02話 新学期、如月さんの誘い②
「松前くん」
耳元で名前を呼ばれて、オレは肩をびくっと揺らした。
慌てて片耳のイヤホンを外す。
「えっ……なに」
声が裏返る。
視線が合った瞬間、すぐにそらした。
(げ、如月理沙だ……! なんでオレなんかに話しかけてくるんだ)
すぐそらしたつもりなのに、情報が頭に残ってしまう。
顔の輪郭、目元、長いまつげ、白い肌。
どのパーツもきれいすぎて、作り物みたいに見えた。
(……ほんとに顔ととのいすぎだろ、CGかよ)
しかも、声も可愛い。
「松前くん」って呼び方が、耳へやわらかく落ちてきた。
(落ち着け、勝手に保存するな)
視線をあわせるのが怖い。
でもずっとそらしているのも不自然で、なんとか相手のほうを見る。
目線はさっきより下へずれた。
そのせいで、今度は別のものが目に入る。
白いシャツごしの胸のふくらみ。
きゅっとしまった細い腰。
座っているオレからは、かなり近い距離にある。
(いや、どこ見てんだこれ)
見ようとしたわけじゃない。
視界にはいっただけだ。
(スタイル良すぎだろ……いや、見るな)
ちらっと見ただけでこれだ。
顔はまだ近い。
オレは手元のコードを意味もなく指でいじっていた。
如月さんは少し間をおいて、まっすぐこっちを見たまま言う。
「驚かせてごめんね。いまさ、クラスのみんなでカラオケ行こうって話してて」
「……あ、うん」
とりあえず、返事だけはする。
なにを話せばいいのかわからない。
「一緒に行こ?」
「無理です」
即答だった。
如月さんは、かまわず続ける。
「歌わなくていいからさ、聴くだけでも」
「……いや。そういう場所、ほんとに苦手で」
なんとか言葉を選んだつもりだった。
だけど、たぶん言いかたがきつい。
緊張のせいで声がかたい。
完全にやらかしたとわかる。
気まずくなって、目をふせた。
そのせいで今度は、細い腰から続く丸いラインと、しなやかな太ももが視界に入ってくる。
(だから見るなって)
伏せた視線の先に入ってくるのだから、逃げ場がない。
顔をあげられないまま、短い沈黙がおちる。
クラスの中心にいるような人に、感じ悪く拒否。
その事実が重い。
(べつに、いいだろ。どうせ関わらない人間だ)
そのとき、如月さんが小さく言った。
「そっかー」
オレは顔をあげかけて、やめた。
わずかに違和感があった。
「ごめんね、急に誘って」
声は明るいのに、作られた軽さがある。
「……いや」
オレは短く返す。
続く言葉が出てこない。
「またね、松前くん」
軽く手をふる気配だけ残して、如月さんは元いた人の輪へ戻っていった。
オレはしばらく動けなかった。
(……なんか、傷つけたな。……いま)
イヤホンを持ったまま、視線だけを如月さんのほうへ動かす。
もう輪の中で普通に笑っていた。
さっきのことなんてなかったみたいに。
カラオケの話がまだ続いているらしい。
(……勘違いか)
それなら、べつにいい。
オレはゆっくり視線を戻す。
でも。
オレが断ったことで気まずくならないように、あの子がわざと明るく返してきたのは、確かだ。
自分の気持ちより、空気が重くならないことを優先した。
(そういうふうに、できるのか……)
自分とは正反対。
おそらく本当に、もう関わらない。
オレはイヤホンを耳に押しこんだ。
◇ ◇ ◇
(カラオケかぁ……)
クラス会の話で盛り上がる声を聞きながら、さっきのやり取りが頭に戻ってくる。
『無理です』
『そういう場所、ほんとに苦手で』
あたしのテンションが、すっと落ちる。
(……来ないのか)
もともとこの提案は、松前くんがくる前提で言い出したものだ。
音楽が好きそうな彼なら、きっと来てくれるだろう。
そういう場なら、自然に距離も縮まるだろう。
なんて、考えかたが甘かった。
(あーあ、行きたくないよー)
窓の外の景色を見るふりをして、窓際の席の松前くんを見る。
そしらぬ顔で、いつも通りイヤホンをしていた。
(ねえ……ほんとに来ないんだ)
それを見ていると、悔しい気持ちが出てきた。
(あんな即答で断るなんて……)
もう一度、思い出す。
『無理です』
迷う余地なんてなかったみたいな速さ。
(ちょっとくらい悩んでくれたっていいじゃん)
軽く頬をふくらませる。
(あたしが言い出したから、行かなきゃいけなくなったじゃん)
そんなことを思ってしまう自分に気づいて焦った。
(いやいやいや、なに人のせいにしてんの)
ふかい息を吐いて、椅子にもたれる。
諦めるのは簡単だ。
だけど、後悔すると思う。
ふたたび、松前くんのほうへ視線を向ける。
スマホを見ている横顔。
(この機会を逃したら……もう話す理由、なくなるかもしれない)
クラスメイトとしての距離はある。
でも、それ以上に近づくきっかけは、きっと少ない。
席は隣じゃないし、共通のグループもない。
自然に話しかける理由なんて、いくつもあるわけじゃない。
だったらいっそ。
(多少は強引でも、いま誘った方がいい!)
