24話 平日の午後、お邪魔してます①
四時間目の終わりのチャイムが鳴って、教室全体がふっとゆるんだ。
あちこちで椅子が引かれ、弁当袋を取り出す音が重なる中、オレは席を立った。
一人で購買へ向かおうとした。
後ろから声が飛んでくる。
「松前くんどこいくのー?」
振り返るより先に、如月さんが横まで来ていた。
軽く前屈みになって顔を覗き込んでくる。
長い髪がさらりと肩から流れて、距離が近い。
「……購買」
「そっか、あたしも行こー」
(ついてくるな……)
それをそのまま言う勇気はない。
近くの男子がこっちに視線を向けているのに気づいて、軽くイラついた。
如月さんの隣に男がいるってだけで、まわりは何か特別な関係を想像する。
オレと並んで歩いていたら、また昨日みたいに余計なことを言われる。
追い払いたいわけじゃない。
人目につく場所を一緒に歩かせたくないだけだ。
だから、なるべく柔らかく言う。
「別に、来なくていい」
「え、いくよ?」
如月さんはきょとんとした。
「……目立つから」
「ああー」
如月さんは少し考えて、曖昧な声を漏らした。
納得したような、してないような。
でも次の瞬間には、にこっと笑った。
「じゃあちょっと離れて歩くね」
「……いや、そういうことじゃなくて」
言いかけたところで、如月さんが近づいてきた。
さっきより距離が近い。
「ちゃんと気をつけるから」
遠慮がちな言い方だったけど、引く気配はなかった。
唇をきゅっと閉じたまま、じっとこっちを見上げている。
断ったら、気にするか。
如月さんなら案外けろっと「そっかー」と笑って自分の席へ戻るかもしれない。
でもそのあと、少しだけ静かになるだろう。
笑顔のまま、ちょっとだけ元気なく。
そこまで想像してしまった。
「……仕方ないな」
吐き捨てるように言うと、如月さんの顔がぱっと明るくなった。
「わぁい」
声を弾ませて、へにゃっと笑う。
さっきまで遠慮がちだったくせに、許された途端に全部顔に出ていた。
◇ ◇
購買の前は、すでに人がはけた後で静かだった。
棚には、ぽつぽつとパンが残っているだけで、人気のあるものはなくなっている。
一通り目を走らせて、小さくため息をつく。
(……終わってるな)
本当はおにぎりが良かったけど、ひとつも残っていなかった。
四時間目が長引いたのが痛い。
仕方なく残っているパンへ手を伸ばしかけた時、如月さんが横から棚を覗き込んできた。
距離が近くて、揺れた髪がさらりとオレの腕にかかる。
「パンでいいの?」
「別に、なんでもいいし」
「松前くん、今日はお弁当じゃないの?」
「親が共働きで、あるときとないときがある」
如月さんは「そっか」と、ひとつ頷く。
でも、そのまま終わらなかった。
「言ってくれればあたし作るのに」
「それは、さすがに悪いだろ」
反射的に返した。
(嬉しいけど)
と、真逆の言葉が頭の中に浮かんで、それを押し込める。
如月さんは首をかしげて、頬にかかった髪を細い指で耳へ避けながら言った。
「料理好きだし。一人分だけ詰めると材料余って大変なんだよ」
「そういう問題じゃない。お返し、とか……困る」
うまく否定の形が作れない。
如月さんは楽しそうに笑った。
「じゃあお返しは、あたしと一緒に食べること」
可愛い女子に弁当を作ってもらうお返しが、その可愛い女子と一緒に昼を食べる。
自分にとって都合がよすぎる。
(のっかる側になるのは、違うだろ)
「如月さん」
「はい」
「一方的になにかしてもらうのは、違うと思う」
「ほお」
如月さんは興味深そうに返しながら、続きを待っている。
オレは喉の奥で、一度だけ息を整えてから言った。
「オレに出来ることあったら、それと交換。っていうか……少しは対等でいたい」
最後の一言はかなり小さい。
でも如月さんにはちゃんと届いたらしく、ぱちっと瞬きをしてから、ふっと笑った。
「なにそれ、めっちゃ真面目じゃん」
如月さんは視線を上へ向けてからまたこちらを見た。
わざと悩むみたいに唸ってから、
「んー、でもなぁ。松前くんに出来ることー? 今日、放課後空いてる?」
聞きながら、距離を一歩詰めてきた。
棚に追い詰められ、逃げ場がない。
「……なんで」
「一人でご飯食べるの、寂しいから」
にこっと笑って、甘えるみたいな声。
昨日の『変な噂たっちゃうよ?』という言葉が頭をよぎる。
放課後、一緒にいるところを見られたら、また言われるかもしれない。
でも、今の『寂しいから』は、たぶんごまかしじゃない。
いつもの軽い調子に乗せているけど、本音が確かに混ざっていた。
オレが断ったあと、如月さんが一人でご飯を食べる姿まで想像してしまう。
「放課後あいてる?」
顔を覗き込まれた。
「……まあ」
「やったー」
◇ ◇
教室に戻ると、窓際の席で向かい合った。
如月さんは楽しそうに言う。
「じゃあ今日はお弁当半分こしよ」
「……半分」
「うん、交換ね」
如月さんが弁当箱を開けて、目の前に差し出した。
卵焼き、小さめのハンバーグ、彩りの野菜などが綺麗に並んでいる。
(……うまそう)
如月さんが購買で買った焼きそばパンへ手を伸ばす。
そこで気づいた。
箸が一組しかない。
(……間接キス)
自分が先に使った箸を、そのまま如月さんに使わせるのは違う。
如月さんが使ったあとに、平然と使える気もしない。
(……オレが先に使って、あとで洗えばいい)
そう結論づけて箸へ手を伸ばしかけたとき、
「あむっ」
如月さんが焼きそばパンにそのままかぶりついた。
柔らかいパンが少し沈んで、小さな歯形が残る。
もぐもぐしながら笑う。
「ん、おいし」
(……は?)
