25話 平日の午後、お邪魔してます②
放課後。
昇降口で待っていた如月さんが、笑顔で手を振った。
約束どおり、これから二人で飯を食いに行く。
(如月さんうまい店知ってそうだし、楽しみだな)
オレの中では、その程度の認識で止まっていた。
「じゃ、行こっか」
窓のガラスごしに差し込むオレンジ色の光を受けて、如月さんの長い髪はやわらかく透けている。
まわりの男子がちらちら見ているのに、本人はまるで興味がないように歩き出した。
オレは、昼のときよりも自然に、その横へ並ぶ。
駅の方へ向かう流れに、違和感はなかった。
(……店行くならこの辺か)
しかし、駅を通り過ぎても如月さんは止まらなかった。
さらに住宅街へ入っていき、人通りも減って、店らしきものは見えなくなってきた。
さすがに声をかける。
「どこ行くんだ」
「もうちょっと」
(……なんだそれ)
答えになっていない。
そのまま歩くこと数分、如月さんが足を止めた。
「ここ」
「……は?」
視線を上げると、思わず声が漏れた。
一目で分かる豪邸だった。
広い敷地に高い門、奥まで続く石畳、お城みたいな建物。
思考が追いつかなかった。
「……いや、待て。ここ、如月さんの家?」
「うん、そうだよ」
あっさり頷いた。
「夕飯食べよ」
反射的に一歩下がった。
「いやいやいやいや、聞いてない」
「言わなかったっけ」
「……無理だろ」
「なにが?」
きょとんとしている。
「なにがじゃなくて」
額に手を当てた。
放課後にご飯へ行く約束をしただけで、場所までは聞いていなかった。
連れてこられた先は、女の子の家。
しかも豪邸。
如月さんが首をかしげて、いたずらっぽく笑いながらゆっくり一歩近づいてきた。
ひとさし指を立てる。
「松前くん、考えてみて。外で食べるより、うちに来た方が誰にも見られないよ」
「……いや、それはそうだけど」
でも、別の問題がある。
オレは目の前の門を見上げて、それから隣の如月さんを見る。
男を家へ入れることの意味くらい、分からないわけじゃないはずだ。
しかも、相手は自分みたいな男で。
もし本当に下心のあるやつだったら、何かされる可能性だってある。
なのに如月さんは、そこを気にした様子がまるでない。
警戒心が薄いのか、それとも。
全部理解した上で、自分をここまで連れてきたか。
そういうふうに受け取られても仕方ない。
変な想像が止まらなかった。
如月さんと二人きりで、ソファに座り、近い距離。
『松前くん、こっちー』
そんなふうに笑いながら、平気で隣を叩く顔まで浮かぶ。
そのまま近づいたら、たぶんまともじゃいられなくなる。
(……やめろ)
頭の中で否定するのに、止まらない。
細い手首なんか簡単に押さえられる。
ソファへ押し倒したらどうなる。
長い髪がクッションへ広がって。
さっきまで笑ってた顔が、一気に近くなる。
こっちを見上げながら、耳まで赤くなって、困ったみたいに唇を噛む。
そんなところまで浮かんだ瞬間、喉の奥が熱くなる。
(……最低だ)
なのに隣の如月さんは何も知らない顔で聞いてくる。
「入んないの?」
本人はそこまで深く考えていない。
考えていないなら、それはそれで危なすぎた。
「男女で、しかも二人きりで家とか。普通に考えて、危ない」
「大丈夫だって、変なことしないよ」
(なんでオレがされる側なんだよ)
「オレがするだろ」
男なんだから。
目の前にこんなのいたら。
如月さんは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「松前くんて、そういうこと言うんだ。ちゃんと男の人だね」
「笑い事じゃ……」
「でもさ、それ言ってる時点で、ブレーキかけてるでしょ。ほんとに下心あるなら、隠せばいいと思わない?」
「……止まれなくなることだって、ある」
如月さんはそこで初めて真面目な顔になった。
「うん、大丈夫」
その言い方があまりにも自然だった。
まるで最初から、そこは疑っていないみたいに。
(信用しすぎだろ……)
止まれなくなる想像まで、もうしていた。
勢いのまま抱き寄せて、逃げ場なくして、細い肩を押さえて。
いつもの笑顔じゃなくて、泣きそうな顔。
困ったみたいに眉をきゅっと下げて、「やだ」って小さく震える声。
(……いや)
胸の奥がすっと冷えた。
無理だ。
そんな顔させるのだけは、たぶん本当に無理だった。
でかいため息をつく。
(よく考えたら、オレにできるわけない)
想像の中ではやけに簡単にできていたが、そんなのは頭の中だけだ。
もし本当に泣かせたらと考えた瞬間、胃のあたりが重くなった。
嫌がる顔を見た時点でたぶん手が止まる。
その場で自己嫌悪だけして終わる。
そもそも如月さんに触れるたびこっちは勝手に緊張しているのに、押し倒すとか無理に決まっていた。
昼休みのときだって、肩が近いだけで心臓がうるさかったし、間接キスひとつであんなに振り回された。
想像の中でだけ一丁前に強引で、現実では如月さんに少し覗き込まれただけで言葉に詰まってる。
(……ダサすぎだろ)
もう一度、ため息をつく。
横で、如月さんがじっとこちらを見ていた。
「親、海外だし。誰もいないの」
一人暮らし。
寂しいに決まっている。
断りづらかった。
「……少しだけなら」
如月さんの顔が一気に明るくなった。
「やったー、こっちだよ」
軽く手招きされた。
嬉しそうにくるっと背を向けて、門の方へ歩き出す。
(……本当に入るのか)
◇ ◇
外観もそうだったが、中に入ると余計に実感するほど、天井は高く廊下はやたらと広い。
「如月さんって、お嬢様だったんだな」
「逆玉の輿狙えるよ」
いつも通りの調子で笑う。
(軽く言うなよ……)
「……狙わないよ」
軽く否定したが、内心はまったく落ち着いていなかった。
「飲み物なにがいい?」
「……なんでもいい」
「適当に座って待っててー」
とりあえずソファに腰を下ろした。
広いリビング。
立派な絵画。
すべてがオレの家とは違いすぎた。
ふと、視線を横にずらす。
ソファの端に淡いピンクの布が見えた。
(……なんだこれ)
何気なく手を伸ばし、手でつかんで持ち上げた。
次の瞬間、思考が止まった。
(……え)
細い紐と小さなレース、細いリボン。
思った以上に小さく、布面積が少ないというか、全体的に頼りないが、明らかに下着だった。
持ったまま完全に固まる。
近くで見ると余計にだめだった。
白い花柄模様のせいで、《如月さんのもの》感が強くなる。
(なんでこんなとこに置いてあるんだ!?)
心の中で叫んだけど声は出ない。
置け。
今すぐ置け。
そう思っているのに、タイミングが完全に消えた。
「お待たせー」
ぱたぱたと、足音が近づいてきた。
振り返る間もなく、如月さんの視線がオレの手元に落ちた。
数秒の沈黙。
二人とも声が出なかった。
如月さんの持っていたグラスが、かたんと揺れた。
それから顔がじわじわ赤くなっていく。
「……それ」
かろうじて出た声が裏返って、続かなかった。
(詰んでるだろこれ)




