22話 休日の午後 、繋いだ手より近い距離①
「……あのさ、あたし。まだ松前くんに言ってないことがあるんだけど、もっと仲良くなってから話すね」
如月さんはふわっと笑って、それから目を細める。
「それまであたしと仲良くしてね」
「……仲良くって言われてもな」
人と距離が近いことに慣れていない。
そもそも、《仲が良い》という感覚自体が、オレにはよく分からなかった。
誰かに自分から話しかけたことなんてほとんどないし、休日に誰かと出かけることだってない。
まして相手は女の子で。
しかも、如月理沙だ。
(難しいんだよな、そういうの)
如月さんは、こちらを見ている。
その視線に落ち着かなくなって、目をそらした。
「オレ、上手くできないと思う。友だちいないし」
正直に言うと、如月さんは目を丸くしたあと、ふっと笑った。
「えー、いいねそれ。あたしが1番仲良くなれそうじゃん」
嬉しそうに返されて、言葉を失う。
(……なんだよ、それ)
友達がいないことを、《いいね》なんて言う。
「……オレ、愛想ないけど」
「そうなんだー」
「会話も下手だし」
「そんなことないよ」
「気まずくするかもしれない」
「あたしは平気」
如月さんが笑う。
つられたみたいに、オレの口元も少しだけゆるんだ。
「……だったら、まぁ。オレでよければ」
如月さんの目が、ぱっと柔らかくなった。
「うん!」
◇ ◇ ◇
会計を終えて店を出ると、夕方の駅前はオレンジ色に染まっていた。
西日が歩道の端まで伸びて、行き交う人の影を長くしている。
「割り勘って言っただろ」
オレが言うと、如月さんはスマホをバッグへ戻しながら、小さく肩を揺らした。
「助けてもらったお礼まだだったから」
「助けたつもりない」
「去年の話じゃないよ。お礼するって言ったら、勝手にしろって言ったやつ」
オレはため息をついた。
如月さんは一歩前へ出て、人差し指を立てた。
「あとね。あたしは働いてるから自分のお金だけど、松前くんのは親のお金でしょ?」
「……それ関係あるか?」
「嬉しくないじゃん」
オレは黙って視線をそらした。
言い返す言葉が見つからない。
如月さんはくすっと笑って肩をすくめる。
「《ごちそうさま》って言うんだよ?」
「……ごちそうさま」
声は小さかった。
でも、如月さんはすぐに
「うん!」
と、嬉しそうに頷いた。
また、正解を教えてもらった。
《ごちそうさま》
それだけで如月さんは嬉しいらしい。
帰り道を並んで歩き出した。
数歩進んだところで、如月さんがくっついてくる。
腕と腕が触れる。
(近い……)
オレは半歩だけ横にずれて距離を取る。
如月さんはそれに合わせて再びくっついてきた。
オレはまた離れる。
「なぁにその動きー」
「いや、ぶつかってるから」
「避けてるじゃん」
「さ、避けてない」
「ふーん、じゃあ証明」
如月さんがジト目で右手を差し出した。
(まさか)
「何」
「手つなご」
食いぎみに即答してきた。
「いや、なんで」
「松前くんが逃げるからだよー」
当然のように手を差し出したまま、手を引く様子はない。
如月さんは待っている。
「ほらー」
(チャンスだろ……いや、何のだよ)
「ねぇー」
(手に触るだけだ。如月さんの手を握るだけ)
如月さんの頬が少しずつ膨らんでいくのが見えて、オレは焦った。
「……わ、分かった」
短く言って如月さんの手に触れようとする。
しかし、できない。
指先が、あと数センチのところで止まる。
「どうしたの」
「ど、どうやって触れば……」
如月さんは軽く笑って、もう一歩だけ距離を詰めてきた。
「指の間に指いれてく感じ?」
(それはいわゆる恋人つなぎでは?)
