21話 休日の午後 、噂の彼女と初めての距離④
「……だから」
「食べないの?」
すねた響きを残しながら、逃げ道を塞ぐくらい真っ直ぐな声だった。
「自分で……」
「あー、バター落ちそう。腕しびれてきたよぉ」
「……ずるいだろ、それ」
「えへへ」
オレは観念して、口を開けた。
如月さんが嬉しそうにフォークを寄せる。
「どお?」
「……うま」
「おいしいよねぇ」
如月さん自身も一口頬張って、幸せそうに目を細める。
ほんとよく喋るし、よく動くし、よく食べる。
その時、遅れて気づいた。
(間接キスだろ)
視線が、如月さんの唇に吸い寄せられる。
慌てて皿へ目を戻した。
(やばい、落ち着け、意識するな)
「あ、松前くんのもちょーだい?」
黙って皿を押した。
「どうぞ」
「あたしは食べさせてあげたじゃん。お返しは?」
「……」
ただ交換すればいいだろ。
でも断ったら、また変な空気になる気がした。
オレは喉の奥でうめきながら、フレンチトーストを切り分けた。
フォークに刺して、差し出す。
「あーん」
と、如月さんが口を開けて、ぱくりと食べた。
「おいしー」
幸せそうに目を閉じている。
(慣れてる)
そんな考えが頭をよぎった瞬間、なぜか胸がざらついた。
「如月さんは、こういうのも慣れてるのか」
「こういうの?」
「食べさせ合う、みたいな」
「女の子同士なら普通にやるよ。男の子にするのはいま初めてだからドキドキした」
さらりと言う。
(初めて……)
パンケーキを見てから、如月さんがまた顔を上げた。
「ねぇ、松前くん」
「……ん?」
「さっきさ。あたしのこと、変な噂が勝手に広まるって言ってたじゃん」
「……言ったな」
「どういう噂?」
「……オレが言ったわけじゃない」
「わかってるよー。だから否定しにいってくれたんでしょ」
本人には黙っていたほうがいい。
でも、そういう話をあそこで持ち出したのはオレだ。
気にするなと突き放すのは無責任すぎる。
なるべく、何でもない風を装って口を開く。
「如月さんて、絶対彼氏いるよな…とか。男なんて選び放題だろ…とか」
「ふーん」
返ってきた声はトーンが下がっていた。
「変な噂ではあるけど、褒めてる寄りだから」
「松前くんはなんて答えたの?」
「なにも。近くで喋ってんの聞えただけだから」
「でも面白そうな話してたら混ざるじゃん」
「べつに面白くないだろ。人の噂話とか」
如月さんが、じっとオレを見る。
数秒、何も言わない。
「……なに?」
気まずくなって、オレから声を出す。
如月さんは、小さく笑った。
「ううん、珍しいタイプだなって。でも、やっぱり思ってたとおりの人」
「前から気になってたんだけど……」
切り出すと、如月さんの動きが止まる。
ぱちっとまばたきをしてから、首をかしげた。
「なぁに?」
「如月さんて……なんで、その。オレに気ぃつかってくれるの?」
「気をつかってるわけじゃないよ。あたしが話したいだけ」
「だから、それがなんで?」
「それ言いたくないって言ったんだけどなぁ」
如月さんが笑う。
オレはテーブルへ視線を逃がした。
「悪い、そうだった……」
「ごめんごめん、もう話すよ。松前くんて、ちゃんと聞いてくれるし、見てくれるから。隠す必要なくなっちゃった」
「無理にとは、言わない」
如月さんは、しばらく黙ってから、口をひらいた。
「松前くんのこと知ったのは去年の夏ごろ」
「オレとはクラス違っただろ」
如月さんは頷く。
「教室で友だちと喋ってたんだけどさ。知らない男の子たちが混ざってきて、なんか恋愛の話になったの。彼氏いるのー? とか、誰がタイプー? とか」
オレは黙って聞いた。
「でも途中から『じゃあ俺と付き合う?』みたいになってさ。なんか、逃げづらい感じになっちゃって。あたし、今ほどそういうのうまく断れなかったんだよ。笑ってごまかしてたんだけど、だんだんキツくなってきて」
その時の空気を思い出したのか、如月さんの表情がわずかにくもった。
そのあとすぐ、顔をあげて目を細めた。
「その時、松前くんが通ったんだよね」
(ん?)
自分の名前が出てきたが、どこか他人事として受け取った。
如月さんは声のトーンを上げて続ける。
「普通ならさ、関係ないしスルーするじゃん。クラス違うもん。でも、松前くんはさ」
言い方に、熱が混ざってきていた。
如月さんは手をぎゅっと握り、力を込める。
「《嫌がってるだろ、気づけよ》って。それだけ言って、そのまま行っちゃったんだよ」
(そうだったのか……)
オレは視線を落とし、ため息をついた。
(全然おぼえてない)
自分は覚えてないのに、如月さんの中にはずっと残っていた。
その事実が、なんだか気まずい。
オレはゆっくり言った。
「助けたとかじゃないと思う」
覚えてはいないが、そういう面倒ごとに首をつっこむタイプの人間じゃない自覚はある。
「うんうん。今の松前くん見てると、そういうつもりじゃなかったんだろうなって分かるよ。思ったことそのまま口に出した感じだよね」
「助けてないって分かってるなら、オレと話す理由にもならなくないか?」
如月さんは間を置いた。
言葉を選んでいるのが分かった。
「あたしさ、イヤなこと言われても笑って流しちゃうんだよ。作り笑いしかできなくて、本音は言わなくて、上辺だけの付き合いばっかり。今さら変えられなくて、ズルズルきちゃったんだよね」
(まぁ、見てたらそうだよな……)
如月さんは、自分とは違う遠い人だと思ってた。
なのに、人間関係では似たような悩みを抱えている普通の女の子だ。
オレは、励ますとかはできない。
慰めるとかも、苦手だ。
今の自分ができるのは、たぶん共感だけ。
「……あの空気じゃ、簡単には変えられないよな。笑っといたほうが、面倒にならないことのほうが多い。急に拒否ったら、逆に自分が悪いみたいになる」
如月さんは、ゆっくり瞬きをしたあと、力が抜けたように笑った。
「やっぱ松前くんは優しいよね」
「別にいまのは優しくない」
優しい言葉をかけたわけじゃない。
事実を置いただけだ。
「笑って流さないと『こんなことで怒るの?』とか『冗談通じない』って言われるんだよって話、あたしまだしてないのに、松前くんは分かってくれてるじゃん」
「そういう話の流れだったから」
如月さんは、そこで苦笑いした。
「普通の人はね、《上辺だけの付き合いばっかりしてる》なんて言う人には、顔色変えるんだよ。そういう目で見るの」
「実際、そう見えないから。如月さんは、誰の話でも拾いきって無理して笑って、角が立たないように上手く返す人だろ。それを《上辺だけ》とは思ってない」
つい否定してしまった。
如月さんがゆっくりフォークをお皿に置くのが見えて、しまったと思う。
もう少し言い方があったかもしれない。
「あたしね、助けてもらったから松前くんと話したかったわけじゃないの。無理して笑ってることに気づいてくれた人、初めてだったんだよね。それに、まわりの評価に流されないであたしを見てくれるじゃん。なんかね、それって楽なの」
言い終えてから、如月さんは自分の言葉に焦って付け加えた。
「あ、楽っていうのは雑に思ってるんじゃなくて」
「わかってる」
短く返す。
如月さんは、愛想笑いをやめていい。
オレは、無口でいてもいい。
お互い、素の自分でいられる。
一緒にいて楽なのは、オレも同じだった。
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