19話 休日の午後 、噂の彼女と初めての距離②
女の子と二人でお茶なんて、自分の人生でそう何回も起きるイベントじゃない。
(どうせ一回きりだ)
相手は、雑誌に載ってる側の人間だ。
(誰かに見られても、相手がオレならデートだとも思われない)
そこでようやく、着地点ができた。
「……まぁ、お茶奢るくらいなら」
「え?」
「だから、お茶。行くんだろ」
如月さんがぱちっとまばたきをした。
そして、表情が一気に明るくなる。
「うん。でもあたしが奢るから心配しないで」
(……あれ?)
てっきり、《変な空気にした責任》をとって奢ってみたいな流れだと思っていた。
もっと、「いいじゃん奢ってよー」みたいに来るのかと。
(奢らせたいわけじゃないのか)
「あたしが誘ったんだし」
「どっちが誘ったとかじゃなくて、女に金出させるのは違う」
「え、松前くんてそんな感じ? 意外と考えかた古いんだね」
「奢るって言ってるんだから素直に喜べば」
「それはこっちのセリフなんですけど?」
如月さんが言い返しながら笑う。
「じゃあ、割り勘なら」
「ずるい」
今度は、不満そうに唇を尖らせた。
笑ったり、赤くなったり、子どもみたいに拗ねたり。
その表情は、雑誌の中の如月さんとはやはり重ならない。
「女の子って普通、奢られたら嬉しいもんじゃないのか」
疑問というより、確認だ。
こういう時の正解なんて分からない。
とりあえず、男が払うものだと思っただけだ。
オレの中の女の子の情報源なんて、ネットとか周囲の会話とか、その程度しかない。
男が奢れば、女は喜ぶ。
なんとなく、そういうものだと思っていた。
それをどう受け取ったのか、如月さんは頬を膨らませて、探るみたいにオレを見る。
本当に表情がよく変わる。
「松前くんて、女の子とよく出掛けたりするんだ」
「いや、そんなわけないだろ」
「じゃあなんで普通とかわかるの」
「なんとなくのイメージ」
「ふーん」
まだ疑っている顔だった。
「何回かはある?」
「一度もない」
あっさり言う。
変に取りつくろう方が恥ずかしかった。
人の顔を観察するみたいにじろじろ見てくる。
それから。
「モテそう」
さらっと言った。
本当に、なんでもないことみたいに。
モテそう、という単語が自分に向けられることがあるのか。
「よし、じゃあ行こっか。奢るから」
「だから割り勘だって」
「そーでしたそーでした」
楽しそうに笑う。
(いや、落ち着け。別にデートじゃない)
ただのお茶。
それだけだ。
(……失敗したら終わるけど)
そこでまた胃が痛くなる。
如月さんはそんなオレの悩みなど知らない顔で、本屋の出口へ向かっていく。
オレは半歩遅れて後ろを追った。
「用があって本屋に来たんじゃないのか?」
「あー、うん。別に大した用事じゃないから」
ほんの少しだけ目が泳ぐ。
(……?)
一瞬だけ引っかかる。
(まぁ、オレに話すようなことじゃないか)
◇
本屋から出ると、オレは如月さんの隣には並ばず一歩ほど後ろを歩いた。
休日の駅前は人が多い。
並んでいるところを見られたとき、変な誤解をされるのを避けるためだ。
その距離のまましばらく進むと、如月さんはふと足を止めた。
オレも合わせて止まった。
振り返った如月さんが、不満そうにこっちを見る。
「……なに」
「うしろ歩かれると、置いてってるみたいで落ち着かないから、横に来てくれる?」
「学校のやつに見られると面倒……」
「あたしと一緒にいるの見られるの、そんなにイヤ?」
如月さんが前屈みになって、下から覗き込んでくる。
(それは反則だろ)
目が合う。
近い。
怒っている顔ではない。
甘え混じりの拗ねた表情だ。
こんなの、どう受け止めていいのかわからない。
一緒に歩くのがイヤなわけじゃない。
その相手が自分でいいのか、というところが問題なんだ。
頭の中で否定が絡まって、うまく言葉にできない。
「……イヤじゃない」
それだけしぼり出した。
如月さんの表情が、ぱっと明るくなる。
「やったー」
笑って、オレの隣へ並んだ。
歩き出す。
(近い)
肩が触れる寸前の距離だ。
人混みのせいだろうと、オレは一歩横へ離れた。
如月さんは同じぶんだけ寄ってきた。
(いや、なんでだよ)
もう一歩離れると、また寄ってくる。
(磁石か?)