「とりあえずやってみて、なんか違ったらやり直せばいいし」
如月さんは軽い調子で言う。
オレはゆっくりと手を近づけた。
あと少し。
触れる直前で、また止まった。
如月さんのほうから手を動かしてくる。
次の瞬間、指先が触れた。
「冷た!」
如月さんの手は冷たくなっていた。
あったかそうに見えたのに。
「松前くんが待たせるからだよ」
「わ、悪かった……」
考えずに、手を伸ばしていた。
両手で包み込む。
触れた瞬間、如月さんの指がびくっとする。
小さい。
冷たい。
「いや、間違えた」
口が先に動いた。
如月さんの手を包んだまま、離すタイミングが分からなくなる。
固まってた如月さんが、くすくす笑い出した。
「これあったかいねぇ」
如月さんが指を動かした。
オレの指の間に、自分の指を少しずつ滑り込ませてくる。
いわゆる、恋人つなぎってやつになっていた。
(……おい)
如月さんが、繋いだ手を見て目を細める。
「……あってる?」
たしかめる手つきで、ぎゅっと力を入れてきた。
離そうとした手は、もう引けない。
一歩歩こうとしただけで、肩が当たる。
この繋ぎ方で歩こうとすると、どうしても距離が勝手に詰まる。
(近いな)
如月さんが隣を歩いている。
手を繋いでいる。
考えたこともないようなことが、現実で起きてる。
(イヤではない……)
近づかれたらどうすればいいか分からなくて、さっきまで自分から距離をとっていた。
なのに、逃げていた時より今のほうが全然楽だ。
オレが《逃げるから》繋いだ手なのに。
如月さんの横顔を見て、小さく息を吸った。
「……如月さん」
「ん」
目が合って、少し間があいてしまう。
もう一度息を吸って、ようやく言葉にする。
「……ありがとう」
もっと軽く言えるはずの言葉なのに、オレにはやけに時間がかかってしまう。
途中で何度も、これで正解なのかと考える。
遅れてもう一言続けた。
「今日、楽しかった」
如月さんは、ちょっと目が見ひらいていて、口がうっすらあいていた。
たぶん驚いている。
握った手に力が入って、それから
「……あたしも」
ぽつりと呟いた。
少し遅れて、続ける。
「ごめん、なんか変な間があいた」
「……気にしてない。変な間なら、オレのほうが多い」
そう言うと、如月さんは楽しそうに笑った。
◇ ◇ ◇
帰宅して、オレはベッドへ倒れ込んだ。
(緊張した……)
天井を見たまま、今日一日を順に思い返す。
偶然会った如月さん。
お茶の誘い。
カフェでの会話。
繋いだ手。
その流れの最後に、あの一言が引っかかったまま残っていた。
『まだ松前くんに言ってないことがあるんだけど』
(なんだよ、あれ。思わせぶりすぎるだろ)
普通に考えれば、個人的なこととかちょっとした話だろう。
しかし、『まだ言ってない』ってわざわざ言うか。
しかも、『もっと仲良くなってから』って。
内容が分からないせいで、勝手に想像だけが膨らむ。
(……告白とか、じゃないよな)
すぐに首を振る。
ありえない。
如月理沙だ。
クラスの中心で、人気者で、モデルやってて。
そんな人間が、自分に。
(いやいやいや、ないないない)
いや、待て。
やたらと密着してきたり。
間接キスしたり。
恋人繋ぎしてきたり。
全部が、どこか普通の距離じゃない。
昼休みにわざわざ話しかけてくる。
LINEを自分にだけ教えてくれた。
(もしかして……如月さん、オレのこと……)
一瞬浮かんだ。
(いや、バカげてる。そんなの、どう考えてもありえない)
オレがずっと一人でいたから、話しかけなきゃってなるんだろ。
優しくされてるのも、あの人なりの気遣いだ。
オレが特別とかじゃない。
『仲良くなりたい』とかも、あの人の中ではただの友達の距離って意味だ。
(仲良く、か……どうすればいいんだよ、それ)
オレには《仲良い》の基準がどこにあるのか分からない。
聞ける相手もいない。
(あの如月さんと、仲良くなる方法……ハードル高すぎる)
◇
玄関の扉が閉まったあと、あたしはしばらくその場に立ち尽くす。
「……帰ってきちゃった」
靴を脱ぐ動作がやけに遅い。
家に帰ると、一人なのはいつものこと。
なのに今日は、いつもより静けさを感じる。
電気をつけて、もたもたと部屋に入る。
ベッドに座って、そのまま後ろに倒れた。
天井に松前くんの顔を思い浮かべる。
本屋に用事なんてなかった。
松前くんが入っていくのが見えたから、追いかけてしまった。
学校ではお昼を一緒にしているけど、周りの目がある。
あたしはいつもの調子でいなきゃいけない。
今日は、人目を気にせず近づけるチャンスだった。
LINEで誘うって手ももちろんある。
でも、いきなり「どこか行かない?」なんて送ったら、それはもうちゃんとした誘いになる。
カラオケのときみたいに『なんで?』って聞かれたら、答えられない。
偶然会った。
それを利用するしかない。
たまたま話して、流れでお茶に誘う。
そういうことにできる。
『綺麗だな』って言ってくれた。
そこで終わらせるのがもったいなかった。
『まだ松前くんに言ってないことがあるんだけど』
松前くんには、いつか全部知ってもらいたい。
あたしは立ち上がり、部屋の中をゆっくり歩く。
壁には乙女ゲームのポスターが並んでいる。
机の上にはアクリルスタンド。
ガラスケースにはフィギュア。
どれも誰にも見せてこなかったもの。
部屋の中だけにある、自分の《好き》。
(いきなり『オタクです』なんて言っても、困ると思うし……)
いくら松前くんでも、引くかもしれない。
たぶん、驚く。
もしかしたら、距離が少し変わる。
(ううん、松前くんなら……)
あたしは首を振った。
「まだ早い」
小さく呟いて、あたしは部屋の電気を消した。