普通、半分に千切るとかあるだろ。
なんでそのままいった。
如月さんはオレの視線に気づき、はっとしたように目を丸くした。
「あ、ごめん。先に食べちゃった」
(気づいたなら、まあいい)
「はい、あーん」
自分がかじった跡をそのまま差し出してきた。
オレの視線がそこへ落ちる。
さっき、如月さんが口をつけた場所。
小さく残った歯形。
(……いや無理だろ)
でも、ここで変に拒否したら、空気がおかしくなる。
如月さんはたぶん何も考えていない。
ただ半分こしているだけだ。
それなのに、自分だけが意識してるみたいになるのが嫌だった。
まして、《汚いって思われた》みたいに受け取られるのだけは避けたい。
「松前くん?」
不思議そうに覗き込んでくる。
息を止めたまま、焼きそばパンへ口を近づけた。
変にずらしたら余計に意識していることがバレる。
結局そのまま大きくかぶりついた。
同じ場所だ。
如月さんがそれを見て、満足そうにふにゃっと笑う。
「間接キスだー」
「……は?」
如月さんは焼きそばパンを持ったまま、にこにこしている。
「えー、いま気づいたの?」
「……わざとやったのか?」
「んー?」
わざとらしく首をかしげる。
知っててやってる。
如月さんは全然気にした様子もなく、今度は
「あむっ」
オレがかじった場所へそのまま口をつけた。
オレの肩がびくっと揺れた。
如月さんはその反応を見て目を細める。
「べつに平気だったでしょ?」
如月さんは焼きそばパンを持ったまま笑っている。
「一度、距離あけちゃうとさ。元に戻すのって大変じゃん。でも一回近づいちゃえば、離れるのも難しいよね」
さらっと言うが、声は真面目だった。
パンを持ち上げて、またオレの方へ差し出してくる。
「もう離れて歩かなくてもいいでしょ?」
一回やったから。
同じパンをかじって、間接キスまでして。
そこまで行ったあとで、今さら距離を取るほうが変になる。
たぶん、そういうふうに考えている。
如月さんは、勘違いしている。
『来なくていい』と言ったのは、如月さんといるのが嫌だからじゃない。
如月さんが陰キャをもてあそんでる女みたいに思われるのを避けたかっただけだ。
オレは昔から人付き合いが得意じゃなかった。
誰かと話すだけで間が分からなくなって、変な返しをして相手を困らせることも多い。
でも如月さんといる時だけは、そこをほとんど気にしなくてよかった。
返事に詰まっても待ってくれる。
黙ったら勝手に話を繋げてくれる。
変なことを言っても引いた顔をしない。
近すぎて困ることはあるし心臓に悪いことも多いけど、離れたかったわけじゃない。
なのに如月さんは《距離を取られた》と思い込み、無理やりでも距離を戻そうとしている。
そのやり方があまりにも真っ直ぐで、しかも無防備だった。
(……無茶苦茶だろ)
如月さんは、もう完全に安心したみたいな顔をしている。
一回無理やり近づいたら、そのまま居座る。
猫かよ、と思った。
しかも本人はこれでちゃんと《戻った》と思っている。
確かに、さっきまで空いていた距離が、いつの間にか元通りになっていた。
如月さんは笑いながらパンを持ち上げている。
そして当然みたいな顔で言った。
「はい、あーん」




