20話 休日の午後 、噂の彼女と初めての距離③
カフェの扉を押すと、小さなベルがチリンと鳴った。
店員に案内され、窓際の二人席に着いた。
その時だった。
「あれ……?」
「え、如月理沙じゃね?」
少し離れたテーブルから、声がもれた。
オレが目線だけ動かすと、高校生っぽい男子が三人、こちらを見ていた。
「マジじゃん。隣のやつ誰?」
「え、なに。デート?」
「モテる女は違うよな」
笑い混じりの小声だった。
だが、静かな店内では十分に届く。
自分がどう見られるかは、どうでもよかった。
気になったのは、如月さんに勝手な噂がついて回ることだ。
如月さんには、オレと違って立場がある。
雑誌に載るような女の子。
デートなんて言葉まで出て、ましてその相手がオレだ。
(……最悪だ)
ちら、と如月さんのほうを見る。
何も言わなかったが、メニューを持つ手が止まり、視線がテーブルに落ちている。
(やっぱ聞こえてるよな)
このままじゃ、ダメだろ。
オレは席を立つ。
「え、ちょっ」
困惑する如月さんの声が背中ごしに聞こえたが、そのまま男子たちの席へ向かった。
近づくにつれて、向こうも「あ、来た」という顔になった。
オレは一度だけ息を吸う。
「違う、デートじゃない。偶然近くで会っただけだ」
思ったよりはっきり声が出た。
「あ、そうなん?」
「なーんだ、びっくりした」
雰囲気がすっとゆるむ。
(これでいい)
席に戻ろうとふり返ると、妙な視線に気づいた。
如月さんが、じっとこちらを見ている。
なぜか目だけが、やけに鋭かった。
◇
席に戻ると、如月さんはおしぼりの袋を指先でくしゃっ、と潰した。
「あんな露骨に否定することある?」
「じゃあ、どうすればよかったんだ……」
誤解されてたから否定しただけだ。
本当のこと言っただけで、なにが問題だったのか。
如月さんは唇を尖らせる。
「どう見てもデートなんだけど」
「……デートじゃない」
おしぼりの袋をさらにぐしゃぐしゃにする。
(なんで怒ってる……?)
「……ああいう誤解されるの、イヤだろ」
「ふーん、松前くんはイヤなんだ。そーですかそーですか」
如月さんの指先が、ぐしゃぐしゃのおしぼりの袋をテーブルに押しつけたまま止まった。
たぶん、話がかみ合ってない。
オレは言葉を整理してから口をひらいた。
「如月さんがイヤとかじゃない。オレは別に目立たないから平気だけど、如月さんはそういう変な噂が勝手に広まるから、それがイヤだった。ああいうの、ほっとくと面倒になる」
「あたしのために否定したの?」
如月さんの動きがぴたりと止まった。
違う。
《誰かのため》とかじゃない。
自分がイヤだった。
(恩着せがましくなった……)
如月さんは視線を落として、丸くなったおしぼりの袋を指で転がした。
「ごめん、あたし……今のは噂されても、別に困らないかな」
言い終わった瞬間、如月さんの頬が一気に赤くなる。
さっきまで口を尖らせていたのに、もう口元はゆるんでいた。
(……なんだその顔)
いろいろと、理解が追いつかない。
表情の変化も、いまの言葉の意味も。
如月さんはごまかすようにメニューを突き出してきた。
「あ、注文しよ! これメニュー! 早く決めよ!」
「……お、おう」
あまり、距離を詰めすぎないほうがいい。
自分がまたおかしなことを言って、如月さんをこれ以上困らせたくない。
オレはそう判断した。
メニューへ目線を落とすと、如月さんが身を乗り出してくる。
指先がメニューの写真をなぞった。
「ここのイチオシはね、昔ながらのパンケーキ。外がカリッとしてて中がふわふわなんだよー。上のホイップバターがすごいの、口に入れるとじゅわってする。ピザは生地薄めでパリッとしてて、あたしの好みなんだー。あ、スパゲティもいいよね。クリーム系が濃厚でおすすめ。サンドイッチは卵と照り焼きチキンのが」