歩幅をゆるめても、如月さんはぴったりついてきていた。
「き、如月さん……」
「なぁに?」
「近い」
如月さんはまたむすっとした。
「松前くんイヤホンしてるじゃん。それに、声小さいんだもん。この距離じゃないとお互い聞こえなくない?」
言われてみれば、そうだった。
駅前の騒がしさを消したくて、今日は両耳にイヤホンをしている。
(なんか、勘違いしてた)
如月さんが近い理由を、自分の都合のいいように考えていた。
(オレのせいか……)
「……じゃあ外す」
オレはそう言って、イヤホンを抜くために耳へ手を伸ばした。
その瞬間だった。
「いや待って!」
如月さんが慌てたようにその手を掴んだ。
驚いたオレは反射的に腕を上げてしまい、その勢いのまま二人の距離がなくなった。
「っ!?」
上半身に、柔らかいものが押し当たった。
弾力と熱で、それがなんなのかはすぐに理解できる。
(いや待て待て待て待て)
「イヤホンそのままでいいっ」
如月さんはまだ腕をつかんで、焦ったみたいに言う。
身長が同じくらいなせいで、顔も近い。
(動いたらやばい)
オレは呼吸を止めて硬直する。
遅れて、如月さんも近さに気づいたらしい。
同じように動きが止まった。
「ごめん」
そーっと、ゆっくりと離れる。
如月さんの顔が赤い。
オレはイヤホンを手の中で握った。
(ほんと、なんなんだこの子)
「許してくれる?」
その言い方は妙に弱い。
「別に怒ってないけど、なんでイヤホン取ろうとした?」
「松前くん、すぐ距離取るじゃん。後ろ歩くし、近づいたら逃げるし」
如月さんは指先をもじもじと動かしながら続けた。
「イヤホン外しちゃったら、あたしから近づく口実なくなっちゃうんだよ。だから、止めようとした」
オレは喉が詰まる。
如月さんの言っていることは、わかる。
わからないのは。
(なんでオレなんだ)
学校でなら、説明はついた。
一人のオレに気を使って、声をかけてくれている。
そう処理してしまえば楽だった。
いま近づいてくる理由はなんだ。
休日の学校の外で、わざわざ近づいてくる。
如月さんは可愛い。
優しくて、学校でも目立っていて、読者モデルまでしている。
仲良くなりたいやつなんて、他にいくらでもいる。
面白いやつも、かっこいいやつも。
だったら、そっちでいいはずだ。
それなのに、ほかの誰でもなく、如月さんは自分に向けて近づいてきている。
なにも返せないオレを、如月さんは急かさない。
ただ待ってる。
指先をもじもじさせながら。
(近づきたいと思ったのは、オレのほうだ)
知らない顔が見たくて、雑誌を見に来た。
声を聞こうとして、イヤホンを取ろうとした。
だけど今、学校のやつに見られると面倒なんて理由を付けて、間違った距離の取り方をしている。
「……オレは」
声がかすれる。
「逃げたわけじゃなくて……。女とか慣れてないから、距離感がつかめなかった」
如月さんはそれを聞いて、安堵したような顔をした。
「なんだ、そっかー。嫌われてるんじゃなくて良かった」
「如月さんを嫌うってことはないと思う。いい子だっていうのは分かるから」
如月さんの動きがぴたりと止まる。
耳の先が、じわりと赤くなっている。
「……いい子」
小さく繰り返す。
それから、力が抜けたような顔で笑った。
「えへへ」
照れたみたいに頬を指先で掻く。
なんてことない、自然な動きだ。
それすらも。
(……可愛い)
と、思う。
如月さんはそのまま前を向き、ガラス張りの小さなカフェを指した。
「あそこ」




