01話 新学期、如月さんの誘い①
新学期の朝、昇降口を抜けた廊下にはクラス分けの紙が貼り出されていた。
その前には人だかりができていて、全体がざわついている。
オレは自分のクラスを確認すると、その騒ぎの端を黙って通り過ぎた。
「如月さんはA組だって」
「マジで? ずる」
「可愛いよなー、リサちゃん」
「あーあ、期待してたのになー」
イヤホンをしていても拾えるくらい、声が勝手に耳へ入ってくる。
(如月理沙……)
名前だけ、頭にひっかかる。
聞いたことはある。
読者モデルだとか、なんとか。
校内でも普通に名前が通るタイプのやつ。
(有名人か……)
それ以上は、とくに何も残らなかった。
興味がないわけじゃない。
ただ、自分の生活圏とは別の話、というだけだ。
オレは掲示板の前を抜け、A組の教室へむかう。
◇
教室について席に座る。
しばらくすると、近くでまた同じ名前があがった。
「本当に人形みたいな顔してるな」
「分かる、あれ現実かよって感じ」
「彼氏とかいんのかな」
「そりゃあ。あの顔とスタイルなら、男なんて選び放題だろ?」
「声かけてみる?」
「やめとけよ」
オレは耳元のコードを指でいじりながら、ぼんやりそれを聞いていた。
(……ついていけないな)
べつに嫌悪感があるわけではない。
しかし、きっと会話の方向が、自分とはかみ合わないだろう。
本人をよく知っているわけでもないのに、みんなそれぞれ勝手なイメージを作って遊んでいる感じ。
その流れのまま、ふいに話がふられる。
「松前はどう思う?」
視線が一瞬だけ集まる。
オレは間をおいて、短く答えた。
「……よく知らない」
正直に、それだけ返す。
場の空気が固まる。
「あー、まあそうか」
「興味ないタイプ?」
(……ほらな)
求められてたのは、そういう返しじゃない。
分かってはいるけど、合わせる気にもならない。
ふと視線をあげると、教室の奥に人の輪があった。
(……あれか)
人が集まっている中央に、如月理沙がいた。
遠くからでも分かるくらい、存在感がある。
長い髪を耳にかけながら笑った横顔だけで、まわりの視線がその子へ向けられる。
表情がよく動いて、教室の空気が明るくなったように見えた。
(そりゃ有名にもなるか)
そう思って、終わるはずだった。
一度目に入ると、ほかのところも見てしまう。
立ち姿のバランスがまわりと違う。
腰の位置が高くて、足が長い。
細いのに、柔らかそうなところだけはちゃんと目立つ。
(いや、見すぎだろ)
視線をはずそうとしたところで、如月さんが友達のほうへ身体を向けた。
その瞬間、胸がほんの少し揺れて、オレの思考がとまる。
(……揺れたな、いま)
見ようとしたわけじゃない。
目にはいった。
そんな言い訳をしてる時点で、だいぶ終わってる。
オレは机の上へ目を向けた。
なのに、数秒もしないうちに視界のはしにまた如月さんが入ってくる。
笑って、髪をはらって、頬へ指をあてて。
なにか特別なことをしているわけでもないのに、動くたびに目をひく。
(可愛いっていうより……美しい、のほうが近い)
そんなことを、ぼんやり考える。
(まあ、関わることなんてないだろう)
クラスにいる《目立つがわ》の一人。
それだけだ。
オレは視線をスマホに戻し、耳にイヤホンを戻す。
音楽を流すと、まわりの声が遠くなる。
(関係ない……)
そうやって、新学期の時間はゆっくり過ぎていった。
◇ ◇
新しいクラスの声は、まだちょっと探り探りだった。
去年から知っている人。
名前だけは聞いたことがある人。
顔はわかるけれど、まだ話したことはない人。
それが混ざって、教室の空気はまだふわふわしていた。
そのなかでも、あたしは少しだけ扱いが違うらしい。
読者モデルっていう肩書きだけが、勝手にひとり歩きしてる感じ。
話したことがあるかどうかは関係なく、もう距離を決められてしまっている。
今日も慣れた表情をつくって、人の輪のなかに自然に混ざっていた。
けれど。
あたしの意識はずっとべつのところにあった。
教室の窓際の席。
松前くんは、イヤホンをつけたままスマホを見ていた。
話しかけられれば短く返すけど、自分から輪の中へ入る気配はない。
あたしはその横顔を、何度もちらちら見てしまう。
(やった、同じクラスだ)
顔がにやけそうになって、あわてて手で隠した。
クラスが変わった初日なのに、松前くんの表情はすこしも動かない。
普通は教室の雰囲気くらい確認するものだと思うけど、松前くんは最初からそういう流れに合わせない。
嫌いじゃない。
むしろ。
(かっこいいなぁ)
あたしはいつも、まわりの空気を読んでいる。
笑うタイミング。
のるタイミング。
流すタイミング。
やりすぎて、疲れる日もある。
でも松前くんは、そういうものに興味なさそう。
(なんの音楽聴いてるのかな)
教室のざわめきの中で、松前くんのまわりだけ、べつの時間が流れているみたいだった。
◇
中休みになると、教室のざわつきはさらに大きくなっていた。
「なあ、このあとみんなでどっか行かね?」
「せっかくだし、クラスで交流ある方がいいよな」
「せっかく同じクラスなんだしさ」
「最初くらい全員で行った方がいいって」
一見すると、《みんな》のための提案。
「クラスで」「全員で」という言葉を先に出すことで、逃げ道をふさいでくるような言葉の選びかただった。
でもそこから視線はさりげなく、あたしへ流れてきた。
「如月さんも来るでしょ?」
「こういうのって最初が大事じゃん」
「いいねそれ」
「どこ行く?」
断りにくい方向へ、じわじわ寄っていく。
あたしはその流れを確認してから、口を挟んだ。
「カラオケとかどう?」
ほんの一瞬、場が止まる。
用意していた流れが、そこで途切れた。
「え、いいじゃんそれ!」
「カラオケあり」
あわててのる空気のうらで、小さく混ざる声があった。
「如月さんって普通に来るの?」
「こういうの断るって聞いたけど」
あたしを断らせないために作られた前提が、そこで必要なくなったみたいだ。
そのあとは、賛成する声がすぐに続いた。
「俺も行く行く!」
「如月さんが行くなら俺も」
軸がかたまった。
(うまくいった)
そう思って、苦笑いする。
(いや、さすがにずるいかな)
窓際へ目をやる。
松前くんは、相変わらずイヤホンをつけたままだ。
(いっつも音楽聴いてるし、カラオケなら来てくれる)
カラオケを提案したのは、もちろんそのためだった。
「クラス全員で行く」という口実があれば、自然に誘える。
去年の夏からずっと、お礼を言えていない。
もどかしかった。
2年生になって同じクラスになれたのは、本当に運がいい。
このチャンスを、ただのクラスメイトのまま終わらせるわけにはいかない。
(いっぱい話したい)
と思った自分に、ちょっとおどろいた。
一度だけ深呼吸をして、立ち上がる。
「ちょっと誘ってくるね」
軽く言って、教室のざわめきを抜ける。
足早に、松前くんの方へ。
数人が小さく反応したのが聞こえた。
(うわー、緊張するなぁ)
松前くんは、同じ姿勢のまま音楽を聴いている。
近づいても気づかない。
少し迷ってから、声をかけた。
「ねえ、松前くん」
イヤホンをしているせいで、反応がない。
あたしはぐっと顔を寄せて、耳元でもう一度呼んだ。
「松前くん」