如月さんは早口でメニューを紹介し始めた。
指がメニューの上を忙しなく動く。
「……如月さん」
「なぁに?」
顔を上げる。
「オレがなに選んでもおかしくならないように、候補を増やしてくれてるんだろうけど。そんなに気ぃつかわなくていいよ」
如月さんはぱちぱち、と目をまたたかせたあと。
「あ、いや……あたし、食べるの好きで」
急に声が小さい。
『食べるのが好き』そう聞こえた。
「松前くんて、ちゃんと聞いてくれるから、つい喋っちゃうんだよね。好きな食べ物も、知ってほしかったし」
オレはメニューを見ながら、ふと思い出す。
「そういえば……カラオケでオレのから揚げ半分食ってたもんな。オレが注文したのに、ここのから揚げホント美味しいって言って」
「ま、待って! それいま関係ある?」
「食べるの好きって、そういうことだよな?」
「合ってるけど」
如月さんはメニューで顔の下半分を隠した。
(可愛すぎだろ……)
いや、待て。
今の自分の発言が、女の子に対して「よく食べてた」という意味だったことに気づく。
完全にまずい。
食べるの好きって聞こえたから。
好きな食べ物を知ってほしかったって言うから。
話を広げるつもりで、覚えていたことを口にした。
覚えてたのはあの時、美味しそうに食べてた顔が可愛くて、忘れられなかったからだ。
しかしそれを説明したら、また「食べてた」という言葉が出てくる。
「……別に悪い意味じゃない」
「覚えてくれてたのは嬉しいけど、もっと他に覚えることあるでしょ」
「相手はオレなんだから、気にすることないだろ」
如月さんはその言葉を聞いて、しばらく固まる。
「そっか」
再びメニューへ目線を落とす。
指先がぺらぺらとページをめくった。
「気にすることない、か……松前くんて、そういうことサラッと言うよね」
「なにが」
「自分にだけは、ダメなとこ見せても平気だよってことでしょ? ほんとそういうの、軽く言うんだから」
なんだそれ、違う。
(なんか、かっこいいセリフ言ったみたいになってる?)
オレが言ったのは、自分みたいな教室の隅でホコリかぶってる男に対して、好感度を上げる必要なんてない。
取りつくろう意味なんてない、それだけだ。
黙ってるオレを見て、如月さんはさらに勘違いを加速させた。
「キミはそのままでいていいなんて、なんかキザなセリフだけど。そういうのやっぱ言われると嬉しいな」
(言ってないが?)
そんなの絶対言わない。
オレがそんなの言ったらキモいだろ。
「いや違……」
「ほらー、松前くん何にする? あたしお腹すいちゃったよー」
「……おう」
オレがあせって喋ると、きっとまた何か変なことを口走る。
如月さんは、ふふ、と嬉しそうに笑っている。
ここは、黙っておこう。
◇
「お待たせいたしました」
店員の声とともに、料理が運ばれてきた。
オレのクロワッサンフレンチトーストと如月さんの厚焼きパンケーキが、同時にテーブルへ並んだ。
バターの匂いと、甘いシロップの匂いが混ざる。
如月さんが
「ありがとうございます」
と店員に軽く頭を下げた。
その動作は、やはり自然だ。
「わー、美味しそう。いただきまーす」
如月さんの目がいっそう輝く。
(可愛い……)
「いただきます……」
オレも控えめに手を合わせて真似をした。
如月さんがさっそく、バターホイップが見本の写真よりもどっしりと高く乗っているパンケーキへナイフを入れる。
ふわ、と生地が沈む。
(たしかに美味しそうだ…)
そう思っていると、一口サイズにホイップをたっぷり付け、オレの口元へ持ってきた。
「パンケーキおいしいよー、はい」
(いやいやいや、いくらなんでもこれは……)
「いい、自分で……」
「あーん」




