27話 平日の午後、お邪魔してます④
『初めて』
松前くんのその言葉が、思ったより深く刺さった。
女の子に料理を作ってもらうのが初めて。
その一回目が、あたしのオムライス。
嬉しい。
嬉しいけど、同時に焦る。
もっとちゃんと準備しておけばよかった。
もっと見た目のいいものにすればよかった。
初めてなら、印象に残るものを出したかった。
ただのオムライス。
いや、ちゃんと作ったけど。
「ごめんね、初めてなのにオムライスとか。今度はもっと豪勢にするからね」
言いながら頭の中がぐるぐるしていた。
サラダくらい付ければよかった。
スープもあった方がよかった。
食後に甘いものくらい用意して。
男の子が好きそうなもの、肉じゃがとかグラタンとかビーフシチューなら、しっかりした感じが出た気もする。
そんで、ちゃんとおかわりできるようにして。
そこまで考えた瞬間、勝手に浮かんでしまった。
『……おかわり、いいか』
頭の中の松前くんが妙に解像度高くそう言った。
視線を泳がせて、でもお皿はしっかり差し出して、声だけはいつも通り低くて。
(……っ)
顔が熱くなった。
(なにそれ、無理)
口元を押さえそうになる。
そんなの言われたらたぶん普通の顔でいられない。
嬉しすぎて絶対に変な声が出る。
なんならお鍋ごと持ってきてしまうかもしれない。
ついでに明日の分まで作りそうになる。
(だめだ、想像だけでやばい)
現実の松前くんは、ちらっとだけこちらへ目を向けた。
それから、
「如月さんが作るなら、別に豪勢じゃなくていい」
ぼそっと言う。
なんてことない一言みたいに。
豪勢じゃなくていい。
如月さんが作るなら。
(待って待って待って)
絶対にそういう意味じゃない。
松前くんは、お金かけなくていいって言っただけ。
気をつかって言っただけ。
でも。
(それでも、その言い方はだめでしょ……?!)
主語が料理じゃなくて、あたしになってる!
あたしが作ったものなら何でもいい、って言ってるのと一緒。
あたし自身を選んだ言い方になってる。
それって『これからも、如月さんに作ってほしい』って、そう聞こえる。
そんな、告白の一歩手前みたいな。
(いやいやいや、ないないない)
あたしが期待と否定を繰り返していると、松前くんは残りのオムライスを食べきって、スプーンを置いた。
「……ごちそうさま」
「お粗末さまでした」
松前くんはグラスのお茶を飲み干してから、静かに立ち上がる。
(……帰るんだ)
気分が少しだけ沈む。
今日はご飯に誘っただけ。
家に来てもらって、食べてもらって、それで終わり。
当然、引き止める理由なんて、別にない。
あたしもすっと立ち上がった。
(あれ?)
松前くんの視線は玄関のほうではなく、家の奥へ向いていた。
リビング。
廊下。
階段。
何かを探しているように見えたけど、それが何なのか、あたしには分からなかった。
「松前くん?」
呼ぶと、松前くんは視線だけこちらへ向ける。
言いづらそうに間を置いてから口をひらいた。
「如月さん、親がニューヨークにいるって言ってたけど」
「うん?」
「……二人とも?」
その聞き方で気づいた。
松前くんは、前から察していたんだろう。
あたしは軽く首を振る。
「ママだけ。パパは、小学校のころに亡くなってるから」
松前くんの眉がかすかに下がる。
困ったときの顔だけど、あたしに対してじゃなくて、自分のさっきの質問に対してだと思う。
(でも、なんで急にそんな話?)
