29話 お礼のカラオケ、君に届ける歌とオレに届く歌①
机の上に参考書は開かれているが、内容は頭に入ってこなかった。
ノートの端をシャーペンでコツコツと叩く。
スマホが震えた。
びくりと肩が跳ねる。
見る前から分かっていた。
オレには交友関係がほとんどなく、連絡先を知っているのは如月さんくらいだ。
スマホを開くと、画面には《LISA》の名前。
『この前はありがとね。助かった』
読んですぐ、次のメッセージが届いた。
『お礼したいんだけど、今度カラオケ奢りとかどう?』
(カラオケ)
頭の中に、余計な未来が浮かぶ。
如月さんとカラオケ。
個室で二人きり、密室で沈黙。
(無理だ、断ろう)
指が動かなかった。
断るのは惜しいとか、行きたいとかいう気持ちはある。
むしろ、嬉しい。
なのに、考えるのは失敗することばかりだ。
行きたい。
でも怖い。
(どっちだよ)
そのとき、もう一通届いた。
『ダメかな?』
その言葉で、少しだけ軽くなる。
(嫌ではない……)
断るのは変に思えてきて、もう一度考え直した。
如月さんといて、気まずい沈黙はほとんどない。
きっと大丈夫なんじゃないか、という期待が混ざってきた。
(これ、行ってもいいのか)
誰かと二人で遊びに行くという経験が、オレにはほとんどない。
だから怖い。
でも如月さんなら平気かもしれないという理屈が勝った。
(行く)
が、指は止まったままだ。
(どう書けばいいんだ)
既読はついたまま、如月さんは返信を待っている。
『行こう』
違う、打って消す。
『いいよ』
軽い、消す。
いつも通りにするだけだ。
そう決めて指を動かし、送信した。
『いい』
(いや、二文字って……)
でも送信済みだ。
画面の既読マークを見つめていると、すぐに返信が来た。
『ほんと!?やったー!』
『じゃあ土曜日とかどう?』
肩の力が抜けた。
(……普通に返ってきた)
こっちはたった二文字しか送っていないのに、如月さんはそんなことを気にした様子もない。
さっきまでの不安が遠くなった。
今度は指の動きが軽い。
『土曜日でいい』
送信して、スマホを机に置いた。
(本当に行くのか)
そう考えた途端、土曜日の光景が浮かんだ。
駅で待ち合わせて、如月さんと合流する。
如月さんが笑っていて、それに合わせて自然に返せている。
そんな自分はありえないと分かっているのに、場面は勝手に進んでいく。
夕方の光が眩しい帰り道。
如月さんが歩みを止めて振り返る。
『また来ようね』
如月さんがそう言った。
喉の奥が詰まる。
(……何言えばいいんだ、これ)
現実の自分ならそこで黙る。
でも妄想の中では違っていた。
『ああ、また来るか』
如月さんが嬉しそうに小さく笑って、距離が縮まる。
夕陽の中で、お互いの顔が近づいて――
(いやいやいや)
一気に現実へ引き戻された。
(ないないない。なに考えてんだ)
そんなのありえない、と妄想はかき消された。
思わずため息が出る。
だけど、土曜日の約束は現実だ。
スマホの中には、その約束が予定として残っていた。
◇
あたしはベッドの上でぎゅっとスマホを握っていた。
画面には松前くんとのやり取り。
『いい』
その短い返事を、何回見ても顔がゆるむ。
「……いい、だってー」
声に出した瞬間、嬉しさがじわっと込み上げてくる。
枕に顔を埋めて、足をばたばたさせた。
「ほんとに行けるー」
今までも一緒に帰ったりどこかへ寄ったりはしてきた。
でもそれは偶然とかついでとか、そういう流れだった。
もちろんそれも嬉しかったし、隣にいられるだけで楽しい。
けれど今回は違う。
LINEで、自分から。
日にちを決めて、二人で行く約束をした。
「デートだ」
ぽつりと声が出た。
ただ遊びに誘っただけ、そう言えばそれまでだ。
お礼という理由もある。
この前かばってもらったから、そのお返し。
そういう形なら誘いやすいし、松前くんも受け取りやすいと思った。
その名目があったから送れた。
「お礼、便利すぎ……」
スマホを胸元に引き寄せた。
ずるい誘い方かもしれない。
でも完全なウソではない。
助かったのは本当だし、お礼したいのも本当だ。
ただ、そのお礼に選んだのがカラオケ。
二人きりで行きたかった場所。
「あー、楽しみ」
声が勝手に弾んでいた。
頬が熱い。
スマホを見直すたびに、土曜日という文字がちゃんと予定になっている。
ただのカラオケ。
お礼。
そういう顔をしながら行こう。
(あたしはデートのつもりだけどね!)
◇ ◇ ◇
土曜日の朝、カーテンの隙間から差し込む光が、部屋の床に細い帯を作っていた。
その光をぼんやり見ながら目を覚ます。
いつもより起きる時間が早いことに気づいた。
(今日、如月さんと……)
まだ半分眠っている頭に、まっさきに浮かんだのはそれだった。
すぐに切り替えるように、布団の中で小さくため息をつく。
(なんでだ……ただのカラオケだ)
そう言い聞かせて身体を起こしたが、落ち着かないままだ。
立ち上がって、真っ先に向かったのはクローゼットの前だ。
いつも通りでいい。
そう思っていつものTシャツに手を伸ばした。
(如月さんの隣を歩くんだよな)
取る前に手が止まった。
見栄を張りたいわけじゃない。
おしゃれを頑張りました、という空気は出したくない。
でも、モデルの如月さんが隣にいるのに、自分だけ完全に普段着だと、通行人の視線が「なんで?」になる。
いつもなら、他人なんて誰も自分を見ていない。
けど、如月さんは見られる。
その隣にいる自分も、ついでに視界に入る。
結局、少しだけましに見えるシャツに、お気に入りのパーカーを合わせた。
鏡を見て、まあこんなもんだろうと思う。
これ以上はどうしようもない。
◇
「うーん、スカート短すぎかなぁ」
あたしは鏡の前で、スカートの裾を少し下へ引っ張る。
今度はくるりと回ってみた。
「これでいいよね?」
首をかしげて、もう一度鏡を覗き込んだ。
時間をかけたメイクは、派手すぎずナチュラルに仕上げた。
(……可愛いよね?)
自分に問いかけて、すぐに首を振った。
「いやダメだ。髪は編み込みにしよう。時間かかるけど、そっちの方が可愛い」
悩んでいる時間まで、もう楽しさの一部になっていた。
「派手すぎず……地味すぎず……女の子らしく、大人っぽく……」
鏡の前で髪をまとめ直しながら、ぶつぶつと独り言を続ける。
そのたびに、少しずつ見せたい自分が整っていく。
「完璧じゃーん」
満足げに笑った。
でも次の瞬間には、鏡の中の自分の表情がふっと変わった。
(緊張してきた……でも、すごい楽しみ)
落ち着かなくて、その場で足踏みする。
今日はただのカラオケじゃない。
デートだ!