◇
イヤホンから音楽は流れているのに、頭の中は落ち着かなかった。
さっきあの子に話しかけられた余韻が、まだ残っている。
クラスの中でも目立つ、綺麗な子。
話しかける側ではなく、話しかけられる側の人間。
(どうせもう関わらない……)
そうやって、無理やり頭の中で区切りをつけたはずだった。
さっき見た整いすぎた顔が、やけに残像みたいに浮かぶ。
そのとき、視界に影が入る。
顔をあげると、いまもう関わらない側の存在として処理した人物が、目の前にいる。
(なんでまた来るんだよ……)
心臓が変な音を立てて、目を逸らすタイミングが遅れる。
「ねえ、松前くん」
近い距離で名前を呼ばれる。
真正面。
今度はさっきより視線が逃がしづらい。
如月さんはまっすぐこっちを見ていた。
目が合いそうになって、すぐに机の端へ目をやる。
目を伏せても、距離が近い。
視界のどこかには、如月さんが入る。
ぎこちない動きでイヤホンを外した。
「……なに」
できるだけ普通に返したつもりだった。
けど、自分の声がかたいのが分かる。
(今の返しは感じ悪すぎだろ……)
オレのせいで、また空気が重くなった気がする。
「もう一回だけ誘うんだけど、クラスのカラオケ」
なんでオレなんだ。
一人くらいいなくてもいいだろ。
「……無理って言った」
頭がまわっていない。
如月さんは普通にしているのに、不愛想な返しになっている。
「可愛い」とか余計な感情を隠そうとして、冷たい態度になっている自覚がある。
自分で自分の返し方が気に入らない。
(なんでこうなる)
如月さんは、一歩も引かなかった。
「絶対に楽しませるから」
なんでそんなこと言い切れるんだ。
自分は歌わないし、そういう場所は得意じゃない。
それなのに、『絶対』なんて言葉が出てくる。
教室の向こうでは、まだクラス会の話が続いていた。
何人かが、こっちをちらちら見ている。
如月さんがここへ来た時点で、たぶん結果を待たれているんだろう。
「あのー……松前くん来ないと、意味ないっていうかー」
さっきよりずっと小さい声だった。
その言いづらさに、別の意味があると気づいた。
(ああ、そういうことか)
人数の問題だ。
全員で行くかたちにしたかったのに、オレが断った。
誰かが「如月さんが誘えば断らない」って前提でやらせている。
あるいは、如月さん本人もそれを狙ったうえで来ている。
オレがどうこうじゃない。
ただの人数調整、空いた枠を埋めるためだ。
《よく分からない誘い》から、《仕組まれた誘い》だとわかると、妙に落ち着いた。
「……じゃあ、顔だけ出す」
如月さんは一瞬だけ目を輝かせたようにして、それから小さく笑った。
「やった、いいよ。来てくれるだけで十分だから」
来てくれるだけで。
その一言で、《人数合わせ説》がさらに強くなる。
「場所、決まったら教えるね」
「……ああ」
短く返す。
そこで会話は終わったはずなのに、如月さんはすぐには戻らなかった。
「あの、無理言ってごめんね」
さっきまでとは、どこか違う声だった。
(……謝る必要あるか? 調整枠の相手に)
「いや……別に」
「じゃあ、あとでね」
また少し笑って、席のほうへ戻っていく。
その背中を見ながら、イヤホンを指でいじった。
如月さんの声は、さっきよりはずんでいた。
予定通りおさまったんだから、当然か。
そのとき、如月さんが振り返って、目が合う。
小さく手を振ってくる。
ほっとしたのか、表情がやわらかい。
嬉しそうな顔。
(悪い子じゃないんだけど……)
人数合わせに使われた側としては、引っかかりが残ってもおかしくないはずなのに。
それでも、その笑顔を見ていると、文句を言う気になれなかった。
◇ ◇ ◇
放課後、教室の声はすっかり帰宅ムードになる。
オレはいつも通り窓際の席にいた。
片耳にイヤホン、スマホを眺めるふり。
(あの子……結局、場所教えに来なかった)
別に待っていたわけじゃない。
そういうことにしておきたい。
教えると言ったのは向こうだ。
こっちから聞きに行ったら、待っていたことになる。
場所はとっくに決まっているはずだ。
それを伝えるだけなら、わざわざ後回しにする必要もない。
忘れられているのか。
それとも、最初からその程度だったのか。
(……からかわれたってことか)
そう思った瞬間、少しだけ腹が立った。
呼びに来るかもしれない。
場所を教えに来るかもしれない。
そんな可能性を、勝手に残していた自分にだ。
(ノリ気じゃなかったくせに、なにを期待してんだ)
そう思いながら、HRが終わってもすぐには席を立てなかった。
落ち着かないまま、椅子に座り続ける。
(まだか……いや、まだかってなんだ)
来ないならそのまま帰ればいい。
(……帰るか)
そう決めて立ち上がった。
そのとき。
「松前くん」
横から名前を呼ばれた。
椅子に手をかけたまま、肩がびくっとした。
如月さんがオレの横に立って、軽く首をかしげる。
「……な、なに」
「準備できたー?」
「準備って……あとで場所教えるって言ってたけど」
言ってから、待っていたみたいな返事だと気づく。
実際、待っていた。
如月さんは気にした様子もなく、当然みたいに言う。
「うん、だから迎えに来たよ。あたしが案内するから」
(……は?)
店の名前とか。
集合時間とか。
地図の場所とか。
そういうものを言われると思っていた。
「……いや、案内って」
「松前くん、場所わからないと困るでしょ?」
スマホで調べれば分かる。
大勢でぞろぞろ歩くのは昔から苦手だ。
気をつかう時間なんて最高に面倒だし、できるなら避けたい。
でも、如月さんにここまで自然に言われると、断るタイミングが見つからなかった。
「ほら行こ」
如月さんはすでに鞄を持っていた。
いつでも行ける状態だ。
「みんなには先に行っててもらってるから」
その言葉で、思考が止まる。
(……あれ)
みんなには。
先に。
まわりを見ると、教室に残っているのは、オレと如月さんだけになっていた。
(……これ、二人で行くやつか?)




