」みたいに聞いてきて、短く返していれば会話は途切れない。
歩いているだけなのに、如月さんはずっと楽しそうだった。
(如月さんと二人でどこかへ出掛けるなんて、オレがするとは思わなかったな)
みんなが憧れる青春っぽいこと。
そういうのを自分がしているという実感が、今になって湧いてくる。
オレは一度、口を開きかけてやめる。
聞きたいことがあった。
これからカラオケに向かっている以上、確認しておいた方がいいことだ。
けど、自分から話題を振ることに慣れていないせいで、どのタイミングで入ればいいのか分からなかった。
黙ったままでは、何も聞けずに店へ着いてしまう。
今度は思い切って口を開いた。
「如月さんさ。クラス会でカラオケ行ったとき、歌わなかったけど……歌うのあんまり好きじゃない?」
如月さんの表情が固まり、それから恥ずかしそうに言った。
「うーん……実はあんまり上手くな……いや、歌下手なんだよね。できれば人前で歌いたくないの」
カラオケに誘ってきたのは如月さんだ。
なのに本人は歌いたくないと言っている。
(じゃあ今日、何しに行くんだ。それだと如月さんは楽しくないだろ)
如月さんが無理にこちらへ合わせているなら、それは違う。
「今日、カラオケでよかったのか?」
「うん、歌ってる松前くんが見たいんだよね。なんかあの時ほんとにカッコよかったし」
言い終わってから、はっとしたように顔を赤くした。
小さく笑ってごまかしている。
「普通のカラオケで、あんな一瞬で聴く空気にさせるってすごいじゃない?」
「いや、買いかぶりすぎ」
「でも実際にそうだったじゃん。歌に対しては自信もっていいと思う」
「歌は、好きだけど。オレみたいなやつの聴きたいとか言うの、変だと思う」
その言葉に、如月さんが渋い顔になった。
「いまあたしのこと変って言った?」
「……言った。上手い歌が聴きたいなら本家を聴けばいい」
如月さんはむっとしてこちらを睨み、ため息をついた。
「分かってないなぁ。同じ曲でも、誰が歌うかで全然違うの。カバーされた曲の方が好きって人いるじゃん」
「……まぁ、悪い気はしないけど」