誰かに話すたび、相手は決まって『大変だったね』とか、『可哀想に』とか、そんな言葉をかけてくる。
だからあたしも、空気を沈ませないよう笑って流すことに慣れていた。
笑顔をつくる準備はできている。
でも松前くんは、そういうことを言わなかった。
かわりに、もう一度だけ廊下の奥へ視線を向ける。
松前くんが静かに聞く。
「手を合わせる場所ある?」
そのとき、さっき探していたものが分かった。
松前くんは、少しだけ間を置いたあと、
「この家で飯、食わせてもらったから……家の人に、挨拶くらいは」
そう言って、あたしを見る。
(家の人に……)
この家にはまだ、挨拶する相手がいる。
パパの話を、《可哀想な過去》みたいに扱わなかった。
そのことが、重く胸へ残る。
手元に目を落として、早口で言った。
「こ、こっち」
松前くんは何も言わず、あたしの後ろをついてきた。
◇ ◇
廊下の奥の部屋、如月さんが静かに扉を開けた。
綺麗に整えられた仏壇。
如月さんが手入れしているのが分かる。
埃ひとつない。
仏壇の写真立てには男の人の写真。
(……若い)
やわらかい目元が、如月さんに似ていた。
如月さんは仏壇の前へ座ると、慣れた手つきで小さなロウソクを取り出した。
カチ、とライターの火が揺れてロウソクの芯へ移る。
「……どうぞ」
身体をずらしてオレの場所を空けてくれた。
静かに座って、線香を立てて手を合わせた。
細く上がっていく煙が、ゆっくり天井へ消えていく。
目を閉じて、少しだけ頭を下げた。
(……お邪魔してます)
こういうの、慣れているわけじゃない。
何を言うのが正しいのかも分からなかった。
(娘さんと同じクラスの、松前っていいます。今日は、ご飯食べさせてもらいました)
ふと視線を隣に座っている如月さんへ向ける。
如月さんは気づかないまま、仏壇のほうを真っすぐ見ていた。
(あなたは、見てないんですよね。この子が料理してるところ。どれだけしっかりしてるか)
一人でも平気そうに笑う。
寂しいとか、不安とか、そういうのを前へ出さない。
でも実際は、たぶんずっと頑張っている。
小学校のころに亡くなったなら、この人は今の如月さんを知らない。
知らないままなのは、なんとなくもったいない。
(……ちゃんと育ってます。頑張ってるし、料理も、美味かったです)
大丈夫です、と。
娘さんは、ちゃんとやってます。
安心させたい感覚に近かった。
(あなたが見れなかった今を、オレは見てます)
そこまで考えたところで、小さく目を伏せた。
なんでこんなことを考えているのか、自分でもよく分からなかった。
静かに手を下ろした。
畳へ軽く目を落とし、小さく頭を下げる。
◇ ◇
あたしは、ぼんやり松前くんの横顔を見た。
線香の香りの中で見る姿は、いつもよりもっと大人びて見える。
今まで、パパの話をすると相手は決まって同じことを言う。
『大変だったね』
『寂しかったでしょ』
あたしはいつも平気そうな顔をして、『もう慣れてるから』と笑って流す。
気をつかわれるたびに、逆に相手に気をつかう時間になっていた。
でも松前くんは違った。
変に優しくしない。
かわいそうな顔もしない。
慰めるみたいな言葉もない。
ただ静かに、あたしの隣で手を合わせてくれた。
《亡くなった人》としてではなく、《あたしのパパ》として、今もこの家にいる人として扱っている。
しかも本人は、それを特別なことだと思っていない。
広い家の静けさの中で、自分だけが抱えていたものを、少しだけ共有された気がした。
鼻の奥がじわっとした。
泣きたくなるほどじゃない。
でも近かった。
松前くんが立ち上がって、仏壇へもう一度だけ軽く会釈した。
その姿を見て、胸の奥がまたぎゅっとする。
(パパに、ちゃんと届いた)
あたしも、小さく笑ってから立ち上がった。
「ありがと」
「……別に」
短い返事。
でも、声がいつもより柔らかい。
ロウソクの火を消す。
「戻ろっか」
いつも一人で手を合わせていた場所へ、今日は松前くんがいた。
そのことが、あたしの中でずっと残った。




